2016/12/31

Debbie Reynolds


スターウォーズのレイア姫が亡くなったという訃報に続いて、お母さんも亡くなったというニュースが飛び込んできた。お母さん???
もう知らない人が多いですよね。
レイア姫に抜擢された時、親の七光りと揶揄されたもんですが、当時の大スター&大歌手であったエディ・フイッシャーとデビー・レイノルズの子供さんだった。といってもほとんどの方は知らない。
お母さんのデビー・レイノルズの歌う「タミー」という曲なら聞いたことがあるかもしれない。
では、下の写真は誰だ??
「タミー」という映画というかテレビはアメリカでは人気がある作品らしく、日本でいえば「伊豆の踊子」??(よくわかりませんが)、その後もテレビドラマ化されていて、その時の主役がデビー・ワトソンだった。あのカレンのね。
デビーワトソンは、アメリカではカレン以降もそこそこ出ている作品がありますが、ほとんど日本では公開されず。ファンだった僕は向こうのDVDが見たいけれど、毎度英語力のなさで躊躇してしまう。音楽のDVDでないからね。

2016/12/21

La Isla Bonita


昨日、ちょっと寒気がしたので布団を増量して、早めに寝た。夜中にちょっとましな感じになって、うがいをしてもう一度寝ようとしたら、どういうわけかこの曲が頭な中でかかりだした。曲名が分からず、真っ暗の中で1時間くらい悶々と、「ボニータ」というフレーズがかかる。そうこうしていると競馬のイスラボニータが浮かぶ。そうやマドンナやと思ってしばし安心。ただなんか心の中でひっかるものが、もっと若いお姉ちゃんの記憶が、それでまた悶々と・・・思い出しました「ALIZEE」ですわ。この悩殺ギャルは一時期フランスの若者を虜にしたややこしい腰の振りで一世を風靡しました。
記憶の構造っていうのはどうなっているんだろう??
僕は両方ともCDを持っていないから、あんまり聞いていないんですがね。ほんまに不思議です。

2016/12/12

AMERICAN GRAFFITI


萩原健太さんの「アメリカングラフィティから始まった」という本が出たので読み始める。ちょっと変わった構成で、かかる曲の順番に説明というか「解説」プラス「エッセイ」が書かれてあって、映画のストーリーもちょっと書いてある。基本的に映画の解説本ではない。
基本的にこの映画をかなり(何べんも)見ている人でしかもあの時期の音楽が好きでないと全体が分からないかもと思えるくらいマニアックなものになっている。
読みだしたけど、最近は久しく見ていないので、まず映画をもう一度見てから読むかという気になって、今日はアメグラを見て終了。
下はこの映画でアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたキャンディ・クラークで、とっかかりはサンドラ・ディー似でなくコニー・スティーブンス似だったんですね。
これで何のことかわかる人は、かなり詳しい人(変人?)です。

2016/12/10

君の名は。

もともとアニメは大好きな人間ですが、さすがに最近は毎年「コナン」を見に行くくらいになってしまった。もっと昔は「クレヨンしんちゃん」も見に行っていたし、「ドラえもん」も「ディズニー」も結構見に行っていたのに。子供が大きくなったのもあるし、あとでDVDで見る方法が手っ取り早いというのもある。でもやはり映画館で見るのが迫力が違うし音響もちがうのでいいものは映画館で観たいと思っている。
で、何かと噂の「君の名は。」をもう何年振りか忘れるくらい久しぶりに奥さんと見に行って来た。僕の相方は映画は始まったらすぐ寝てしまうという難儀な性格で連れて行き甲斐が全くない。
その本人が「見に行きたい」とおっしゃるので、元来アニメ好き、さらに年甲斐もなくミーハー的な僕としては「行きましょう」ということに。
見てきました。正直なところ大いに満足。ようこんなアニメ作ったなと思うことしきり。
ジブリの最近の作品には結構不満を感じている僕としては、変な感動を覚えて帰ってきた。
もともと風景が抜群にキレイだという話が飛んできていたが。それだけでなく、こんな奇想天外なストーリーを作り上げたなというのが実感。
様々な仕掛け満載、今のテンポに合っているのかな。
ちょっと単純なものに飽きていたので。
最後に2人がすれちがってしまう。このまま別れたままにするのかと思うのと、声を掛けろよ・・と複雑な心境で見ていたら、その通りなって、僕の奥さんは涙(今日は寝ていない)、僕ももらい泣き。
それと音楽も透明感あふれる画像にマッチしていた。もう歌っているお方は知らないけれど、さぞ才能あふれる方なんだろう。

