2015/03/26

富山の市電

富山の市電はなんて言ったかな?なんかモダンな名前がついていた。
なかなか乗っていて楽しい乗り物です。この乗り物は僕が仕事で行っていた頃はJRの富山駅の北側にだけあったけれど、今回の新幹線の開業にあわせて南側にも進出しているみたい。

2015/03/24

飛行機

飛行機に乗ることなんてめったになっかたのに、10年位前から1社遠くにお客さんが出来て、年に2回ほど飛行機に乗る。正直、新幹線のほうが気が楽です。
基本的に狭い。動きにくい。
富山と東京間の移動なら僕は新幹線のほうがいいですね。
天気がいいと外の景色がよく見えたら飛行機もいいなと思いますが。

2015/03/21

IT'S A BEAUTIFUL DAY

今日、京都駅を歩いているとこのジャケットをプリントしてある革ジャンを着ている人がいて、まだ若かったです、うっかり「IT'S A BEAUTIFUL DAYですか 懐かしいです」って声をかけてしまった。まあ驚かれたが(当然)「知っている人がいるんですね・・」と喜んで返事をくれた。それだけの会話でしたが、今日はいい日のように思えた。(驚かせてすみませんでした)ほんまに「IT'S A BEAUTIFUL DAY」だった。
完全なジャケットのCDがなかなか出ないですね。なんか版権の混乱があるようでろくなのが出てこないです。

2015/03/20

JEWEL AKENS

なんか書こうと思って保存している画像がいっぱい溜まって、果たして何を書くつもりだったのか忘れてしまっていることが多い。ほんまに年はとりたくない。
この「THE BIRDS AND THE BEES」という曲を歌っていたジュエルエイカンズ(って読むんでしょうね)。シングル盤も持っていないし、2回ぐらいしか聞いていないけれどメロディーを覚えている。
1965年の春のヒット(多分)、あの頃の曲はすぐ記憶の回路に収まってしまっている。
当時はグループみたいな気がしていたが(最後がSだから)段々情報があつまってきて黒人の歌手さんだった。

2015/03/16

RENAISSANCE

ロックの世界、とりわけビートルズから70年代は結構詳しいと自負しているつもりであるが、もともと世界中のミュージシャンが勝手気ままに活動しているのを後追いで体系化しているわけで、僕の興味の範疇から漏れてしまうとおかしなことが起こる。
昔、ルネッサンスというクラッシック系+イギリスのフォーク系サウンドのグループがあって、2枚アルバムを出してそれっきり解散・・・・。
ほとんどこっちの傾向の音楽は聞かないのやけど、あのヤードバーズのキース・レルフの作ったバンドということなら聞かずに済まされない。しかも妹がボーカル・・・キースは何をする?得意のハーモニカはちょっと合わないかも…という感じだった。
かなり頑張って聞き込んだ思い出がありますが、やっぱり僕にはちょっと無理かなと思い、段々と疎遠に、レコード棚の奥に・・・あるはず。
で、そのルネッサンスというバンドがその後復活していた。らしいというか・・僕にとっては驚き以外何物でもない。しかも、状況はなかなか複雑で全く新しいバンドでなく、キース・レルフ時代の残党が絡んでいるわけですね。
しかもどうも聞くところによればプログレ&トラッドの「名盤」を残しているという話が伝わってきて、しかもその名盤のメインの曲にはあのウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルが客演してすばらしいギターを弾いているらしい。
何年前の話????
全部をとらまえるっていうのは無理だとわかっていても、知らんかったです。
アマゾンに注文しました。
まだまだ知らんことがありそう。

2015/03/15

HAYAKAWA NOVELS

007に出会うまでは早川書房っていう出版社も知らなかった。こういう特殊な分野に特化した出版社って後からはずいぶん楽しそうって思ったけれど、初めは講談社とか小学館とかさらに旺文社くらいしか知らない時期にようもまあこんな小説ばかり出すものだとあきれたものである。
本の大きさも文庫本より大きく縦長の独特の雰囲気をもった装丁であった。まあこのあとこの手の本がやたらと増えていくのですけどね。

2015/03/14

YOU ONLY LIVE TWICE

どういう意味??
学校で習う英語がどうも役に立たんような気になったのがこの頃。
映画の題名だからアメリカやイギリスの人間なら誰でもわかるんやろな・・・と思いますよね。
ほなら日本人でもわかるやろ。簡単な単語ばかりやし・・・。
しかしどういう意味、当時の雑誌なんか見ていたらイアン・フレミングが松尾芭蕉からインスパイアされて考えた題名である。哲学的???

