2014/10/30

カラフル クリーム

クリームの2枚目です。邦題は「カラフル・クリーム」といってもとの題名というかイギリスで出たオリジナルはディズラエリ・ギアーズ(だったかな)といった。今もって意味が分かってないです。ご覧のようにもうカラフルなんでそのままネーミングということだったんでしょう。
正直これを聞いた時の感想は・・・まあサンシャイン・オブ・ユア・ラブが入っているのでヒット曲が入っていると言えば入っているわけですが、そういう感覚で聞いてはいけない全体で聞くべきだというような時代で、これからはLPレコード全体が表現している世界を自己の感性で聞く時だ????まあなんか芸術家になった気分で???
正直なところ難しかったですね。
クリームは、このレコードが僕には一番難解で、ある意味他の方が聞きやすかったですね。
しかしこのジャケット  時代が作らせた1枚です。
真中がジャック・ブルース、向かって右がクラプトン、左がジンジャー・ベイカーの3人。

2014/10/28

Wheels Of Fire

クリームの評価を決定づけたのは何と言ってもこのアルバムで、日本では当時はもともと2枚組のレコードををバラバラにして、同じデザインで金色と銀色に分けて売り出した。その意図はなぜだったのかは忘れてしまった。金と銀のどちらがスタジオ録音盤でどっちがライブ盤だったかも忘れてしまっている。
僕は当時アメリカの輸入盤の2枚組を友達から借りてテープにとって聞いていたのでその時は買っていない。スタジオ盤にはあの「ホワイトルーム」が入っているし、ライブには「クロスロード」が入っているし、どちらか1枚を選ぶとなれば悩むところである。本当になぜ分けたのかわからない。
そういえば、ビートルズのマジカルミステリーツアーもコンパクト盤で初めは発売されたのも今から考えたらあんまり意図がわからんなあと時々思う。
世の中生きていると納得のいかないことが時々ある。

2014/10/27

JACK BRUCE

あのジャック・ブルースが亡くなった。肝臓移植とかという記事を昔読んだことがあるし、ロイヤル・アルバート・ホールのクリームの再結成コンサートでもちょっとしんどそうだったのでやっぱりかという気持ちもあります。まだ若いのですけど。
僕の音楽を聞く経験から考えると、上手に次の時代に移れるかどうかというのはいかに次の時代の移ることのできるバンドを好きになれるかというような気がしている。僕はクリームを聞いたおかげで次のロックの時代に移れた。(言いたいことが伝わるかどうか不安ですが)
クリームを解散した3人は各々別の道を歩み出し、ジャック・ブルースは解散後も多方面にわたり作品を発表していてどちらかと言えばジャズに近いのかな。ぼくもあんまりトレースしていないですが、以前書いた「Songs For A Tailor」とこの「Harmony Row」は気に入ってます。どちらかと言えばこのハーモニー・ロウの方がジャック・ブルースの内向的な側面が出ていて気に入ってます。
結構、内向的雰囲気の作品からガチャガチャ縦横無尽にベースラインを弾きまくる作品まで幅広いサウンドが今から考えたら特徴のような気がします。
でもやっぱり、クリーム時代の「ホワイトルーム」の第一声「インナワイル~~ム」が極め付けです。
あらためまして、合掌。

2014/10/26

レモンのキッス

「レモンのキッス」という歌が日本で流行った。もともとはナンシー・シナトラ(フランク・シナトラの娘さん)の歌でアメリカではそれほど流行らなかったらしい。このあたりの話は体験していないのでわからない。ただ日本やヨーロッパでは流行ったそうで、日本では結構な人数の歌手がカバーしている。僕はこの伊藤アイコの歌が一番記憶に残っていて長い間この人の持ち歌だと思っていた。小学生の頃の思い出であります。

2014/10/25

Music Life

ミュージック・ライフという雑誌があった(はず)。この1965年8月号は今でもプレミアがついていてそこそこ高値がついている。
当時の編集長だった星加ルミ子さんがあのビートルズにホンマに会ってきたという「ビートルズに初めて会った日本人」的な売りで有名になった(でも本当に初めて会った日本人って誰なんだろう?)
僕は確か何冊か持っている。「音楽雑誌を棄てるんなら俺にくれ」と周りに言っていたから勝手に集まってきた(当時は本気で音楽評論家になりたかったので資料としてかなり集めていた・・今も残っていてこれが頭痛の種・・愛着があって捨てられない)。

