2015/12/31

レコード大賞

昔々レコード大賞ってものすごく権威のあるものだと思っていた。さらにそういう選定に賛同していた。ところが僕が高校1年の時、その年(1966)は当然加山雄三がもらうと思っていた時に橋幸夫の「霧氷」(10月発売でほとんど知らない)がレコード大賞を受賞して、それ以降全くレコード大賞の授賞式は見なくなった。それ以降全く見ていないし、権威が失墜した時はあの時点だと思っている。それまではやはりそれだよね・・・という国民のコンセンサスがあったと思っている。
1966年の加山雄三の「お嫁においで」は大阪の吹田の市民プールでひと夏中かかっていたという超大ヒットで、誰が考えてもその時のナンバー1ヒットだった思う。これでもレコード大賞はもらえなかった。他にも1966年は加山雄三しかヒット曲はなかった。・・・グループサウンズは別格です。GSはアホのNHKが出演させなかったから・・・・。橋幸夫のは10月の発売で実績は全くなし。授賞式で初めて聞いたという人も多い。
この頃から「レコード大賞」は大衆の民意を反映しなくなったくだらないイベントに成り下がったと思う。
蛇足ながら、NHKはGSを無視した罪と外国のロック音楽を無視したおかげで若者の心を取り込むのに随分その後苦労する。
この頃から、レコード大賞も紅白も見なくなった。今も全く見ない。

猿??

来年は申年ということで、猿のジャケットのレコードを思い浮かべてみるが意外と難しくあんまり出でてこない。ヘビメタのUFOにあったかなとか・・。その代りにというかモンキーズを思い浮かべて、こいつらは猿のモンキーから来たのかどうか?当時は話題にもならなかったような。
僕がよく立ち寄るセブンイレブンはこのモンキーズの「デイドリームビリーバー」がずっとかかっていていつも思い出させてくれる。
年賀状も一応昨日出して、その時に何気なく思い出したことがかなりあって、昔勤めていた会社の女の子たちで、辞めたころにはかなりの年賀状をもらっていたが、段々と疎遠になっていき辞めて27年経った今ではもう固定客?に落ち着いている。
昔のその会社で、貿易関係の課にいた女の子がよく年賀状をくれていたのを思い出した。名前は思い出せない。どうもお金持ちの娘さんらしく持っているもの身に着けているものが高そうなものが多かった。その子がまたその会社の購買課の男の子と一緒になったという話は風のうわさで知っていて、その後その男の子が転職してその後自殺しちゃったという話が舞い込んできて、あの残された子は今どうしているんだろうか??とか年賀状を書きながら、もう出さなくなった人のことまで思い浮かべて、歳をとるとメモリーいっぱいでしかも規則的にアクセスしないことも起こり、ほんまに人間の頭の中の構造って不思議だなあと思うことが多い。
ほんまにあの子はどうしてるんだろう?再婚して幸せに暮らしているといいですけど。

2015/12/30

MOTORHEAD

モータヘッドのレミー・キルミスターが亡くなった。この辺になるとそれほど詳しくないけれど、元ホークウィンドということで、僕のこだわりのジャンルのギリギリのがけっぷちにいるバンドになる。一応持っててる。
日本盤のレコード、解説は大貫憲章に伊藤正則ということで聞く前からサウンドは想像できる。
なんというかミュージシャンズミュージシャンというようなところもあって、このバンドを模倣しながら成長してきたバンドも多い。
例によって合掌。

2015/12/29

鎖国以降

おおかた250年くらい外国と行き来をしなかった国って多分他にないのだろうと思うけれど、(大体ほとんどの国が地続きです)明治になってから日本はどんどんと文明国?西洋化?・・・まあ先進国の仲間入りを目指して頑張ったわけ。そこから太平洋戦争で負けるまでなんか熱病にとりつかれたかのような獅子奮迅の活躍?で、いいこともあったし悪いこと?もあったというのが歴然とした事実ですな。
その悪いことの一つが韓国との慰安婦問題というかその前の日韓併合からの植民地化政策に端を発するのだと思うけれど、一応、年内にけりがつきそうで「めでたし」というべきなんだろう。
不可逆的・・・この言葉は実に重要だと思う。全世界に知らしめておくべき言葉だと思う。
今の韓国に対してそんなに不満はないけれど、この「不可逆的」発想がほとんど欠落している民族だと思うことが多いので、実にいい取り決めだったと思っている。