007は二度死ぬ

 
イアン・フレミングの007シリーズは早川書房から出ていて、当時は結構売れた。日本が舞台になっているものがあるということで、映画化されるより前に読んだはず(もう覚えてません)。
映画化されたら「ほんまにショーンコネリーが日本に来るんか?」とアホ連中が話したもんである。

2015/03/13

I WILL FOLLOW HIM

1963年の大ヒット曲。僕はこれを1964年の秋に買った。
このシングル盤は不思議なカップリングでまあB面(裏)が他の歌手が歌っている。こんなの版権でもめなかったのだろうか?
裏がなんと御大「サム・クック」さんで、当時それほど有名でなかったのかな?
まあ僕も初めてこのレコードでサム・クックの名前を知るわけですから。見ての通りサムクックの写真もないのでどんな歌手かもわからないという状況でした。

2015/03/11

GOLDFINGER

なんせ見に行きたくなる雰囲気を持った映画でした。1965年のゴールデンウィークはこの映画を見に行った人が多かったと思う。1964年から65年にかけて、ビートルズと007という2つ大きな持ち駒でイギリスは世界中にショウビジネスで有名になってくる。

2015/03/10

THUNDERBALL

「007は殺しの番号」というけったいな名前の映画が公開されたのは僕が中学1年の時で、翌年の1964年に2作目の「007危機一発(ロシアより愛をこめて)」が大あたりして、しかもマットモンローの主題歌も大ヒットして、一挙に007(ジェームズ・ボンド)が世の中に認知されるようになってきた。そしてその翌年の1965年の春に3作目のゴールドフィンガーが封切されることになって、公開される前からあの金粉の裸の女性の姿に世の中は話題沸騰でえらい盛り上がりようだった。個人的にはここまで一回も007は見に行ったことはなく、よく考えてみたら中学1年や2年では見に行きにくかった。それでもアホな悪友と見に行きたいなあといつも言っていてその想いはつのるばかりだった。1965年の暮れに第4作「サンダーボール作戦」が公開されるということで、期末テストが終わった翌日アホども数人が梅田のもう場所は忘れたけど、ついに見に行った。今では考えられないような人出で満員で入れない。待って待って入れて立ち見。2回目で座れたかな??3回目では座れたように思う。要は3回同じ映画を見て帰ってきた。今では考えられない。しかもこの映画実に面白く、めっちゃ感動して帰ってきた。
バハマなんてどこにあるかも知らんかったし、青い海もきれいで、イギリスの戦闘機も格好良かった。主題歌は「何かいいことないか子猫ちゃん」のトム・ジョーンズでえらい大きな声だった。
今から考えたら、当時は坊主頭で制服着て学生帽かぶって007を見に行っているわけで、僕だけでなく他の同級生も同じ(まあ貧乏だったので学生服しか持ってなかったということかもしれないし、半分校則がそうだったような気もする)、いずれにしてもそのよう格好の男の子?が水着姿がいっぱい出てくるややこしいスパイ映画を感動して見ているのって結構教育上複雑な光景であったような気がする。
書きながら思い出したけど、その映画館は出るとき、通常の出口は人がいっぱいで身動きがとれず非常階段から出た、もうビルの横に外付けでついているむき出しの階段で怖かった。それもぞろぞろと大勢で降りるわけだから大丈夫かなって思った。その階段は今でも環状線から大阪駅に着くころに見える???後にも先にも非常階段から映画館を出たのはこのときだけである。
帰りに昔の旭屋書店(今の丸ビルの場所にあった)に寄って、エドガー・ライズ・バローズの「火星のプリンセス」を買って帰った。時は1965年12月20日前後の話です。この年は007の映画が3作目と4作目が公開されるという珍しい年で、別の意味ではこの年に007の伝説はスタートしたといえそうである。
今から思い出せばなんかいびつな感じの学生生活のようやけど、そこそこ楽しかったですな。