WHISKY BAR HEAVEN

昔々大昔、まだまだ若かりし頃、毎日お酒を飲んで帰っておる日々が続いていた頃のはなしです。行きつけの居酒屋のマスターから近所のスナックを紹介され、、そのスナックのママさんから紹介されたお店です。多分あなたの話が分かる人はこの人しかいないということで紹介されました。「ウィスキー・バー・ヘブン」といいまして、京都の七条春日通りの西にあります。だいたいこの店の名前を聞いて、あのドアーズのアラバマ・ソングとあのトーキング・ヘッズのヘブンという曲名を連想するマニアが西大路近辺にどれくらいいるのか(いるはずがない)と思うけれど、これで分かる客が来てくれたらいいなあとひたすらに願い続けるロックバカのマスターと姉さん女房の2人がやりくりしているお店です。ただ当時来ていたのはめっちゃ普通のお客さんばかりですが。
ただこの2人、なかなか粋なお方で中途半端な人では本気で仲良くしてくれないような気がします。僕は結構仲良くしてもらったけど。懐かしいです。お元気ですか?

2014/10/24

リトル・パティ

オーストラリアからの歌手といえば、この人(知らんわね)、リトル・パティちゃん。なんというか、突然出てくる。当時は、アメリカとイギリスのヒットチャートが中心でそれにフランスとイタリアのヒット曲がからみ、さらに映画の主題歌がからむ(絡みまくるわけです)。その情報網の中にオーストラリアのヒット曲及び歌手は網羅されていないわけで、なぜか突然出てくる印象が強かった。
今になれば情報がつかめるけれど、やっぱりアメリカ市場を狙っていたみたいですが、なかなか難しかったみたい。
来日して着物着た写真が可愛らしかった記憶があります。

2014/10/23

Noeleen Batley

相変わらず突然思いがけない名前を思い出す。ノエリーン・バトレイという歌手が昔NHKの「夢で逢いましょう」に出ていた(はず)。多分1965年くらいだとおもう。オーストラリアの歌手で、なんで日本に売り込みに来たのか不思議ですが。歌の名前も覚えていない。ただ確かに日本に来てテレビに出た記憶はある。そうでないと思いださないから。
オーストラリアの歌手と言えばあとはリトル・パティですね。加山雄三の歌を歌っていた。
オーストラリアといえばビージーズですが、あれはイギリスでヒットした後ですからね。ちょっと違う。
気になるから調べたら、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を歌っていたのだ。思い出した。だから「夢で逢いましょう」に出ていたのだ。

2014/10/22

ラーメンサラダ

3日ほど北海道に出張していた。年に2~3回行き出して9年になる。食事はほとんどホテルの近くのファミレスに行くことが多いけど、今回は客人もいたので恵庭にある「漁川」という居酒屋さんというかお寿司屋さんというかまあ魚が得意のお店に行った。じつに清潔な気持ちのいい店で、対応してくれた女の子がなかなかボーイッシュな感じで営業が上手かった。その時にサラダを頼もうということになった時に「ラーメンサラダ」はどうですかという???「レーメン」でっか?ときくと冷麺ではないという。ラーメンとは全く違う云々というやりとりがあって面倒だから注文することに、来たのは(アップしたのは別物です)どう考えても野菜の多いレーメンだった。初めに胃の中に麺が入ってちょっとペースが狂った。
阿部内閣の看板だった女性の大臣が2人も揃って辞任、まあ小渕さんは辞めざるを得ないかなと思い、うちわの方はそこまでいうかという気持ちが強い。
個人的には、そんなことぐらいしか責められないのかという、民主党のだらしのなさを改めて痛感している。ますます民主党解体推進派である。
ほんまに、馬鹿じゃないのと言っていいぐらいのアホさ加減である。
あげ足取りしかできない民主党ってほんまに情けない。即解体を進言したい。
僕は、以前から、大臣は任期満了までくだらないことで辞めさせない制度が必要だと思っている。