2015/12/28

13TH FLOOR ELEVATORS

本家のものを探してきた。懐かしい。こういうフワ~とした文字が流行った。曲よりこの文字がサイケの代名詞みたいだった気がする。このバンドのステージの風景は普通のジーパンにブレザーとかで衣装というものはないみたい。
共演はサー・ダグラス・クインテットここまで来るとさすがに日本では聞いた人は少ないだろうね。

THE MOPS

こういうジャケットも保存してあった。モップスのLPレコードで「サイケデリック・ソングス・イン・ジャパン」と名づけられている。どんな曲が入っているのだろう??
サイケデリック??代表曲ってなんだったのだろう??
ドアーズもそういわれていた気がするし、ジェファーソン・エアプレインもそうだったな。
ビートルズもリボルバーやサージャントはそんな雰囲気ムンムンやし・・・・そんな雰囲気ってどんな雰囲気・・・薬でいい気持になっている感じ(経験ないですが)??
でもそんな大物でなく、13thフロア・エレベーターとかいうグループとかがレアもんで面白そう。でもある意味超大物ともいえますが。
ストロベリー・アラーム・クロックもそうなのかな。相変わらず昔の話です。

2015/12/25

不思議な体験

今日は大阪市城東区の放出というところまで仕事で行った。帰る時間が早かったので、学園都市線で京橋まで出て大阪経由で帰ることをせず、ゆっくりと田辺まで出て近鉄に乗り換えて帰ることにした。田辺はJRが京田辺、近鉄が新田辺という駅名でややこしい。
JRから近鉄に乗り換えて、ちょうど急行が来たから乗ろうとしたら、ベンチに座っていた同年代の男性が僕の顔をしげしげとみて「〇〇〇やな」と昔いた会社の名前を見て握手を求めてきた。僕は全く名前を思い出せず、「失礼ですが・・・」と言おうと思っている間に、ホームの向かい側に停車していた各駅停車に同僚の方と一緒に行ってしまった。握手だけでよかった・・・のかな。実にすがすがしいでもなく嫌な思いでもなく、実に摩訶不思議な気持ちで京都まで揺られて帰ってきた。いったい彼は誰だったんだろう??

2015/12/22

悪役

書くことが思いつかなくって昔保存していた画像を見ていたらこういうのを保存していた。グレート東郷とシーク・・・もう若い方は知らないよね。特にグレート東郷の方は吸血鬼フレッド・ブラッシーとの血みどろの対決はテレビ中継で心臓まひで死んだ年寄りが出て社会問題にもなった記憶がある(僕が小学校の頃かな)。シークの方は結構新しくって、日本に来る前から名前だけは知っていたレスラーで、日本ではあのアブドラ・ザ・ブッチャーとコンビを組んでザ・ファンクスとの因縁の対決はこれまた血みどろのもうめちゃくちゃな試合となったような。怖いもの見たさで見たけれど飯食いながらはしんどい試合でしたな。

2015/12/21

007とSTAR WARS

007とスターウォーズの大ファンである。それが今月はあろうことか両方とも封切りで盆と正月がいっぺんに来た感じである。007はもう50年以上で25作目ということらしい。スターウォーズは1977年(日本は1年遅れ)からだとそれでも38年・・・ただスターウォーズは7作目。
スターウォーズを初めて見たときはぶっ飛んだ。何に??あの初めに出てくるこう航空母艦みたいな宇宙船にである。ず~ぅっと続いて出てくる。いつになったら最後尾が出てくるのか??あの時の感激は今でも覚えている。阪急梅田のOS劇場だったかな。今はナビオ阪急になってしまいましたが。
なんか噂によれば、007のダニエル・クレイグがストーム・トゥルーパーのお面?をかぶって出ているのだそうである。そのシーンを多分映画館で見つけるのは難しいやろから、その辺の楽しみはDVDになってからですな。

