2014/06/29

本屋さん

前回フランスの本屋について書いてみたが、税金を集めたお金で何を補助・助成するのかはその国の国民性が出てくるように思えた。そういう意味では本屋を保護するのはフランスらしいかなと思え、経済原則を重んじるのは日本かなと妙に納得してその日は終わり。
何の関係もないけど今日は蔵書の処分を思い立ちまず読まないと思うものを処分することに、蔵書と言えるかどうかわからないけど小林よしのりの本をバッサリ、話題になっていたから買って読んだけれど置いておく価値を見いだせず。それと勝間和代の本もなんか切り口だけが上手いなと思っただけで買って損した気持ちがあったのでバッサリ。さらに昔の国際会計基準の本もあまりにも沢山買いすぎて10年以上前の出版物は時代遅れということでバッサリ。でもあんまりすき間は出てこない。なんせ買う方が多いから。

2014/06/28

フランスの本屋さん

フランスでアマゾンの送料ゼロがダメということになった。フランスの本屋さんを守るためということらしい。これを聞いていろんな考えがあるもんだなあと改めて人間社会の面白さを痛感した。日本はどんどん本屋はなくなって行っている。正直僕もあれほど通っていた旭屋書店も紀伊国屋書店もここ2~3年行ったことがない。すべてアマゾンである。
メリットは
1.在庫確認がすぐ出来る。
2.明日届く。
僕は送料がかかってもアマゾンに利点を見出していたけれど送料ゼロになってとどめが打たれた感があった。
もともと僕にとって本屋に行くのはなんかいい本があれば買おうというスタンスは皆無なので(必要な本を買いに行くのが目的)、行って求める本がなければ全くの空振りに終わる。こんな人間にはアップしたような雰囲気のいい本屋は猫に小判だという感じです。自分の精神構造に余裕がまだないということかもしれない。
それと、放っておけば消えていく可能性の高い職業を国が守ろうとすることって本当にいいことなのだろうか?という疑問がどうしても付きまとう。(ひょっとしたらフランスはCD屋も守るかもしれない)
基本的に経済は自然体というのがいいと思っている。ニーズのあるサービスを提供するものが生き延び、できない産業は消えていく。こういうことを明言すると「きついこというなあ」と言われる恐れが日常生活にはいっぱいある。
大阪市の文楽への補助金の話とかに行きつき、フランスは本屋さんを伝統産業として保護するようになるのかな。
まあ経済原則に人間の感情が絡んで社会は成り立っているので、最終的には客の振り返らないものは去って行かざるをえなくて、補助金で成り立つ伝統〇〇も国であれ、市町村であれパトロンの懐がきつくなれば消えざるを得ないということは必然の理だと思うのはまちがっているだろうか。

Knock me out

これはベンチャーズの1965年に出た「ノックミーアウト」というレコードのジャケットです。左のギターは「モズライト」というブランドで今はギブソンやフェンダーが有名ですが、当時はベンチャーズが使っているということでみんなが欲しがったものです。(加山雄三もモズライト使ってました)
このレコードにはビートルズのアイフィールファインの他その頃はやった曲がいっぱい入っていて、日本では「ビートルズVSベンチャーズ」の構図で特集が組まれることが多かったのですが、世界的に見ればベンチャーズは他人のヒット曲をインスト演奏するバンドという位置づけだったように見えたかもしれない。
前にも書きましたがこのモデルさん実にアメリカのヤングガールという感じで気に入ってます。

2014/06/27

株主総会お土産

今日は株主総会日和で全国のかなりの上場企業が株主総会をやったということであります。株主総会に行けば「お土産」をくれるところがある。全部の企業がくれるというわけでもないけれど一般的には消費者向けの商品を販売しているところは宣伝も兼ねて新商品とか定番商品とかをくれる。他には全く関係のないものをくれるところがある。
今ではどこの企業が総会でどんなお土産をくれるかネットでわかるから興味のある人は調べてください。
とらやの羊羹をくれるところもあるらしい。むかし松下電産に行ったときは紅白まんじゅうだった。