2014/10/19

阪神優勝

熱烈な阪神ファンではないけど結構な阪神のファンである。正直今年も期待してなかったし、和田監督には辞任してもらいたいと思ってました。
ただCSシリーズ以降、なんかホンマに強いなと思いだして、周囲は今日はなんぼなんでも勝たんやろというところを、たぶん今日も勝つと言い切っていた。それほど今の阪神は強いと思うことが多かった。
やっぱり西岡と福留が額面通りの活躍をしてくれたことだろうと思う。さすがに実力とおりの力が出たらすごい2人だったということが分かりました。
それと巨人ファンにはわるいけど、巨人に4連勝なんてもうこれほどうれしいことはない。最高ですわ。

2014/10/18

伊藤アイコ

こういうのが出てきた。驚いた。ただこの伊藤アイコさんのシングル盤のジャケット・オン・パレードのHPがどうも日本でない感じがして、いったいどういうお方が運営されているのか実に興味深いところであります。
さらにこのシングル盤って???全く知らなかったですね。あのカトリーヌ・スパークの映画「太陽の下の18才」(1962年)の主題歌でA面もB面もその映画で使われております。聞いたことがあるのはB面のジャンニ・モランディの本題は「ゴーカート・ツイスト」です。でもなんで勝手に名前を変えるんだろ??あの頃は無法地帯です。
でもこのHP見てたら、後半は伊藤愛子になって演歌歌手になってるんですが同じ人なんかな??顔も似てるような似ていないような???

2014/10/17

紀本ヨシオ

1960年までのオールディーズになると僕の前の世代(僕のお兄さん、お姉さん)の時代で、僕の記憶は非常に断片的になる。例えば伊東ゆかりや中尾ミエという歌手はかなり記憶にあって、売れっ子になるころを目撃しているわけです。阪本九もまあ知っているわけですね。
ところがそのちょっと前、例えばこの「紀本ヨシオ」さんという歌手になるとテレビで歌っていたのは覚えている。多分あちらのカバーもんだったのだろうと思いますが、彼個人のヒット曲は記憶にない。和製プレスリー、和製パット・ブーンという役回りを演じた人が多分いたはずで、そのころのことはぼや~~とした記憶が渦巻いている。
以前に書いた「齊藤チヤコ」という歌手や、あと誰だったかな「レモンのキッス」を歌っていた女のこ??というように「伊藤???」というようなまことに曖昧な記憶が僕の頭の中に残ってます。
記憶っていうのは不思議です。

2014/10/14

台風

台風が通過するというので今日は丸一日家の中にいることに、日課のウォーキングも無理。最近はネットでかなりリアルタイムにどこにいるかわかるのでつい見てしまう。昔はテレビの日本地図を見て「ああここにきてる」と確認したものである。
以前にも書いたけど僕の経験で一番すごかったというか怖かったのが小学年の時の伊勢湾台風で学校は休みになり親は会社から帰ってきて、雨戸を打ち付けるし、いまから何かがやってくる雰囲気むんむんだった。もう、まず停電になるから真っ暗、懐中電灯で動く、今では考えられない。瓦が飛んでいく音がする。何かが壁に当たる。
そういう意味では今は下水とか発達してずいぶん改善はされている。
アップしたのは当時(昭和34年9月)の伊勢湾台風のあと、自衛隊が救助にやってきたときの写真だと思う。

2014/10/13

上等カレー

別にグルメでもないので食い物のことを書く気もないのですが、なぜかカレーになってます。この「上等カレー」というお店は結構周りにあって、前述のインディアンさんに比べたら店舗数がちがいます。FCもやっているので当然多い。カレーうどんの方がもともと有名なのかな。
味は美味しいですよ。といっても僕にかかったら何でも「美味しい」というみたいであてにならないというのが周りの皆さんの評価ですが。僕は美味しいと思います。
よく行く大阪の証券取引所の向かいのビルの地下の店はなぜかオードリー・ヘップバーンのイラストがある。意味不明・・・。でも懐かしいから僕は癒されてますが。