2016/12/09

THE KINKS

この1曲だけで後世に名前が残るといっても過言でない「名曲?」
曲というより、このサウンドは、その後のハードロック、ヘビメタ路線の導火線となった。
時は1964年の9月ごろのイギリスでのヒット(イギリスでは1位)で、アメリカには翌年の春にヒットチャートを急上昇してくる。当時はまだイギリスとアメリカでは約半年くらいのずれがあって、イギリスとアメリカで同時に発売されるのは珍しかった。多分ビートルズくらいかな。他はイギリスでヒットしたという実績をぶら下げてアメリカ上陸を果たしていたように思うけれど、1965年になったら、もうストーンズやハーマンズ・ハーミッツみたいな、アメリカでファンがついたグループは同時発売だったように思う。

2016/12/08

COLD CASE

何にも知らずにこのDVDを注文したら(異常に安かったから)、どうも怪しいメールが送られてきて、調べたら詐欺だと書いてある書き込みがいっぱい。
9月に注文して、怪しげな日本語で「今私たちは手配してます」というメールが来て、毎月「まだですか?」というメールを出したら、また即「私たちはそれを手配するでしょう」とかまあいい加減な返事が来る。
そしたら、この間(10日くらい前)、「私たちはそれを送りました」というメールが来た。
送ったと言ってるから「まだですか」と聞けない・・・。中国の重慶あたりから来るっぽいですが、果たしてどうなることやら。

2016/12/06

眠れぬ夜のために

昔、40歳前後のころ3年ほど学生生活をしていたことがある。勉強熱心ですな・・聞こえはいいけれど、不可抗力的な意味合いも多く、学生生活が落ち着くまで悶々として毎日に過ごしていたことがあった。
その時、一番心が落ち着いたのがビデオの映画を見ているときで、当時はDVDはなくビデオだった。その時見た映画で結構気に入ったのが、この「眠れぬ夜のために」という映画で、真面目そうで真面目でなくドタバタで、カール・パーキンスやデビッド・ボウイがでてきたり、BB・キングの主題歌だったり楽しんで見れた。
主役は後にジュラシックパークで有名になるジェフ・ゴールドブラムで、この俳優さんがまさか自分が不本意ながら辞めた会社の広告に出てくるとはその時には夢にも思わなかった。相方はミッシェル・ファイファーでぼちぼち売れ出した頃かな。猫顔っていうのはこういう人のことだと常々思っていたら、後にバットマンのキャット・ウーマンに抜擢されて、みなさん同じことを思うのねと思った。
単純な映画ですが、当時は救われた1作です。

2016/12/05

ミレニアム

今日は昼間はほとんど雨だったので一日中DVDを見ていた。前にも書いたけれど、ほんまに耄碌してきて、以前見た映画やテレビドラマをすっかり忘れていて、今回初めて見る感じで新鮮に思えて、実に経済的に効率のいい??ことになっている
今日見たのは、ミレニアム3部作、大方7時間くらいを一気に見てしまった。
まあ耄碌したとはいえ、覚えている部分もあって、ああそこでこんなことが起きると予感したらその通りになる(当然!)・・。
とはいえ楽しく見ました。3部作なんで結構複雑なストーリーですが、やっぱり3部とも見ないとあかんのかなと・・・3作目の最後の「ありがとう」のセリフまで見ないと(スウェーデン語で有難うって?)完結したことにならない。過激なシーンも多く、お茶の間で見るのはお勧めしない。
アップしたのは3作目で助けてくれたお医者さんが病院を出ていく(警官に連れられて出ていく)主人公を見送るシーン。

2016/12/03

Jack Daniel's

バーボンの名酒ジャックダニエル黒ラベル・・・いくらですか??
今はコンビニで2000円以下でで買える。これを見ると実にがっくりくる。
僕の全盛期の頃(もうお酒はやめなはれ・・といわれる前)は8500円だった。
キープしたら・・・??
ただ当時、バーボンをキープする人はいなかった。スコッチとブランディーが一般的でしたな。
こういういい加減な値動きを見てたら、高いお酒が必ずしも美味しいとは言えないのがよくわかる。
個人的は、このジャックダニエル黒ラベルとバランタイン17年物が美味しかったですね。
そういえば、黒ラベルが高いから緑ラベルを飲んでいた。緑って今いくら?

GOING MY WAY


何時くらいから海外ドラマを見始めたのだろうと、暇にまかせて考えてみた。「逃亡者」以降はかなり鮮明に記憶にあるけれど、それ以前は、NHKが子供向けに放映していたものとか、自分で選んで見たような記憶の物はあんまりないなと思って考えていたら、思い出しました。
中学になったころに、NHKで「我が道を行く」という教会の神父さんの硬い番組があって、土曜日だったか、日曜日だったか、なんか難しい番組だった記憶がありますが、なんか気に入って見だしたのが海外ドラマを好んでみるようになった始まりの様な気がしてきた。
当時はまったく分からず見ておりましたが、今から考えたら、DVDの箱の3人は今や大物です。
ジーン・ケリー、レオ・G・キャロル、ディック・ヨークの3人。
多分、当時はジーン・ケリーが超大物、なんせ「雨に歌えば」のミュージカル大スター、テレビに出るのも当時としたら珍しかったのでは?レオ・G・キャロルはなんとナポレオンソロのウェイバリー部長で、最後のディック・ヨークは「魔法使いジニー」です。
「我が道を行く」はすぐ終わって、次に始まったのが「看護婦物語」だった。