2015/03/09

EUNICE GAYSON


1作目の「ドクターノー(007は殺しの番号)」と2作目の「ロシアより愛をこめて(007危機一発)」に出ていた時のシーン(上がドクターノー)。結構存在感があって、このような端役っぽい人がちょっとずつ007の世界が構築していったような気がする。
対スパイとかという仕事上の付き合いでなく、仲がよさそうでしたから。

2015/03/07

BOND GIRLS 今昔物語2



映画に出ていた姿をアップしましたが、わかりますか?
一番上の右がブリット・エクランド(左はモード・アダムス)で元ピンクパンサーのピーター・セラーズの奥さんかつその後ロッド・スチュアートのガールフレンドという名門?。キャラ的にはアホ役のほうが向いていると思ってたら意外と大役をゲットしたなという記憶があります。
真ん中は1作目と2作目に出ていたユーニス・ゲイソン。初めはマネーペニー役の候補だったという記事を読んだような。
一番下は結構コアなファンがいるゴールドフィンガーに出ていたタニア・マレット。僕ももうちょっと沢山出番を作ってほしかったなと思っている一人。
考えてみればボンドーガールズというくくりでいろいろとイベントがあってお呼びがかかるというのはなかなか楽しいなと思っておりますが、浜美枝さんなんかはもう関わりたくないのかもしれないですね。





2015/03/06

BOND GIRLS 今昔物語

007の映画に出たボンドガールの皆さんの同窓会的な記事がイギリスの雑誌にはよく出てくるみたいでそれがネットでよく公開されている。
みなさん年相応な様相におなりで、ではこの3人は誰だ???
多分一番左は当てる人は多いと思うけれど、中央と右は結構マイナーでしかも映画に出ていた時の雰囲気が違う。特に真ん中のお方はね。右はそういえばそうかなという感じですが。

2015/03/04

FROM RUSSIA WITH LOVE

007シリーズの中でトップクラスの出来に位置づけられる「ロシアより愛をこめて」ですが。このシーン、ダニエラ・ビアンキ扮するロシアのスパイの写真にジェームズ・ボンドがまず「WITH LOVE」と書き、それから上に「FROM RUSSIA」と書き加えたところ。これって本当にショーンコネリーの直筆なんでしょうか???
ずっとどうなのかなって思ってます。ここだけ他の人に書かせないですよね??とおもいつつ、大事な映画の題名やしなあとおもったり。写真を持っている手はミス・マネー・ペニーの手です。

2015/03/03

77 SUNSET STRIP

 
サンセット77 というテレビドラマがあった。昔である。アメリカのテレドラマが放映されだしたころの先駆けである。
このころはワーナーブラザーズばかりで、次々と同じような探偵事務所バージョンが作られた。もう名前もすぐに出てこなくなっているが、エフレム・ジンバリスト・JR(だったかな?)は長生きしてこの間まで生きていた記憶がある。オードリーヘップバーンの「暗くなるまで待って」に出て、当時はテレビに出る人と映画に出る人は職場が違うような先入観を持っていたので意外だった。あとロジャースミスはあのアン・マーグレットと結婚してこれも意外だった。もっと意外だったのはこの写真にも写っている紅一点のジャクリーヌ・ビアはあのヘイエルダールと結婚したという記事を読んだときである。あのコンチキ号のヘイエルダール氏であります。
あとは競馬好きのロスコー、リーゼントのクーキー、もう一人は誰だった??思い出せない。ランドルフ?だった??

2015/03/01

YESSONGS

当時3枚組、火の鳥から一転シベリアン・カートゥルに入っていく瞬間はもう興奮の絶頂。
なんといっても当時最高峰のテクニックを誇ったグループ。緻密かつスリリング、壮大な構成・・・プログレの見本みたいなバンドになっちゃいました。