2014/10/12

インディアン カレー

カレーのことを思っていたら、この「インディアン カレー」を思い出した。僕がお昼頃うろつく近所では大阪証券取引所の向かいのビルの地下にあったんやけど引っ越ししてしまって、今はオドナの地下にあります。
甘くて辛いというのがまあ一般的な表現です。ファンは多い。大阪証券取引所の向かいのビルの地下は、インディアンカレーをやっていたところは昔風のスパゲッティ屋さんが入って、カレー屋さんは「上等カレー」が入っている。

2014/10/11

ゆうきのカレー

カレー屋さんがまがりなりにも証券市場に上場?というか(グリーンシートですが)資金調達をしたことがあったのを思い出した。「ゆうきのカレー」というお店で、「ゆうき」さんという女性が開発したレシピで話題になった。
ただ、この「ゆうき」さんは社長でなく(たしか役員だったですが)、僕が気になった時はちょっとややこしい雰囲気の路線になっていた。そのあたり何があったのかあんまりネットにも上がってませんが、なんかあったんでしょうね。・・・あったに違いない(確信)。
この写真は、大阪の帝国ホテルの近く(東天満)にあった第1号店だと思います。もう今はありません。
なんかアットホーム路線のカレー屋さんがキナ臭い話に巻き込まれてしまっておかしいなあと思ったのが数年前だったかな。この「ゆうき」さんって今はどないされてるんでしょうね。
なんかネットで調べてみたら、心斎橋のお店(当時なら第2号店)がまだやっている感じですね。一回いってみますか。

2014/10/10

バルチックカレー

既に1回書いたけれど、昔よく東京に出張していたころ新宿御苑前という地下鉄の駅を上がったところに「バルチックカレー」というカレー屋があって、丁度お昼ごろにそこに行くことが多かったので結構よく食べた。美味しかったのですが突然廃業になって???お客もいたの感じだったのですがね。
まあネットで調べると投資を募る案件で詐欺まがいの話になってました。カレー屋が投資案件になるのかなと、いちおうその辺は詳しいはずの僕には理解できない話です。
まあカレー屋が昔グリーンシートに行ったことはあっても所詮市場が知れているはずなんですが・・・。

2014/10/07

ノーベル賞



青色ダイオードの中村さんがなんとノーベル賞を受賞した。めでたいことである。
正直、日亜化学には個人的には直接付き合いはなかったのですが、関わっている人を結構知っているので、総合的に判断すると僕は勤めたくない企業の部類に入りそうである。そんなわけであんまりいい印象を持っていない。
ただ青色の研究をさせてくれたのはその時の社長(オーナー)さんだったはずですね。そういう意味では評価は難しいです。オーナー社長は難しい人が多いですが意外といい面があります。悪い面も多いですけど。ただもともと日亜さんはいろいろ噂が渦巻いてますから、多分1代の企業で終わったというのが正しいのだと思います。ほんまにハイエナみたいな連中がいるのでいやです。
研究者には日本の企業は向いていないような気がしますね。個人の成果という概念が日本の企業には少ないですから。以前の島津の田中さんが昔ながらの日本人の開発研究者の姿だとすれば、中村さんは新しい形なのかもと思いますが、田中さんの場合は会社が推進していたテーマで、中村さんは孤軍奮闘だった感じで、「怒り」が原点だというのも異質です。エネルギーが何によって湧いてくるかはそれぞれなんで一概には論じられませんけど。
日亜化学と豊田合成を一緒に表彰するなんてさすがはノーベル賞です。
とにかく、おめでとうございます。
その後、発明は誰のものかという話題がのぼって、なるべく企業のものにしたいという法律が整備されようとしている。個人的には、発明は個人のものという考えなので、企業の立場の発言には笑わざるを得ない。以前、日亜の役員の話を読んだことがあるが、中村さんには〇〇千万も払っていたのですよ、ちゃんと払っているでしょう。さらに中村さん以外の社員も頑張ったんです・・・という言葉だった。
僕の経験では発明は合作でできるものでなく、間違いなく個人のものに属すると考える。
中村さんの発明で売り上げが1000億円も増えた、今も増えている。
たとえ年収4000万円が10年でも4億しかもらっていない。やっぱり不合理です。
優秀な人は出ていきますわな。
中村さんの受賞後の言葉で、日本には帰ってこないのですか?という質問に、裁判で大勝すれば帰ろうかなと思った・・・云々の言葉が実に気になった。日本自体が発明家を認めていないのである。
発明は絶対に個人の頭に浮かぶと思うんやけど、グループの発明って事例があるのかな?浮かぶまでの過程でいろんな周りのアイデアが貢献することってあるかもですね・・・??
ただ問題は仕掛けとして双方が納得いくような仕掛けが必要だということで、アメリカはあのような仕組みで新しいビジネスを創作しているということは発明家・起業家にはアメリカの方がやりやすいということだと思うし、そこが重要なんだと思う
なんぼ法整備をして発明が会社のものになるようにしても、発明家が日本にいなくなったら意味がないということです。