NCIS

海外ドラマといってもアメリカがほとんどですが、もともと好きなのでよく見ている・・・といっても、どうも実態はよくわからない。アメリカで放映されているテレビドラマのどれくらいが日本で放送されて、そのうちいくらくらいがDVDでレンタルか販売されているのだろう?
僕のお気に入りのNCISは、アメリカではシーズン15まで来ているけれど、日本ではDVDはシーズン5までで、シーズン3で長~いこと次が出ず、もう出ないと思っていたらぼつぼつと4が出て、この間5が出て、重い腰が上がったように見えるけれど、これはNCISが本国で人気が高く続いている余波が押し寄せてきた感じである。
BS系のテレビでは日本でも放送されているけれど、最近は無精になって、昔のエアチェック(懐かしい言葉です)みたいに予約録画する気力も失せてしまって、レンタル屋さんに出てこないと僕の目には入らない。
面白いことに、BONESなんかはアメリカでシーズン12で、日本のレンタル屋さんにもシーズン11が届いている。これが一番リリースが早いですね。クリミナルマインドもここまで早くない。ワンシーズンのブランクがある。
最近はアメリカに住んでいる日本人で、最新の放映を見た方がブログにストーリーを書いてくれたりするから、気になっていても実際に見るのは1年半後くらいになって、もう喋れなくてもいいから、聞き取りだけで来たらなあという変な欲望に駆られている。
DVDだと英語の字幕が出るのもあって、時々チャレンジするけれど、もう途中でリタイア。
何べんも見て、だいたいセリフの内容が分かっているスターウォーズあたりから始めるべきかなと思っている。要は子供でも分かる映画からということですね。

2016/11/30

jimi hendrix

生きていた年数の割りに膨大なCDが出てくる。
ギタリストの投票でもこの人だけは別格で、誰も彼が1位であることに異議を挟まない。まあジミヘンは断トツ1位ということで、ジェフ・ベックもクラプトンも2位争いに参加という感じ。
この人のすごいところは気楽にカバーもんをやって、その演奏がすごいところで、モンタレーでのディランのライク・ア・ローリング・ストーンなんかはもう圧巻。
ビートルズのサージャントペッパーズも驚くばかりで、極めつけはアメリカ国歌だった。

2016/11/29

ELECTRIC LADYLAND

ジミヘンがにわかに注目された時に発売されたこのレコードは、アメリカで1位になった。衝撃的なジャケットで買いにくかった。もう忘れてしまったけれど、イギリスとアメリカでジャケットが違っていてジミヘン自身がこのヌードジャケットを好まず、今はごく普通のどちらかの国のジャケットでCDは販売されている。日本は当時このジャケットでさすがに高校生の頃は買いにくく、買ったのは随分後になってからである。
ボブ・ディランのの代表的なカバー曲「みはり塔からずっと」がこのレコードに収録されている。
当時なんでも2枚組だという時代で、レコード会社によって4000円、3600円、3500円、3000円という値段だっと思う。高校生にはきつかった。

2016/11/28

ELEMENTARY

 
ちょっと時間があったので、エレメンタリーを通しで見ている(2回目)。
シャーロック・ホームズが現代のニューヨークにいるという設定で、ワトソンはなんと女性、さらに宿敵モリアティーも女性。
イギリスのBBCでもシャーロックの現代版を作っているから(こっちも面白い)、やっぱり日本の金田一より一般市民に浸透しているような気がする。
シャーロックを演じている役者さんが、なかなか凄くって、長い科白を早口でまくしたてる姿を見ていると、これってセリフだよね??馬鹿では役者はできないなとおもうことしきり。

2016/11/19

NAPOLEON SOLO 2


最近はシーズン10以上、つまり10年以上続いている番組が結構あるけれど、昔は5年も続けば長寿番組だったと思う。
ナポレオン・ソロは4年くらい??
途中でカラーになった。この時期、家庭の貧富の差を感じる一瞬がよくあった。「昨日の〇〇きれいやった」・・・・美人の形容ならOK,色のこと言われたら「うちは貧乏や」と奈落の底に・・・大袈裟ですが、徐々にカラーテレビを持っている家が増えていき、我が家もカラーになったのはかなり遅れてのことだった。親父は「色黒が長持ちしてね・・」と負け惜しみを言っとりましたが。
ナポレオン・ソロは完全版のDVDが手に入りますが、日本語字幕がない。どうも英語の字幕はあるみたい。絶対に日本語字幕バージョンは出ないと思うからどうしようかと悩んでいる。
いままでろくに意味の分からん向こうの音楽ばかり聞いてきたんやから、よく考えたら一緒かなと思ったり。