2014/06/26

おつかれザックさん

サッカーは残念な結果になって、いろいろと書かれだしたけれど、僕みたいなド素人にも正直まだまだというか、地域の枠の仕組みで上手く出場が出来ているなと思った。ただそこそこの力がついてきているのは確かで結構勝負になってきたと思えた。
個人的にはザックさんの印象がよく、今までのトルシエ、ジーコよりも好きである(岡ちゃんは別ですが)基本的には留任はないらしいのですが、悔しさも当然ザックさんにもあるでしょうから、もう一回くらい任せてもイイのではと思う。
それとザックさんの周りのスタッフもいい味出しているなといつも思ってみてました。
お疲れ様でした。
こう書いているうちにザックさんの退任表明が流れてきて潔いというか仕方がないですね。
でも監督をしている方々って世界中に行くんだなあと感心して見ております。サッカー理論と指導力を担いだ渡り鳥みたいな感じがします。
それと監督とスタッフのチームなんですね。「どや日本から話が来てるんやけどお前2年ぐらいついてけえへんけ??」という感じで誘うのかなと勝手に想像してます。
個人的にはもう4年やってほしかったですね。

2014/06/25

WASHINGTON SQUARE

僕が音楽を聞き出した歴史を振り返ると、ビートルズをにわかに聞き出したということになるけれど、どうもその前からちょっとずつ洋楽に興味を持ち出していたみたいである。1964年の4月にラジオでビートルズを聞いてのめりこむことになるが、そのラジオ番組は多分その前から時々聞いていただろうと思う。
その前に聞いていて印象に残っているのが「ドミニク」という曲とこの「ワシントン広場の夜はふけて」という曲だった。
なんにも知らないから「ワシントン広場」はワシントンにあると思っていた(というか大抵はそうおもいますよね)。丁度1964年の初めの頃の話である。

2014/06/24

お好み焼き定食

今日は先日受けた血液検査の結果を聞きに行った。年に3回くらい採血されている。まあ全体としてはOKが出たけれど、相変わらず肥え気味なので痩せなさいと言われる。それで何が好きかと聞かれたので、「お好み焼き定食」「ラーメンライス」「うどんとおにぎり」「パスタランチ」と好きなものを言ったら、先生が「みんなあかん、ようそんな悪いもんばかり並べたな・・・」とかなり驚かれた様子で、「全部食べるなとは言わんけど、ご飯とセットはあかん」というお達しが出た。先生曰く「ステーキ毎日食ってる方が痩せる」らしい。ただ他の数値への影響はわかりませんが。というわけで、ご飯とセットはあきらめざるを得ない状況になった。
アップした写真を見たら美味しそうで(ごはん大盛り)、目に毒である。
「オムそば定食」とか「焼きそば定食」とかも捨てがたいのですが。

2014/06/23

1969年春

1969年という年は、高校を卒業して大学生になる予定がすべり止めまで見事にすべってはれて浪人生になった。すべるついでに予備校まですべった。正直予備校のテストまで一生懸命に解答する気力もなかった。いい予備校に行っていたからって履歴書に書いても(ふつう書かない)仕方がないしね。それで近所の無試験の予備校もどきみたいなところに行った。もどきというのは、もともと学習塾でそれがちょっと大きくなった感じのもので、ごった煮のような浪人生が集まっていた。それはそれで楽しかった。国立大学を受験したものから短大をすべった女の子までまあ一緒にやりましょうという感じで、一応まともな先生が来てくれてちゃんとやれば大丈夫そうだった。
いまから振り返ったら4月から7月くらいまで1日10時間以上机にかじりついていたので、なんかその辺で来年は大丈夫のような気になった。この大丈夫というのは卒業した時に理解できていなかったことがほとんど分かったからで、後は覚えることと試験の解答練習だけのような気がした。
この7月くらいまでレコードを1枚も買わなかったように思う。このことがいかに禁欲的な(人生で一番の禁欲生活だった)生活を送った証である。
1969年はビートルズのホワイト・アルバム発売で年をあけ、レット・イット・ビー、アビー・ロード、ビートルズ解散騒動・・・と実に大変な年?であったにもかかわらず、受験勉強のためこの年のビートルズのトレースは完全な実地体験とは言えない。一応雑誌は買っておいたので翌年に遡及して学習したものである。
レコードはあんまり買わなかったけれど、ラジオは適当に聞き流していた。4月ごろこの「時には母のない子のように」という実に不思議な気だるい曲が大ヒットしたカルメン・マキという女性が歌っていてルックスも神秘的だった。確か恋人がシナトラといったような??春は、この「時には母のない子のように」と「夜明けのスキャット」を聞きながら頑張った。
予備校もどきなんで毎日なかった。小学校から高校まで毎日規則正しく家を出ていたのが、まあスケジュールに合わせて昼から行ったりというのが楽しかった。
今から考えたら、小学校から高校の12年間の方がイレギュラーな生活だったと思うけれど、当時は昼から行ったら変な目で見られるのでは?とか実に小市民的な発想だったなと今になったら思う。
この「時には母のない子のように」はご覧のようにSONYからの発売で、そのころSONYがレコード産業に進出した。当時のSONYはいいレコードが多く、実に新鮮で脂がのっていた。昨日の松下電器ではないけれど、SONYも今大変である。生きのいい状態を維持するのは大変です。