2015/12/16

軍隊と経営

こういう本がある。名著と言われているが嫌いな人も多い。
嫌いな人は大抵僕の感想を言わせていただければ、理論的行動ができない人である。
戦争も経営も基本は同じだと思うことが多い。精神論をぶち上げる企業は早かれ遅かれ倒産する運命だと言える。そういう意味では日本は初めから敗北する運命だったように思える。
太平洋戦争についてはいろいろ考えることが多いけれど、アメリカの方が圧倒的に人を生かすことを考えていたように思う。

2015/12/15

忠臣蔵

昔の話である(まあいつも昔の話ばかりですが)。大学2年になって後輩ができた。さる部活のサークル活動の時に、ミーティングが終わりさあ帰ろうかという段になって、後輩の男の子が「今日は討ち入りの日やな」と言った。すると女の子たちが「そうや忠臣蔵の日や」と言った。僕はおいおいお前ら時代劇愛好家か???と突っ込みたくなるような会話だった。
僕の1年下の後輩たちは実に物知りばかりでいろんなことを知っていた。
12月14日・・まあ旧暦では随分違いますが、一応、1700年くらいの話ということです。
赤穂浪士・・・もう知らん人も増えてるでしょうね。
萱野三平の住居(生家?)が大阪の茨木市にあって、昔、茨木に住んでいた時の母親が行きたいというので連れて行ったことがある。西国街道の椿の本陣の近くだった。
アップした映画は健さんの最後の時代劇だったということで、僕は偶然招待券をいただいていたので見ました。

2015/12/14

杉本章子さんと宇江佐真理さん

杉本章子さんが亡くなって、久しぶりにこの「東京新大橋雨中図」を読み返している。元々は写楽関係の本が出たら買って読んでいたので、「写楽まぼろし」で知って、この直木賞をとったこの作品の2作だけしか知らない。
そういえば宇江佐真理さんも亡くなって(奇しくも同じ病気)、この人も写楽もので知った作家で。お2人とも時代劇をよう書けるもんだなあと感心していた。歳は僕と同じか少しだけ若いのに、どういう勉強したら・・・ただ好きで読んでいたら知識がつくのかといえばそうでないと思うし・・・。
おかしなことに宮部みゆきさんに関しては僕は時代物は1冊も読んでいない。なんか変な抵抗がある。読めばはまるんでしょうけど。
この「東京新大橋雨中図」はいいです。味がある。
改めてお2人の冥福を祈りたいと思います。

2015/12/13

CLOUD

なんかクラウドの時代なんだそうである。「クラウド」と「IOT」という言葉を連発すればお金が集まるらしいとベンチャー企業の社長さんたちはおっしゃる。
安全だと言われても気味が悪いから使っていなかった。そんなん安全やゆうてもあてにならんのが世の常だと思ってるから。
ただIPHONEのショートメールを保存して置くのに毎回ITUNESを使うのにかなり抵抗があって、昔ウィンドウズのデータがIPHONEに流れた(バックアップにならん)ことがあって大慌て、入りきらんがな・・・。まあこっちのスキルが低いだけの話ですが。
とにかくパソコンから転送していないメールだけはクラウドにバックアップしようと一大決心をし、ただいま取り組んでおります。