2016/11/15

ROBERT VAUGHN

この人も亡くなった。ナポレオンソロのロバート・ボーン(前の方の人ね)。
毎週楽しみに見ていたのは何時の頃だった??高校生の頃ですな。1967年くらい?
007の映画が流行って、0011のナポレオンソロがテレビに登場、アンクルとスラッシュの戦い(知らん人には全く分からんですね)。映画も何本か作られた。見に行ったもんね。
実に単純なストーリーが多かったけれど面白かった。当時のテレビで人気のあった女優さんはほとんどゲスト出演している。スーザン・オリバーやダイアナ・ハイランドとかね。
アップした写真の後ろは、相棒のイリヤ・クリヤキン役のデビッド・マッカラムで、NCISのダッキーです。よく考えたらこの2人、元気で現役で活躍していたことになる。
それと、この2人、背が低いコンビだったのが今になってわかる。NCISのピクチャー見たら一番背が低い。そう思って見たらゲストの女性が同じ背くらいのがよくある。ヒールはいたらダッキーより高い。
ただDVD全部手に入りますが日本語訳はおまへん。英語の字幕はあるみたいなので頑張ろうかと思案中です。
お疲れ様でした、合掌。

LEON RUSSELL

レオン・ラッセルが亡くなったという訃報が飛び込んできた。
よく考えたら、僕はこの人のソロアルバムを1枚も持っていない。
彼が参加しているレコードとCDはわんさかとあるけれど。
不思議な雰囲気のアーティストだった。ウィキペディアにも書かれてあるけれど、あのベンチャーズのレコーディングに参加しているのはマニアの中では有名な話で、この人若い時から活躍してして、突然ひのき舞台に飛び出してきた感がある(僕には)。
ジョー・コッカーのあのツアーの映画辺りからかな?ジョージ・ハリスンのバングラデッシュコンサートでも目立っていたし。
とにかく、お疲れ様でした。合掌

2016/11/09

フォース鉄道橋(FORTH BRIDGE)


 
もともと、イギリスの通貨の話をしていたときに、イギリスでは数種の紙幣が流通しているという話になって、田舎者の僕は信じられなかった。
調べたら、確かにスコットランドもアイルランドも独自の通貨を出していて、イギリス国内では立派に使えるらしい。日本では両替は無理。
さらにスコットランドの紙幣には日本人がのっているという話も出てきて、そんなあほな??ということでネットで調べたら、渡辺嘉一という橋の技術者が紙幣の中に刷られているらしい。何者や??
東大を首席ででた橋の技術者らしい。エジンバラにかかっている「フォース橋」という建設に貢献したということで功績がたたえられている。この橋が下の写真・・・・「まてよ???」これって見たことがある???思い出しました。ビッグ・カントリーにいた今は亡きあのスチュアート・アダムソンが在籍していたスコットランドのスキッズというバンドのベスト盤のジャケットの使われていた。
めっちゃ有名な橋らしい。文化遺産にしていされているらしい。
それと渡辺嘉一という人はあの朝比奈隆のお父さんということで、すごい人にはすごい親がいるという話でした。

AHDN

ビートルズの「ヤアヤアヤア」のワンシーン。
左の女性はプルーデンス・ベリィで真ん中は言わずと知れたパティ・ボイドです。
この映画に出たことでジョージと知り合いゴールイン。

2016/11/06

紀元弐千年

二千年のこの漢字がワープロでは出ないみたい。
久しぶりにCDを聞く。
驚異的な時代の先取り感覚。ずば抜けてます。僕はこれは聞いたけど、他のフォークシンガーは聞く気がしなかった。
圧倒的な差(頭と感性)がありすぎたと再確認した次第。
ジャケットもこの時期すごいと思う。この時期の日本のレコードジャケットって見るも無残なものが多かった。

2016/11/05

お父帰れや

ちょっとロック路線から外れたから、こういうのも書いとこ。
岡林の「お父帰れや」という歌もなかなか味があって好きです。
このレコードではB面(裏)ですが、あんまり表裏は関係おまへん。
この頃の岡林信康はインパクトがありました。
僕らの知らない世界を歌で知らしめました。
「チューリップのアップリケ」「手紙」なんかもうどんな本でも及ばない訴求力があった。
小さなトランジスタラジオで涙して聞いていた頃が懐かしい???のがいいのかどうか??