2014/06/22

松下電産 茨木工場

松下電産(今はパナソニック)の茨木工場が売りに出された。もう松下のシンボルみたいな工場だったのに・・・。時代は変わる。
昔、茨木に住んでいた時に、多分昭和35年くらいに今の天皇陛下(当時は皇太子殿下)ご夫妻が工場見学に来られた時に旗を振った思い出がある。近所の小学生中学生総動員??だったかな。さらに大学生の頃、郵便配達のアルバイトをしていた時にこの工場の受付(この写真の真ん中の事務所みたいなところ)に郵便物を持って行っていた(当時とは建物が代わってますが)。
松下町という住所で今後も残るのでしょうか?
いつも思うけれど企業は永続することになっている(ゴーイングコンサーン)という前提ですが、永続するのは実に大変なことだというのがこの年になって実感としてわかることが多い。
この茨木工場は多分JRの茨木駅から社内のバスが出ていたと思うけれど、歩いていた人も結構いた(歩いたら30分弱くらい)。僕の家の前をぞろぞろ歩いていたので、子供ながらに大勢の人が雇われていると思ってました。「盛者必衰の理」というのはちょっと違うのかもしれないですが、日本のテレビ産業は絶対に永久だ、不滅だと誰もがこの前まで信じてましたよねえ。
なんで韓国に負けたのかもっと真剣に考える必要があると思う。単に労働力が安かっただけなのか、技術の輸出政策が甘かったように思えてならない。
なんか寂しい気持ちがしたニュースでした。

2014/06/21

少年マガジン

もうごく普通の現象になっているけれど、少年漫画の雑誌が毎週発売されるなんて僕が小さい時には考えられなかった。僕が小学3年(昭和34年)の春に講談社から週刊で漫画がでるということで、本当に毎週漫画が続くのかと子供ながらに心配したものである。
このチラシにあるように、天兵童子、新吾十番勝負という漫画に加えて「13号発信せよ」というロボット漫画があった(今でも買えます)。
小学館からも少年サンデーがでて、それまでの月間誌(少年、少年画報、少年ブック。日の丸、漫画王・・・・)の時代は急速に変わっていく。
もう55年前の出来事です。
マガジンは横綱朝潮(初代)、サンデーは長嶋さんが表紙だった。僕の周りには結構持っている連中がいる。

2014/06/18

禁じられた遊び

「禁じられた遊び」という映画がある。もう今となっては見た人が少ないかもしれない。なぜこれを思い出したかというと、先日書いた1965年初頭のヒットパレードを思い出した時に、確か1965年の正月の深夜放送で見たことを思い出した。ゲーリー・ルイス&プレイボーイズの「恋のダイヤモンドリング」と「禁じられた遊び」は僕の頭の中ではカップリングされている。
右の女の子は子役のスターでいったん学業に専念してそのあとまた大人の女優さんとして活躍している。賢そうな雰囲気を持ったいい女優さんになったなあと思ったものである。
反戦映画のジャンルに入るのかもしれないが戦争反対とダイレクトに唱えるのも一法だと思うけれどこういう映画にされるとホンマに戦争は愚かなものだと心の奥底から思ってしまうので効果が絶大である。
その時の思い出であるが、確か家族全員で見た。深夜放送っていうのは、今では24時間いつでもテレビが映っているが、当時は夜中には放送はなく、深夜にテレビが放送されているのはやはり正月ならではということだったのだろう。なにか特別な感じを持ちながら見た記憶がある。「禁じられた遊び」とは一体何のことだったのだろう???お墓から十字架を盗むことだった??もう50年近く前の思い出なので定かでありません。
でもこのアップしたシーン、これだけでもなんか良さそうな感じがします。