2015/12/10

野坂昭如さん逝く

僕らが若いころのややこしい見本みたいだった「野坂昭如」さんが亡くなった。
主義主張が好きだったとかという気に入り方でなく、もうハチャメチャな生き方が好きだったですね。
両極端的生き方というか、うまく言えませんが「優しさ」を隠すために破天荒路線を突っ走るというか・・。
意外と知られていないのが真理ヨシコさんのヒット曲「おもちゃのチャチャチャ」の歌詞はこの人です。
ソ・ソクラテスかプラトンかの「サントリーゴールド」・・懐かしいです。この酒は消えましたね。
もっと早死にしそうなお酒の飲み方だったように思いますがある意味長生きの域に入るのでは。
冥福を祈って・・合掌。段々と寂しくなります。

2015/12/09

桂の京大まで行ってきた

今日は桂にある京都大学のなかにあるベンチャープラザというところに半分営業も兼ねて行ってきた。こんなところに京大がいつ来た?と思い、タクシーの運転手さんに聞くと4~5年前かなという話で、JRの桂川駅からタクシーに乗る人で京大キャンパスまで行くお客の割合はかなり高いらしい。それで、運転手さんが詳しいから「ベンチャープラザ」って言うだけで、南ですか北ですか?という。用意していたメモを見て「北です」と答えると実になんの問題もなく目的地の前まで連れて行ってくれました。
ベンチャープラザは入口にある感じで奥にはまだまだ広大な敷地に立派な建物がかなりあるということです。
今度は昔僕が勤めていた会社が寄付したという「京都大学〇〇〇記念館」を見てこようと思っている。

2015/12/07

雑感

今日は近所の百貨店にお歳暮を贈るために行ってきた。本来贈るべき人は完全にいなくなって、亡くなったのでなく、第一線からリタイアされたので、営業目的の中元、歳暮はなくなった。最近は虚礼廃止の動きが主流で、いま仕事で付き合っている方々は自宅の住所を教えてくれないし、わざわざあの手この手で調べて贈るのもなんだかなあという気がして、多分本来の目的の「付け届け」は僕の個人事業主としての帳簿からはなくなっていくのだろうと思う。
それで、いま残っているのは何故か今も贈ってくる悪友というか後輩というか、まあ個人的なつながりで何故かお互いに贈りあっている・・・もう止めたらいいんですけどね。
しかも毎年同じものを贈っている。向こうも毎年おんなじものを贈ってくる。マンネリの極みですが、それが届けば年末が来たという証でまあええかという気持ちで今日もおんなじものを贈ってきた。やたら10年位前に贈ったらやたら気に入られてしまった「バームクーヘン」であります。

2015/12/06

俺たちには明日はない

昔、1970年の頃JRの天王寺駅の構内(というかちょっと駅から地下に入ったところ)に実に小さな映画館があって、当然ロードショーであるはずはなかったけれど、大体2~3年遅れのまあヒット作品をやっていた。僕は1年浪人して大学に入ったから1969年のヒット映画は見ていないし、さらに高校の時のものも限られたものしか見ていない。そういう意味でこの映画館は実に僕の指向にあっていたといえる。2~3年くらい前のヒット映画が割安で見れるという構図ですね。
「明日に向かって撃て」「小さな巨人」それから「俺たちには明日はない」等々どの映画見ても感激した。ニューシネマの時代で力作が多かった。
変な話、この映画見て車の免許がいるかなと思った。ひょっとしたら警察に追われる人生が待っているかも???と思った。当時はそのころの体制にかなり不満で、若さゆえのこともあったかもしれないけどイライラした人生を送っていたなと思う。
今思うと180度方向転換してしまった感がある。今や超保守派的発想!!
老化??脱力感??大人になった?
左が今や大物俳優になったジーン・ハックマン。遅咲きスターでここから快進撃が始まる。フレンチコネクションでオスカー受賞ははもうちょっとあと。
この時のフェイ・ダナウェイの倦怠感ムンムンの出だしは圧倒的な存在感がある。