2016/11/04

寺島まゆみ

「寺島まゆみ」という名前でどの姿を思い出すかは、同世代の間で昔話をしていると結構楽しい。日活ロマンポルノ時代から歌手の時代、深夜放送のパーソナリティの時代、テレビの時代・・と一時は大活躍だった。実家の焼き鳥屋の看板娘で時々お店に出ているというから東京まで行ってみようかなとアホ仲間同士で盛り上がったこともある。
で、この寺島まゆみの出したシングルレコードの中に「寝た子を起こす子守歌」という歌があって、いろんな人が歌っている。宇崎竜童の作品。
僕はこの寺島まゆみのが一番好きですね。本当に味がある。

2016/11/01

パパ・ヘミングウェイ

昔、これが発売されたとき、こればかりカーステレオでかけていたことがある。
何ともほんわかしたゆとりを感じる世界で不思議な世界だった。
安井かずみと優雅な生活を満喫していた頃の作品ということに今ではなっているけど、当時の僕はそんなこと知らないので、なんで「ヘミングウェイなん?」って思っていた。「帰ってきたヨッパライ」と「キリマンジャロの雪」との違和感の方が強かった。
レコードを持っていると思っていたけれど、よく考えたら、当時業界に勤めてていた友達からサンプル盤を貸してもらってテープに録音したんだった。だから当時の音楽は好き嫌い関係なくやたテープに採って聞いていたから詳しい。

2016/10/31

帰ってきたヨッパライ

もう何べんも書いているから、繰り返しませんが、これが出た時は、かなり周りに本人たちを知っている人がいたので、なんか身内からスターが現れた感じがして。変な高揚感があった。
その後の活動も芸能界に巻き込まれるというのでなく、彼ららしさを維持していたし、高尚で捻りが効いていて、関西的味付けがあって楽しかった。解散後の活動も彼ららしかった。北山修はもう医学の方に、はしだのりひこはそのまんまフォーク路線で、そんで加藤和彦は???この人何がしたかったんだろう??
よく考えたら、目指していたのはビートルズなんですよね。びっくりさせてくれる音楽…と考えたら、加藤和彦の初期の世界が見えてくる。安井かずみと一緒になったあとは、ちょっと違う世界になってしまいますが、これもなかなか粋で素晴らしかった。

2016/10/30

加藤和彦

加藤和彦が亡くなって何年経つのだろう。
10月ごろになると思い出します。最近毎年10月には北海道に行く仕事があって、確か北海道のホテルにいた時に弟から「加藤和彦が自殺した」というメールが来たことを思い出す。
この人はほんまにしゃれた人で面白い作品を数多く残してくれてます。
どこまで本気かなというのも多かったですが「ダンスがスンダ」「サイクリングブギー」とか、でもやっぱり極めつけは「タイムマシンにおねがい」かな。

2016/10/27

ゲンガー

以前、ポケモンGOを始めた時に、いつかはゲンガーをゲットしたいって書いた記憶がありますが、今まで、ゴースを進化させるのにあと2~3か月はかかるかなと思っていたら、突然今日からハロウィン期間で、ポッポやコラッタが出なくなり、代わりにゴースとゴーストとニャースがやたら出てきて、しかも点数が2倍ということで、あっという間に「ゲンガー」に進化してしまった。
挙句の果てにご本人が登場して、それもゲットで、今日1日でゲンガーさん3匹という、喜んでいいのかわからん摩訶不思議な感情で一日が終わりそうである。こんなことになるなら、ゴース連れて歩くんじゃなかった。
でもまあ久しぶりにわくわくしたから楽しかったですな。

2016/10/25

EMMYLOU HARRIS

昨日アップしたボブ・ディランの「欲望」というレコード(CD)はそれほど沢山持っていないディランの作品のうちのお気に入りの1枚です。その「欲望」のレコードでディラン以上に有名になったのがこのエミルー・ハリスというカントリーシンガーで、これでブレイクしましたね。
この「WRECKING BALL」というCDは、カントリーが苦手の僕でもお気に入りの1枚です。
これはもうカントリーではないですね。
プロデュースはあの「U2」のダニエル・ラノアなんで。

2016/10/24

bob dylan

ボブ・ディランが面白いことになってきた。ノーベル賞受賞の時に、レセプションに来るかな?って書いたけれど、その時、直感的にボブ・ディランが「有難うございます」って言うとは思えなかったから。
あんまり関係ない世界で生きている人だからね。
そしたらノーベル賞を授与する関係者がキレたみたいで、文句を言っているみたい。思いあがったらあかんということではないかな。
万人が喜ぶもんでもないということが分かっただけでも今回は収穫だったのでは。
果たしてどうなりますやら。誰が説得に行くのかな?

2016/10/23

雪が降った

20、21と千歳に仕事でいた。毎年この時期に行っていて、いつも夏服で行っている。ところが20日の夜、ホテルから外を見たら雪が降っていて驚いた。ホテルの人の話でも異常に早いということだった。
アップしたのは翌日の朝の写真で、この時は既に止んでいて道路は凍っておらずノーマルタイヤで運転可能な状態、よく見ていただければ、車の上が真っ白だということが分かります。
大阪に戻ってきたら10度も違っていて、日本も広いというか、南北に広い?ということを実感しました。

2016/10/18

ラオスに何があんねん?