2014/10/05

ドラえもん西遊記

ドラえもんの一昔前のバージョンは僕の子供たちの成長にあっていたので結構見ているしDVDも揃っている。まあ順位をつけるとすれば、先述の「宇宙小戦争」とかこの「西遊記」もいい出来だと思っている。パラレルワールドっていうのは藤子不二雄さんの研究テーマっぽくっていろんな形で出てくる。

2014/10/04

本の山

以前、アマゾンがフランスでは宅配料を無料に出来ないという記事を読んだ時に使おうと思ってとっておいた写真です。
なかなか楽しそう。
なんというか、小さい時の教えというか、さらに勤めていた時の環境というか、そういうものがかなり影響しているような気がして、要は本を何でも買ってしまう。
貧乏だったけれど、親が必要な本は真っ先に買ってくれた。衣服より本の方が大事だと特に父親は思っていた感じである。
さらに勤めていた会社の社長が「まず買っておけ」という考えだった。買っておけば後で読めるけど、持っていなければ読めない・・・。ごもっとも。
で・・・ということで僕の仕事部屋はもう本だらけで(CDもありますが)地震が来たら多分本に押しつぶされるような気がしております。

2014/10/03

ドラえもん

「ドラえもん」は中国では西側の陰謀の作品であるそうである。
まあ、いちゃもんつけだしたらアニメにまでという感じですが、この「宇宙小戦争」という作品は中国では発禁かも知れないなあとおもいつつ記事を読んでました。
この「リトル・スター・ウォーズ」は実によくできた作品で大人が見ていても実に楽しい。独裁国家をやっつける話ですが、中国にしたらまあ見せたくないかな。
でも、どう考えても言論統制をしている国家というのはまともとは言えない。

2014/10/02

2:02:57

このあいだのベルリンマラソンで2時間3分を切るというとんでもない記録が出た。
ケニアのデニス・キメットというランナーです。
でもこのあいだ4分を切ってから早い。ひょっとしたら僕が生きているうちに2時間を切るかも知れない。
2時間15分の壁とか10分の壁とかずっと壁があってそれを一つ一つ人類は破ってきた。
2時間9分台が出たのは日本の福岡マラソンだったように思う。デレク・クレイトンだったかな。
この時は、確かアベベが東京オリンピックで出した世界最高記録(12分台)を日本人の重松?という割合無名に近かったランナーが2時間12分ジャストの記録を出してチャンピオンになった。その時は海外で出したので一躍ヒーローに。その記録から一挙に9分台になって、11分台とか10分台は世界最高に記録されていないと思う。(確かめたわけでないので記憶だけです)
それから8分台(8分台もデレク・クレイトンが出した。ただオリンピックでは勝っていない)、このクレイトンの8分台の記録は長い間破られなかった。1970年代はこの記録が居座ったように思う。そんなこともあって、ホンマに距離が正しかったのかという疑惑まで飛び出したように思う。そしてついに7分台・・・・。日本記録はまだ6分台で高岡選手が出してからずいぶん経つ。
ただ今のベスト10位をみたらもうケニアとエチオピアばかりで、白人や黄色人種の出る幕ではないのかもしれない。