2018/03/26

茨木 東映

茨木に昭和34年に引っ越しした。その当時、映画館は3つあった。東映と大映とそれから茨木映劇っていったような。記憶が定かではありません。
大映はなんか時代劇みたいなものが多かった記憶があって、子供の頃はもっぱら東映だった。
その頃の配給の仕組みを知らないので詳しくは分からないけれど、見たい映画はほとんど東映に来た。ゴジラをはじめとする特撮もの、加山雄三の若大将シリーズ、結婚して子供が出来てからもアニメはほぼここ。というよりその頃には大映も映劇もなくなっていたように思う。
段々と映画は大阪に見に行くようになってしまった。
調べたら、この東映も閉館されたみたいで、今では茨木で映画を見るとすれば、イオンのシネマコンプレックスで見るというのがスタイルらしい。
基本的に子供の頃は親が連れて行ってくれたけれど、いつの頃だったか、小学3年の頃に、同級生5人くらいで茨木映劇に怪獣もんの映画を見に行ったことがある。よう親が許してくれたと思うけれど、子供たちだけでかなり遠い映画館まで歩いていって、切符を買って映画を見た。
帰りは暗くなっていて、徒党を組んで帰ってきた。なんか少年探偵団みたいな気になったのを覚えている。
そうそう大映にも行った記憶がある。学校が連れて行った「路傍の石」という映画で、いかにも学校推薦というような映画だった。あの頃から少しひねくれていたのかもしれない。
グーグルマップでどのあたりだったか確かめようとしたけれど、皆目見当がつかない。昔時々本を売りに行ったことのあるオランダ屋さんの近くだったような気がするので、今の野村證券あたりなのかな??確か隣は鎧がおいてあった蕎麦屋だったような・・これも遠い記憶なので定かでない。

2018/03/23

至上の愛

何時の頃から、結婚式に行くときには、このジョン・コルトレーンの「至上の愛」というレコード(そのあとCD)を贈っていた時期があった。
ただ誰一人として「感激した、有難う・・」という返事をもらわないので、あいつらには無理なものを送ったかもなと思っている。
まあ、一人もんの時はじっくり聞きこめる時間もあったかも知れませんが・・。
このコルトレーン、活躍していた時期は、意外とビートルズと同じ時期で、世の中の動きを感じ、感性の表現手段が違うかっただけかも・・とおもいつつ。
僕は両方とも好きです。
レコードでは表2曲。裏2曲。CDでは通しで4曲です。
多分普通は表の2曲は聞ける。裏がしんどいという評価になると思いますが。一番聞いてほしいのは一番しんどいと思われているラストの4曲目です。これは凄いです。
このレコードは僕にとってはビートルズのサージャントと同じ位置づけです。

2018/03/21

災難の日

今日は午前中、大阪で営業訪問、午後から京都の桂で株主総会というスケジュールで、地下鉄というか阪急と相互乗り入れしている堺筋線に13時頃乗った。時間的に十分くらいゆとりがある。
そしたら柴島を過ぎたあたりで、「富田で人身事故発生したため遅れが見込まれます」という放送・・・、なんとか淡路までついてくれたらそこからタクシーで最寄りのJRの駅へとという算段で淡路まで「なんとかついて」と念願する。期待に応えてくれて電車は無事「淡路」に到着。
ただこの「淡路」という駅には、アップしたように改札出たら即道路でタクシー乗り場が全くない。もう何というか、ごちゃごちゃした町、大阪の代表にもなれるくらいの雑然とした街である。
仕方がないから、大きな通りがありそうなところまで歩いていくが全くその気配がない。
そのうちに新幹線が見えてきて、その下あたりでグーグルマップで現在位置を確認。もう仕方がないからJRの「東淀川駅」まで歩かな仕方がないと観念する。
一応GPSで確認して「東淀川駅」を目指して歩きだしたけれど、ちょっと不安もあったので通りかかったおばちゃんに確かめる「あのうすんません、この道をまっすぐ行ったらJRの東淀川駅に行きますか?」
すると「そっちはあかんで。こっちの道をまっすぐに」と違う道を指さす。猫に小判、僕にGPS・・ちゃんと見れてない。
おかげさんで無駄な時間を浪費せずに済みました。あのおばちゃんに感謝。なんとか総会には間に合いました。
東淀川駅付近になるとなんかやたらと人が多い。なんでやろと思ったら当然ですわ、みんな同じ境遇で、徒歩で淡路からJR東淀川駅まで歩いてきたわけ。僕がある意味でタクシー探して歩き回っただけ遠回りした感じです。もう普通見たこともないような人出でした。
聞くところによると阪急電車は、昨日も上牧で人身事故があったようで、2日も続いたら阪急さんはお祓いが必要な感じです。

2018/03/15

あの頃(1960年初頭)



 
あの頃というのは、このアップした歌手のヒットした当時の思い出がリアルタイムでないからです。それは僕がまだ小さく(小学生)、この頃のヒット曲をリアルタイムで聞けなかったからです。
多分関西ではFENもないから聞いていた人は非常に少なかったように思います。
いつも思うのはこの3人は、当時のヒットチャートを席巻した常連です。ナンバー1があるというより、なにせヒット曲が多い。一発屋さんではない。
そんで、この3人、いわゆる西洋の白人でない。アメリカを代表するWASPでない。コニー・フランシスはイタリア系、ニール・セダカはトルコ系だっかたな?
もっと言えば大御所のプレスリーも同様、みんな、要はアメリカ人を代表する金髪の白人パット・ブーンみたいでない。いつも「なんでだろう?」って思ってきた。
 