こんな本もある。
面白いですよ。
大体、本格的な作品以外が意外というかかなり面白いという作家で、僕は村上朝日堂系とか旅行記とかなんというかメールのやりとりのまとめたものとか気に入って読んでます。しかも繰り返しね。
意外とこの作家はマーケティングがすっごく上手い気がする。今までの作家というジャンルに全くはまらない。
それぞれの読者はすっごくつながっている錯覚に陥っているように思える。そりゃ本人から返事が来ている気になるんだもんね。
旅行記は「遠い太鼓」が面白いね。あれはほんまに面白い。

海辺のカフカ


僕の読書の流儀というか読み方は毎日規則正しく読むというのは無理で、もう会社をさぼってでも最後まで読んでしまう感じの読み方なんで、サラリーマンには向いていなかった。今はまあ自由業なんで、明日休んで読んでしまおう・・・ということも割と簡単にできる。 特に推理小説になると犯人が分かるまで読んでしまう。もっとひどいのは犯人が分かるところを先に飛ばし読みで見つけてから、初めに戻るという荒業もやってしまう。
ボブ・ディランのノーベル賞ついでに、久しぶりに難解で有名な「海辺のカフカ」を読む。2002年に買ってなんと14年も積んであった本です。
面白かったですね。ちょっとどころかかなり訳が分からんですが、でもこの人も会話文が上手い。意外と宮部みゆきの本を読んでいるような気になるときがある。
この本から爆発的に海外で翻訳されるようになった気がする。

2016/10/13

BOB DYLAN

ノーベル賞の文学賞がなんとボブ・ディランになった。授賞式に来るのかな??
村上春樹が受賞するのかと言われて数年経つが、ボブ・ディランなら本人も残念に思うまい。
ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補なら、なぜもっと早く授与しなかったのかと思う。
それと、待ちわびてる村上春樹のファンって、あれはいただけない。僕は1作目からの読者で結構作者の気持ちが分かってるつもりやけど。どう考えても本人がそのような(ノーベル賞を望んでいるような)「ファン」を好んでいるはずはない。大体前評判自体が迷惑至極な存在だと思う。正直僕には気持ち悪い集団です。徒党を組むなよ。もっと孤高の存在であるべきだ。
もともと村上春樹は他の作家と全く違う読者との関係を築いているから、本人の気持ちは分かりそうなもんやけど・・・。
ただ、もらっても僕の嫌いな川端康成と大江健三郎と同等と思われるのはご本人はどうかなと思うことが多く、もらわない方がいいと思うことが多い。
大体、日本語が分からない連中が決める話なんですよ。数多いるほとんどの世紀の文豪がもらっていない賞でっせ。
ノーベル賞は、平和、文学、経済は選考のレベルはかなり低いと思っている。経済学はある意味偏重していて平和賞は話題優先で結構ひどい。文学はアジアから選ばれるのはご機嫌取りに近い。選考するレベルの差が如実に出てしまっている。

2016/10/12

11/22/63

電車の文庫本の新刊の広告を見ていたら「11/22/63」っていう本がありそうだということが分かった。文庫本なんで多分ハードカバーは半年から1年前くらいに出ているんだろう。よく見たら。作者はあの御大スティーブン・キングで、表題からもうこれはケネディ暗殺の事件を取り扱っていることはわかる。僕はホラーもんオカルトもんは嫌いなので、自動的にスティーブン・キングの作品は除かれてしまって今まで1冊も読んだことがない。周りには薦めるひとも多いけれど読む気にならない。
さて、この本、ちょっと読んでみたい気がする。調べたらハードカバーで上下2冊、文庫本は上中下の3冊、ちょっと長いかな。
でも絶賛の書評が多い。
当時の若者に少なからず影響を与えた事件だった。前回1964年が僕に海外に目を向けるきっかけだったと書いたけれど、正確にはこの1963年の11月23日(日本では)のNHKの衛星中継の実験の番組でケネディ暗殺の事件が流れた時からがきっかけだった。多分そのような同世代は多いと思う。