2015/12/05

伊賀の影丸

先日旧友に実に30年ぶりくらいに会った。もともとこの人は僕の弟の友達で僕の家に遊びに来ているうちに話すようになった。SFマニアで最近はホラー系だということだった。僕はホラー系は苦手(というか怖いのはあきません)なのでその辺の話には突っ込まず。共通の話題は昔の漫画になりましてどういうわけか「伊賀の影丸」の話になった。懐かしい・・・と行きたいけれど。僕は全巻コミック本ですが持っていて時々読み返すくらいのファンである。ある意味懐かしくはないのですね。
どういう話から「伊賀の影丸」にいったかと考えたら、僕の仕事の話をしていて、結構出張が多く、いろんなところに行く、そこの食べ物や名産名物を調べるのも楽しいけれど、そこの出身地の有名人を検索してみたら「ゆかりの地」とか「記念館」があって面白いでっせ・・・という話になった。
「記念館」というのは実に多くあって、文学だけスポーツだけに絞っても面白いけれど、もっと無差別に地域で見て回っても面白いと思う。
それで、昔よく行っていた兵庫県の和田山というところの話になって、そこからちょっと奥に「山田風太郎」記念館の話になったら、その旧友さん、大ファンだったらしく(かなりややこしい趣味ですぞ)俄然パワーが増してきて「伊賀の影丸って山田風太郎の漫画版なんですよね」といいだす。そこまで知らんかった。実は戻って調べたらそのままのところもあるらしい。昔は著作権云々はいまほど言わなかったみたい。
そんなこんなでまた読み返してしまいました。
なかなか奥が深い漫画でこんなのをよう小学生の時に読んでたなあと思う。
伊賀忍者=徳川家のサラリーマン・・・サラリーマンの哀愁を感じます。
今の漫画は編集者が年代別にマーケッティングしてしまうから絶対出てこないのだそうです。ジャンプはそれで成功したけれど、作家の自由は激減したというのは有名な話ですね。

2015/12/02

会話が難しくなってきた

最近、昔からの友達に会う機会が結構あって、その時に思ったのは、昔話はいいけれど、今の話はあんまりしない方がいいというか、状況を見定めながら話を進めないと折角懐かしく会ったのにその懐かしい面談がぶち壊しになる恐れがあるかなと思った次第。僕はそういうことになりませんでしたけども。
例えば政治の話、時事問題・・・はタブーかな。

大阪の維新の会(僕は好きですが、嫌いな人も多い、僕の周りは嫌いなのが多い)
沖縄の基地問題(反対派が圧倒的に周りには多い。僕はどう考えても仕方がないと思っている。他にどこがある?中国に一番近い。)
マイナンバー(反対派がめっちゃ多い。驚いた。悪いことしようと考えてる??僕は大賛成)
SEALD’s?(僕はアホな連中と思ってるけれど、デモに参加したのが周りにいる)
難民受入問題(僕は反対・・・ただこれはもろ手を挙げて賛成というのは少ない)
安倍内閣(僕はアベノミクスで食えてるけれどボロクソに言う人が意外と多い)
原発(ほとんど反対・・。僕は原発が無くなると日本国民はほとんど出稼ぎに行かざるを得ないと思ってるから何とか維持派です)

上記のように若いころは多分同じような考えだったと思うけれど、かれこれ30年から40年経つとその後の生活環境で随分違いが出てしまう。

さらに僕はまだ仕事があるけれど、年金オンリーになったら随分と考えが違うなと思う。これは仕方がないのかなと。もう守り指向オンリーになりますからね。

というわけでミニ同窓会も配慮がいるという実感でした。昔話で花が咲いて解散というのが無難なのかなあと思う昨今です。

アップしたのは、日本にディズニーランドができたと本気で思っていた奈良のドリームランドです。
時代は移り変わります。宝塚も阪神パークもなくなってしまった。


Candy Clark

クリミナル・マインドを何気なく見ていたら、JJが結婚式を挙げるシーンがある。シーズン7の最終回。
それでJJのお母さんが現れて、お母さんの着たウェディング・ドレスを持ってくるのですが、このJJのお母さん役がなんと「キャンディ・クラーク」であのアメグラのサンドラ・ディー似の役をした。あのキャンディ・クラークです。