2014/08/31

素敵なケティ

「素敵なケティ」で検索するとこういうクリップが出てくる。
you tube で検索するとかなりの情報がとれる。映画にもそこそこ出てます。このあたりはきっちりと把握できてないです。
僕の記憶装置におぼろげながらインプットされる頃でしてはっきりとメモリーに保存されてません。

2014/08/30

Inger Stevens

結構早く亡くなった記憶があって、睡眠薬の飲みすぎだったような記事を当時読んだ記憶が残っている。北欧系の女優さんで子供ながらに「素敵なケティ」を見てアメリカっていう国は色んな民族が入り混じっている国なんだと思った。何とも言えないなんか儚さみたいなものを感じるのは僕だけでしょうか。

2014/08/28

Farmer's Daughter



これは確か「素敵なケティ」という邦題だったはず。インガー・スティーブンスですよね。当時、全部のテレビ番組を見きれてないので、ちょっとずつ見た記憶を振り絞ってます。
なんかか細い雰囲気の女優さんで、なんか議員さんの家に住み込みで働く話だった???あんまり見た記憶もないのです。多分他の番組と重なっていたのだと思う。
インガー・スティーブンスは残念がら早く死んでしまってます。
「看護婦物語」とかにも出ていた記憶があります。北欧の出身でなんでこの題名と思った思い出があります。ストーリーを忘れてますので、映画もあったはず。

2014/08/27

When The Boys Meet The Girls

第4作目の邦題「青空のデート」(1965)です。僕は今まで気が付かなかったのですが、この映画にハーマンズ・ハーミッツとサム・ザ・シャム&ファラオズが出てます。
多分当時の雑誌で知っていたはずなんですがもう記憶にはなかったです。新旧入り交ざってという感じです。
ただプレスリーの映画にも通じるのですが、1965年くらいになるとぼちぼち僕らの時代は終わりつつあるという雰囲気を感じるのです。
どう表現していいのか難しいのですが時代のオーラが次に移って行っているという感じですね。君たちの時代は終わったのだという感じです。これだけはどうしようもない。
コニー・フランシスも次のスターにバトンタッチという映画になったのかなとも思えます。
ただ、ハーマンズ・ハーミッツとサム・ザ・シャム&ファラオズの2つのバンドも次の時代には消えてしまいってます。
時代を超えて生き残るっていうのは本当に難しいですね。

2014/08/26

Follow The Boys

これは邦題「渚のデート」といって第2作目にあたります。

2014/08/25

Where The Boys Are

1960年の「ボーイハント」という映画がコニー・フランシスのいわゆる4部作の1作目です。ただし主役はドロレス・ハートだと僕は思うのですね。プレスリーの映画みたいに主役で主題歌を歌うという感じではなくて、一応準主役っぽいところにいるという感じが僕にはしてます。
この主題歌は何時聞いてもコニーフランシスって歌がうまいなあと思ってしまうのですが、彼女の声に合ったいい作品だと思います。
コニー・フランシスってアメリカでヒットした曲と日本でヒットした曲が微妙に違っている気がしてまして、この歌も僕は好きですが日本ではそれほどだったような感じです。

2014/08/24

Looking For Love

スーザン・オリバーの出演していた作品を調べていたら、ほとんどがテレビドラマなんですが、映画にもそこそこ出演している。その中でこの邦題「ハートでキッス」というコニー・フランシスが主演している映画に出ていることを知って驚いた。ここに出ていたのかという感じですね。
コニー・フランシスという歌手は1960年前後のポップスの女王ともいえる歌手で日本でも「バケーション」と「可愛いベイビー」という曲が日本の多くの歌手でカバーされて大ヒットして知られている。ほかにも数多くのヒット曲があるが、日本語バージョンでもよく知られている。多分ペギーマーチが出てくるまでは一番うまかったように思う。
コニー・フランシスの映画は一般的には4本と言われていて「ボーイハント」「渚でデート」「ハートでキッス」「青空でデート」ということになっている。
残念ながら4本とも安く手に入るのですが日本語字幕がついていない。どうせ曲を聴くわけだからいいんですけどね。

2014/08/23

Susan Oliver 3

この写真も結構広く知られている1枚で出どころとなった映画(もしくはTVドラマの名前は残念がら知らない)。この方はある意味多彩な才能を持っておられたようで「Cowboysan」という短編映画を作っている。変な名前ですが「カウボーイさん」という名前で日本人を使った映画です。これは探しても見れないでしょうね。
主役は「Lloyd Kino」と言って詳しい人は知っているはず。アメリカのドラマにもかなり出ている日系人俳優さん。このあいだ見たNCISにも出ていたから。
日本に住んでいた彼女が日本人系の役者を使ってどんな映画を作ったのか興味のあるところです。