2016/10/10

1964東京オリンピック

今日は祝日で、最近は祝日乱発と連休にする調整で祝日の意義が段々と希薄化している傾向があります。ほんで今日は何の日???
「体育の日」・・1964年東京オリンピックが開催された日・・
確か土曜日だった??(調べました土曜です)
翌日から水泳、ショランダーが大活躍でした。ロイ・サーリが残念でした。スタウダーがすごかったけど、フレイザーに負けました。100メートル自由形、ハグベリは決勝まで残ったけれど残念でした(わかる人いるのかな?)
棒高跳びもすごかった。「夢で逢いましょう」の途中まで入り込んでいた??
アップしたのは伝説の「アベベ」のマラソンの折り返し風景、最後尾からスタートして世界最高記録でフィニッシュという、ほんまに神様のような出来事でした。
「折返点」って、当時この「点」だった??
1964年は僕の人生にとっても最も影響が多くあった年で、4月にビートルズ、10月にオリンピックで一挙に国際感覚が広がってしまった。
僕の思想(そんな大げさなもんでもないですが)のすべてはここから始まったような気がする。
という意味でも記念すべき日、昔は運動会はほとんどこの日にやってましたね。
では今から市川昆の不朽の名作「東京オリンピック」を見ましょうか。何べん見ても名作だと思う。
これはダメだといった馬鹿な政治家がいたよね。政治家って馬鹿が多い典型だと思う。

太陽の塔 2

モノレールからの景観はこんな感じです。
ここのモノレールは、僕がよく乗っていた神戸のポートライナーなんかと違って、柵がないから「ほんまに怖い」感じがする。「大丈夫かな、落ちひんかな・・・」とね。
それはともかく、太陽の塔が真正面にど~んと出てきたときは結構威圧感があります。
この顔は怒ってるんでしょうか??「日本よ、もっとしっかりせい」と??

2016/10/08

太陽の塔

先日、モノレールに乗って伊丹空港に行ったときに、久しぶりに「太陽の塔」を見た。アップした写真の屋根はなく、緑の中に「ど~ん」と鎮座されてます。
あれは残してよかったなあと思う。詳しくは知らないけれど「岡本太郎」らしい作品なんだろう。
茨木に住んでいたときは、子供たちをこの万博公園によく連れて行った。安上がりだったし。入場料が一人100円だったように思う。子供たちを勝手に遊ばせて、僕は缶ビールを飲んでゴロンとしていたような。
SBのマラソン大会もこの近くにあった陸上競技場からスタートして、公園の中を子供たちが走った。瀬古選手も一緒に走ったこともあった。
88ロックデイもここでやっていた。大上瑠璃子のスタキンも出ていたような記憶が・・・。もう古い話です。
日本の戦後復興の最終ラウンドだったようにも感じる。ここまでは高度成長ベースでどんどん世の中は栄えそうな気がしていた。

2016/10/03

GARY PEACOCK TRIO

ロックの方はあほみたいに知識を入れすぎたので、素直に聞くという行為がなかなかできないという欠点がしみついてしまった。
最近は何にも考えずアップしたこのようなJAZZをなんの知識も仕入れず聞いている。
JAZZの方も能書きを・・凝りだしたらROCK以上だと思うけれど、敢えてそこは無関心でいこうと思っている。
このCDいいです。無我の境地ね。

2016/10/01

レアもん

今日は久しぶりに北海道に仕事で行って、帰ってきた。行はANAで帰りはJALだった。帰りの飛行機の座席の背もたれに雑誌が入っている。JALの月間の会報みたいなもので、適当に見ているうちにどういうわけかこのCDがアップされていた。書いたのはそこそこ名の売れた方なのだろうと思うが僕は知らなかった。
ジョン・サイモンの「ジャーニー」・・・粋なのを選んだなと思いつつ文章を読む、結構いい文章だったように感じた。
さて、家に帰って聞こうか??レコードはあるが手元にない(実家においてある)、じゃあCD買っちゃおうか???アマゾンで検索、中古しかなく、4万円???
おいおい4万の価値はないと思うで・・・・でも聞いたことのない人には舞い上がるのかも。
とまあどうしたもんじゃろ・・・という1枚でした。

2016/09/26

EIGHT DAYS A WEEK

なんか最近やたらと、ビートルズの映画を見たかと聞いてくる人が多く、いまさらビートルズでもないやろと思っていたら、ぜひ見るべきだとのたまうお方が増えている。ビートルズフリークの僕がまだ見ていないのはおかしいとまでおっしゃる。でもこの映画この間封切ったばかりでしょ?未公開の映像が満載と言われているが、厳密にいえばそれほど見新しいフィルムがあるわけでもないけれど、そこはあのアメグラのロン・ハワード(その時は俳優さんですが)の編集能力の高さが出て「ええ」らしい。
もう最近は映画館に入る術も知らんようになって(いつも子供と一緒やから)。一人ではよう入らんことに。最近は全席指定席で、はよいってええ席とるという概念がお若い方に通じない。
そういえば「ビートルズがやってくる ヤアヤアヤア」を上六まで見に行ったのが1964年の9月だった。まず立って見た。今では考えられない。52年もたっている。動く姿を見たのはその時が初めてだった。「恋する二人」のジョン・レノンはほんまに恰好よかった。
should have 過去分詞 の構文はこれで覚えた。
いまはすぐユーチューブなんかですぐ見れるし時代はドンドン変わっていると実感しつつ、それでもビートルズは不滅というところですか。
ネットで予告を見たらニュース形式の白黒画像はドキドキします。
EIGHT DAYS A WEEKときたら、どうしても五月みどりを思い出してしまう。
一週間に十日来い・・・・できるわけがない。
英国人も日本人も同じ発想???