僕がビートルズの虜になる下地は、この頃のヒット曲が(日本人が代わって歌っていたかも知れませんが。ザ・ピーナッツとか、伊東ゆかりとか・・)基盤になっていることは確かです。
小学校の後半、気にいった曲は歌謡曲より断然こっち系だったですから。
ただ、オリジナルでなかったですが。
伊東ゆかりの「恋の売り込み」(エディ・ホッジス)とか「ロコ・モーション」(リトル・エヴァ)いいですよね。今から考えたら伊東ゆかりがカバーもんは一番上手いような気がする。
それから、なんと西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」・・、カバーもんはこの時期以降歌わなくなりますから。
 
1962-1963、このあたり日本の大衆文化の分岐点の様な気がしてます。
 
 
 
 
 
 

2018/03/14

ノーキー・エドワーズ

ベンチャーズのリードギタリストだったノーキー・エドワーズさんが亡くなった。(左から3人目)
先日エレキギターの売れ行きが芳しくないというブログを書いたとこだったのに。追い打ちをかけるような。
何といっても日本でエレキギターのブームが巻き起こり、その後一定した新規ファンを作り出したのは、ビートルズよりもベンチャーズだと思う。
アップした写真は65年くらいのもので、決して若者受けするようなファッションでもルックスでもなく、多分年齢もそこそこいっていたはず。(赤坂の日枝神社にて撮影という話です。当時ここで記念写真を撮りたがる連中が増えた。ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパンンのジャケットになっているから)
ベンチャーズの愛用していたギターは「モズライト」といって、未だに固定客がおります。(会社の方はお家騒動でどたばた本家争いの噂が絶えませんが・・・)
日本に来た時にテレビ中継があって、「キャラバン」を弾くノーキー・エドワーズを見た時は魔法のような気がした。こんなに指って動くんや・・・・と思った。

ともあれ 合掌。

紅一点はどう見ても「伊東ゆかり」だよね。確信に至る当時の雑誌が見当たらんのです。

2018/03/11

CILLA BLACK

なにを今頃と思われるかもしれませんが、シラ・ブラックが亡くなっていたことを今日まで知りませんでした。
ビートルズが出てきたときに、なんとなく一緒にブライアン・エプスタインのマネージメントで出てきて長くイギリスの音楽界に足跡を残したスターです。
リバープールでビートルズの周辺にいた(噂はともかくキャバーン・クラブのクローク係だったとかいろいろあります)一人で、レノン・マッカートニーの作品を歌ってます。日本ではそれほどヒット曲を出すまでに至りませんでしたけどね。
本名、プリシラ・ホワイトと言って???という感じですが。
あの時のブライアン・エプスタインはビートルズとジェリーとペースメーカーズとビリー・J・クレーマーとダコタスとこのシラ・ブラックをスターの座に送り込んだ。
歌手としての実力はあったわけです。ユーチューブ見ていても歌唱力は凄いです。

2018/03/06

GIBSON

GIBSONが危ない・・・という記事が日経新聞に載っている。ギターの会社も出世したもんである。
FENDERも危ないらしい・・・えっ???
要は今の若い人の聞く音楽にはあんまりギターが要らないらしい。
ようく考えたらヒップホップ系とか打ち込み重視のエレクトロサウンドにはほとんどギターの音なんか出てこないもんねえ。
困ったもんである。
ベンチャーズが作り上げてきた「テケテケ」サウンドも風前の灯火というところなのかな。
最近はあんまりスタープレイヤーのギタリストの名前もあがってこないですしね。
エリック・クラプトンの主催するクロスロード・ギター・フェスティバルに出てくるプレイヤーも年配のお方達が増えてきてますわ。
サンタナの泣きのギターなんか最高ですけど(ただ、この頃のサンタナはYAMAHAのギターだったですが)。
アップしたギブソンのレスポールモデル、こうやって並ぶと圧巻ですけどね。
時代は変わっていくのを実感しております。時代は変わっていくのは否定しない。ただいい方向に向かっているかはわからない。ヒップホップがなんぼのもんじゃい。あんなの聞く気にもならん。

2018/03/01

THE BEATLES と カーリング

4年に1回ですが、カーリングに夢中になった。ルールがよくわからないから変な楽しみ方になる。なんというか「ルールを探ろうとする」。
「なんで2点??」とか。「なんで先行、後攻がかわる?」とか。
3分でわかるカーリングとか‥世の中にはニーズがあるようで、ネットで探せばいろいろとルールの解説をしてくれている。それを何種類か読んで大方分かったようでも、やっぱりよくわからん部分も多々あります。
カーリングを知ったのは、多分ビートルズファンなら映画「ヘルプ」で見た記憶のある人が多いと思う。あの時のカーリングはモップでなく完全な箒みたいです。
カーリングが爆弾になっていて、爆発して氷が割れて、割れた氷の中からおっさんが出てきた。
氷の中から出てきたおっさんが「ドーバー海峡ってどっちだ」って聞く、そしたらジョン(もちろんジョンレノン)があっちって指さす、そしたらそのおっさんは分かったようにまた氷の中に潜っていく。・・あれってビートルズのマネージャーだったはず(多分マルコム・エバンスのはず)。もう昔々の思い出です。
思い出せばマルコム・エバンスとニーノ・アスピネールの2人が何時も出てくるマネージャーだったですよね。マルコム・エバンスはちょっと可哀想な終末だった。
でも、化け物みたいに大きくなっていく4人を目の前で見ていた気持ちってどういうものなんだろうって思ったりする。キャバーンクラブの用心棒が世界中を巡る生活になるというのも、それもびっくりの世界だったはず。