2014/08/22

Susan Oliver 2

この瞳ですわ。すごいでっしゃろ。この青い瞳(ブルコメみたいですな)もう他の追従を許さない。
ただですね。当時カラーテレビはまだそれほど普及してなかったのでこの美しさが分かるのは後々の話です。

2014/08/21

Susan Oliver

このスーザン・オリバーという女優さんは1960年代の主にテレビ番組で大活躍した方で「逃亡者」「ナポレオン・ソロ」「ベン・ケーシー」「ドクター・キルデア」「ペイトン・プレース」「バークに任せろ」・・・・あげたらきりがないくらい多いです。僕は大好きだったのですが意外とゲスト出演ばかりでドラマの主役はなかったように思う。ペイトンプレースにはかなり準主役っぽい感じで出ていたかなと思ってますがあの番組ってそういう人がかなり多くいたからあんまり目立たなかったように思う。
本当かどうかわからないけど小さい時に日本に住んでいたという書き込みか記事を読んがことがある。今回それを確かめようと思ってあちらの記事をネットで探してみるがなかなかJAPANにいたという記事が出て来ない。それと飛行機の操縦ができることでも有名だった。
残念ですがもう亡くなってます。
IMDBのプロフィールにかなり詳しく書かれてあって1949年あたりに日本にいたみたいです。仮に今生きていて今の日本を見たらどう思うでしょうね。1949年の東京って僕も生まれていないですから想像もつかない。
晩年にスタートレックに出ているらしくそれでスタートレックマニアの方には知られているみたい。
瞳が実にきれいな透き通るようなブルーでそれだけで印象深い女優さんでした。

2014/08/20

96つぶの涙


「96つぶの涙」というヒット曲がある。?&ミステリアンズという実にいい加減なバンド名です。
これが何とアメリカで1位を記録している。

2014/08/19

イリヤ・クリヤキン

戦争の回顧はまた来年までしばしおさらばということで、今回は「0011ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキンことデヴィッド・マッカラムさんの登場、この人その後もかなりの数のテレビドラマに出ていて、今では「NCIS]のダッキーの方が有名みたい。
これはナポレオン・ソロの「バウ・ワウ・アフェアー」というエピソードのワンシーンで左の女優さんはスーザン・オリバーです。

2014/08/17

日本の敗因

終戦ということで昔読んだこの本を読みなおす。NHKの番組の文庫版でもう20年くらい前の本ですが、読みやすく面白い。文庫本で6冊あったと思います。その1冊目。
1941年の12月に真珠湾攻撃をして、1943年の1月にはルーズベルトは勝利宣言をしている。
その理由は、日本への物資の輸送ラインをことごとくアメリカの潜水艦が断ち切っており、日本は目に見えて衰弱している。餓死するのは時間の問題だ…と言ってます。
食い物がなければ終わりです。大和魂は食えないんですよね。
もう大人と子供以下の戦いだったようです。
軍隊が力持ったら悲惨だとよく言われますが、日本はどこで間違えたのでしょうか。司馬遼太郎は統帥権を持たせたのが失敗だと言っておられたような・・・。

2014/08/16

失敗の本質

こういう本があって出た当時は結構売れた。僕の持っているのは昭和60年に買っているもので、今は文庫本で手に入れることができる。経営学の学者で有名だった野中郁次郎さんが執筆者に入っていたので買った。戦争と経営学者?ってという何気ない興味で買ったのですけど面白かった。日本の敗戦は国力の差とかいろいろ言われますが、同じ条件でも組織的戦略の差というか、多分同じ国力でも勝てていないと思わざるを得ないような結論だったように記憶している。
その組織的に劣るDNAを引きずって今の経済活動(ある意味戦争のようなものである。人が死なないだけ)を行っている日本はどうなんだろうか?

2014/08/15

終戦

昔はこの時期甲子園によく行っていた。12時なると黙とうをささげる。今もささげているはず。今日はたまたまテレビをつけていなかったので確認しなかったけど。戦争が終わって69年経つ。来年は70年。ある意味69年間戦争をしなかったということはえらいことだと思う。あんまり他の国を見ても例がないように思う(あんまりその辺の知識はないのでよくわかりませんが)イギリスとかフランスも元の植民地との紛争とかに軍隊出しているような記憶があるし・・・・
この時期になると戦争もんの本を何冊か読む(なんか時流に流されやすい)、どうしても半藤さんの本が多くなる。この人の本は右寄りでもなく左寄りでもないので、正直どういう展開になるかわかりにくいので面白い。
半藤さんのどの本だったか忘れたけれど、兵隊を大事に扱うという意味では雲泥の差があったみたい。どちらが???大事に扱ったか?当然アメリカが手厚く、日本は使い捨て思考だったようである。
確かこの飛行機(グラマンのベアキャットかヘルキャットか忘れました)も乗る人のことを考えて作られていたような記事を読んだことがある。
訓練した兵隊を死なせたら損だという思考がアメリカの方が強かったらしい。でもよく考えたらそれが当たり前ですよね。
日本の軍隊ってなんか胡散臭いところがあって、靖国神社云々の前にそのあたりを整理しないと最終的には終戦とは言えないのかもしれない。うまく言えませんが。
今経営コンサルタントの真似事みたいな仕事をしているけれど、トップが精神論をでっち上げだしたら「その会社は終わり」だと思っている。もう早く辞めた方がいいよと社員さんにはアドバイスをする。ある意味戦争中の日本って精神論オンリーだったような気がする。科学とか戦略とかというものはかなり早期にはどっかに行ってしまっていたような。
とまあ毎年こんなことを考えて8月15日は過ぎていく。平和でなにより。