2016/09/20

SUPER SESSION

ポップスというか洋楽のグループのメンバーのうちの演奏力の高い連中が次第にミュージシャンという扱いになっていったのは、多分このレコードが出た頃からと思う。早い話が上手い奴だけが生き残っていったということ。ヤードバーズからはクラプトンとジェフ・ベックとジミー・ペイジの3人がゼムからはヴァン・モリソンがスペンサー・デイビス・グループからはスティーブ・ウィンウッドというようにね。別の見方をすれば、ずっとグループ名で活躍できたのはある意味すごいことだと思う。個人個人がすごかったわけですな。ビートルズとかストーンズとか。
このその名も「スーパーセッション」というアルバムが出たとき、一体何?と思った。誰も知らんもん。雑誌の評価は結構高く、時代の変わり目が来ていたわけです。
マイケル・ブルームフィールドはポール・バタフィールドのバンドにいたギタリストでアル・クーパーはブラッド・スエット・ティアーズにいたマルチタレント。この時点で僕はまったく知らなかった。後で調べたから知っているだけ。
ステファン・スティルスだけちょっと知っていた、ヒット曲を出していたバンドにいたから。
どう考えてもLPレコード1枚出せるくらいの知名度がなく、シングルカットできるくらいのヒット曲候補もなく、当時の僕の感覚では、僕のフィールド(要はヒット曲中心のポップス)のレコードではないように思えた。

2016/09/17

こち亀

 
「こち亀」が完結するということで話題になっている。初めから今までずっと毎週読んだ人は何人いるのだろう??40年間、中学から読んでも52~55歳。
僕は始まった時は読んでました(サラリーマンでしたが)。「山止たつひこ」だったかな。こんな名前使っていいのかなと思いながら・・・・、初めはもっと過激だった。絵も今の様な両さんでなかったし。名前から「がきデカ」と比較して読んでた気もする。ハチャメチャな警官だった。ただ結構はやく絵はこなれてくる。
僕は多分、50巻くらいまで実家においてあると思う。4年に1度目が覚める霊感能力のある警官とか。
ネットで今の出演者を見たら知らない顔ぶれが増えていて面食らっている。中川と麗子と大原部長は不動ですが。
アップしたのは、バイクに乗っていた「本口リカ」という娘で今も覚えている。イタリアのモトグッチから来てましたね。この漫画がどういう層に受けたのかはわからないけれど、僕はこの作家の実にマニアックなところ、こんなこと書いても読んでいる中学生や高校生にはわからんやろ・・・という奥の深いのが多かった。それと下町の人情ですか。仕事で松戸に行っていたとき、亀有で降りたこともある。当時はまだ街をあげての動きはなかった。
特に今でも覚えているのは、両さんにフィギアを見せているマニアのおっさんで、両さんが「これは誰だ?」と聞いたら、ゴルゴ13の「ラオスのけし」というエピソードに出てくるバーテンダーです・・というセリフがある。当時僕は両方読んでいたから、実に楽しかった。(意外と覚えている奴が多い)。
200巻まで揃えますかね。年とったから1日に10冊読めるかな。それでも20日。10万超える!!

2016/09/10

BADFINGER

前回、アップルレコードのことを書いたら自ずからこのバッドフィンガーのことが思い出されてきた。いわゆる悲運のバンドという言葉が相応しいのかよくわからないけれど・・・やっぱり可哀想なバンドです。メンバーのうち2人(右上のピート、左下のトム)が首つり自殺。
ビートルズの弟分、アップルレコードの秘蔵っ子・・・・飛ぶ鳥落とす勢い・・のはず。
なかなか実態は大変だったみたいで。
今から考えたら(当時もそう思っていたんですが)、結構地味なバンドだったのですね。あんまりスター性がなく、サウンドも当時ではちょっと古くなりつつあった(ポップス路線)。だからサウンド的にもビートルズの弟分と言われたのかなと思っている。3分から4分のヒット曲を狙う。一時パワーポップとも言われたけれど、ハードロック路線と昔のポップスの融合というところかな。
でも、ここにアップした4曲はすごいです。「明日の嵐」は好きですね。今でもよく聞く。
それに、「ウイズアウト・ユー」・・ニルソンが歌って全米1位(この印税がピートに入らなかったのが悲劇の始まり?)
「嵐の恋」と「デイ・アフター・デイ」は彼らのアメリカチャートインのヒット曲。
右下のジョーイ・モーランドだけが生存。