2014/08/13

BLUE CHEER

あるキーワードだけで友達になれる合言葉みたいなものがある。「MC5」とか「シーズ」とかこの「ブルー・チェア」が好きだって言ったら、すぐに友達になれるというか、なれたらかなりややこしいお友達になりそうな気がする。
いわゆるヘビメタサウンドの黎明期にある意味一発屋的な位置づけのバンドで各々1曲ずつヒット曲がある(詳しく言えばもっとあるけどやっぱり1曲がぴか一有名、MC5はキック・アウト・ザ・ジャム、シーズはプッシン・トウ・ハード、このブルー・チェアはサマータイム・ブルースですな。

2014/08/12

お盆

ここ何年か亡くなった友達の残された家族に供養の品物を送っていて、久しぶりに今年はないので、ある意味幸せな年なのかもしれない。
送ることになったきっかけのパターンは、年賀状が本人からでなく家族から○○は昨年の□月に亡くなりました。生前のご厚情にあつく感謝し云々の文章が来て驚くパターンである。
昔からの悪友に毎年会うということはまずなく年賀状のやり取りで双方の無事を確認しあっているというのが年賀状の有効活用であると思っている。
 2年前に贈った友人?は不思議なことに電車の中でよく会うことがあって、こちらが居眠りしていたら横に座っていて驚いたようなことが何回かあった(実に気持ちの悪いやつである)。
 出会いは昔々毎日飲んで帰っていたころ、毎日寄っていた居酒屋に同じように毎日来ていた客である。なんせ2人だけの時もあるから自然と親しくなり、「お宅もすきでんなあ」というと、実のその御仁はとあるその店の近所の信用金庫の融資係りでその居酒屋に融資した張本人だった。それで経営が大丈夫か心配で売上貢献の意味も含めて寄っていたということである。まだまだ客がすくなく(僕はゆっくり飲めるところを探していたからある意味流行っている店は敬遠するから店にとってはジレンマですわ)、2人でその店の大将と「売り上げは大丈夫か・・・・」と店の売り上げ動向を酒の肴に飲んでいた。仲が良くなると定期預金を入れさせられた。したたかな奴である。
 亡くなってから彼の奥さんから電話をいただき出会いを「かくかくしかじか」としゃべらせてもらうと「そうでしたか・・・・・・・楽しかったんでしょうね・・・・」と何にもご存じなかったようであった。そらそうですよね。そんなこといちいち奥さんには喋らんわな。
 アップしたのは「はくせんこう」で多分今の若い人は知らないし、もちろん食べたことがないと思う。かく言う僕もあんまり記憶にないですが、なんかお盆と言えばこれを思い出す。「落雁」と書く。これで「はくせんこう」って読むんだろうか???

2014/08/11

CHER 2

こういう時期もあったのですが。本当の初期のソロアルバムの時期だと思います。正直まだ正体?がよくわからない時期ですね。

2014/08/10

CHER

SONY & CHERのシェールが映画に出るようになって「月の輝く夜に」という映画でアカデミー賞をとってしまう。その受賞時のワンショットです。驚きましたね。25年くらい前のお姿です。多分当時おん年40歳くらいのはずで、ただこの後もどんどん過激になっていかれたような気がしてます。映画ばかりかと思いきやヒットチャートの方もメガヒットを飛ばしてグラミー賞もかっさらっている。映画と音楽の最高峰の賞を2つともとっているのはシェールの他にいるのだろうか?

2014/08/09

SONY & CHER

フォーク・ロックの時代が来た(のかどうかはわからなかったけど)ということで、看板は先日の「バーズ」とこの「ソニーとシェール」だった。男性のソニー・ボノはその後映画「恋のパームスプリングス」で有名なパームスプリングス市の市長になったり、その後国会議員にもなった。その後は残念ながらスキー場で事故死した記事を読んだ記憶があります。女性のシェールはもう今でも大スター(なんでしょうね)でずっと考えたら何べんも復活というかいろいろと話題を提供してくれます。ヒットシングル(ハーフ・ブリードなんか好きですね)あり映画でも活躍さらにステージ衣装もすごいでっせ(衣装と言えるかどうか疑問ですが)。昔の「薄物を纏いて男を惑わす」の類ですな。

2014/08/05

弘田三枝子

いつのころだったか冷静に考えると、元歌はヘレン・シャピロということは1962年~63年のころで僕は小学校6年~中学1年。僕より少し年上の女の子がすっごくパンチのある歌い方で颯爽とデビューしてきた。「子供ぢゃないの」なんで「子供じゃないの」ではないのか??
気が付けば両面ともヘレン・シャピロの歌ですね。すごい歌手だと思ってました。JAZZをうたってもなかなかのもんだったし、ところが人形の家で変身を遂げてからもうわけのわからん世界に行かれたみたいで今や外見は原型をとどめてません。声は原型をとどめてるかもしれませんが。
まあとにかくこの時期のデビューは衝撃でした。僕の記憶では橋幸夫と同じ時期の現象でした?記憶が正しいかな?
個人的には、この弘田三枝子も森山加代子も初期のままで消えるべきだったと思っている。そしたらずっと後世まで名前が残ったはずです。
とまあ荒っぽく切り捨てましたが、弘田三枝子のJAZZボーカルのCDには捨てがたいものがあります。ある意味天才肌なんですよね。いったい彼女は美容整形にいくら使ったのだろうと思うことがある。もったいないとはこのことです。

2014/08/04

The Byrds 2

ユーチューブで彼らの演奏を見ることが出来る。若い女の子がキャーキャー言っている。ミスタータンブリンマンやターンターンターンに対してもキャーキャーキャーである。ちょっと不思議な光景である。それほど乗りのいい曲でもないしもともとキャーキャーキャーの対象となるような曲でないと思ってましたが、どうも当時はアイドルっぽい。どうもビートルズと同じ感じである。なんせレコードと音楽雑誌と空想力だけで海の向こうの音楽を聞いていたわけですから。聖書からとってきたような歌詞にキャーキャーキャーである。
ユーチューブは当時のテレビ番組がかなりあるので見てみると懐かしいというより実に新しい発見が多い。タイムマシンで旅行しているみたいである。

2014/08/03

The Byrds

突然バーズである。1965年のヒットパレードを思い出していたらこれが出てきた。ある意味1965年の目玉です。夏の前くらいから今年はフォークロックだと言い始めた。なにせ当時は「今年は○○です」というブームのキャッチを必要としていた時代である。個人的にはずっとビートルだろと思っていたけれど、それでは物足りなかったのかマスコミは「フォークロック」の時代が来ると言い始めた。前兆はホンマかどうかは知らないけれどアニマルズの「朝日の当たる家」を聞いてエレキギターの音にいたく感動したあのボブ・ディランがアコースティックからエレキギターに持ち替えた「時代はロックだ」と宣言した云々・・・・というような時代背景とともにこのバーズというグループはボブ・ディランの「ミスタータンブリンマン」という曲でデビューしてきた。個人的にはボブ・ディランよりずっといい。
昔から言われてきたけれど、レコードはリード・ボーカルのロジャー・マッギンだけがオリジナルであとはすべてスタジオセッションマン(めっちゃ有名なセッションマンばかり)だったという噂が絶えない。確かに出始めの12弦ギターの音も上手いですよね。
でもメンバーは後に有名になるメンバーばかり。後のCSNYのデビッド・クロスビー、後のフライングバリットブラザーズのクリス・ヒルマン、孤高の吟遊詩人ジーン・クラークと蒼々たる面子です。
この時はロジャー・マッギンの四角のサングラス姿がジョン・レノンを彷彿とさせてなかなかなんかメジャーになりそうという予感がしたものです。

2014/08/02

Crispian St. Peters 2

クリスピアン・セント・ピータースの次のシングル盤であるこの「パイド・パイパー」という曲は大ヒットして、これだけでずっと名前が残るようになった。でもあんまり日本で流行らなかったように思う。「ハーメルンの笛吹き男」という寓話があります。ネズミを笛でおびき出してどこかに連れて行ってしまう話ですね。あれがパイド・パイパーです。
なんせフォロー・ミーと連呼してますから「ついて来いよ」って言ってる。ネズミがついてきてもシャレにならないから多分かわいい女の子に呼びかけているんでしょう。僕は好きだったのですが。残念ながら当時の日本でのシングル盤は買っていない。

2014/08/01

Crispian St. Peters

前回のウィ・ファイブの歌をそのまま1年後カバーした歌手がイギリスにいる。クリスピアン・セント・ピータースという歌手で1年しかたっていないのにそこそこヒットしてしまう。当時イギリスからといえばグループサウンズだったけどソロの歌手は珍しかった。
このクリスピアン・セント・ピータースは次に超メガヒットを放すことになる。