2014/06/16

W杯 2

今日は(厳密には昨日は)朝からイングランドとイタリアを見て、日本の試合を見て、それから昼寝した。イギリスはなんでイングランドなのか?先日のスコットランド分離投票のニュースを思い出しながら見ていた。日本は本田が入れたまではよかったけれどなんか素人目にも不安が付きまとった試合であっという間(同点になってトイレに行って出てきたら)に逆転されていた。
後でネット上の記事を読んでもわかったような分からんような、要するに日本らしい試合運びが出来なかったらしい。
まあそうかもしれないけれど、まず思ったのは相手の選手はみなさん大きかった。
あと2つとも勝たないといけない感じですね。なかなか難しい状況です。

2014/06/15

W杯

W杯が始まった。ほとんど知識はないが日本で開催された時に、確か長居で開催された時に地下鉄にものすごい青いシャツの一団が乗ってきたことを体験して以来、大変なものであると認識している。で、まず知識を得ようとは思っていなくても新聞あたりからスペインが強いという前評判は知っている。ただオランダというところも昔から強いという認識もあって、まあ楽しみに見てみました。
このアップしたもうびっくりするようなプレイからオランダがぐう~んと勢いがついたように思う。
終わってみればオランダの圧勝でやっぱり勝負はやってみなければ分からないというのと常にトップで居続けるというのは研究されr尽くされてくるし難しいことだと思った。

2014/06/14

The Ad Libs

ビートルズをきっかけとしてアメリカのヒットチャートを毎週気にするようになった。ビートルズ旋風も1964年の秋くらいから沈静化して、要は新曲を発表する都度ヒットチャートが賑わうという普通の状態になった。1964年の年末に「アイ・フィール・ファイン」が出て1965年の新年はそこからスタートということになった。
まあ3か月に一度くらいのペースで新曲が出てくるからおのずと他の曲も聞く余裕が出てきた。
記憶に残っているのはイギリス勢のほかにライチャス・ブラザーズ、ゲーリー・ルイスとプレイ・ボーイズとかここにアップしたアドリブズという女性の入ったグループの「boy from new york city」という曲がすごく印象に残っている。あとはジュニア・ウォーカー&オール・スターズの「ショット・ガン」とかね。フォー・トップスも強かった。いわゆるモータウン・サウンドですな。書いてるだけでも懐かしい。

2014/06/12

LED ZEPPELIN Ⅱ

前回の5枚を眺めていたら、どう考えてもこのツエッペリンの2枚目も聞いたよなあと思い始める。これはある時期本当によく聞いた。ただ今聞いている頻度はあの5枚より少ない。厳密に言えばサージャントもそれほど聞かない。
圧倒的に今でも聞くのは、狂気とジギースターダストとアビーロードの3枚。ビートルズはCDがないのでどうしてもハンデがある。
狂気はライブの丸ごとやりましたというのもよく聞くから圧倒的にピンクフロイドが多いかもしれないですが、このツエッペリンの2枚目にはまり込んだ深さは1番かもしれない。これは凄かった。

よく聞いたレコード

自分自身で今まで一番聞いてきたレコード(CD)は何かなと先日から考えだして、他人からすれば実にどうでもいい話ですが、1番というのはなかなか難しいけど多分この5枚くらいが妥当なものかという結論に達した。
聞いた順番から考えたら
1.日本盤のミートザビートルズ
2.サージャントペッパーズ
3.アビーロード
4.ピンクフロイドの狂気
5、デビッドボウイのジギースターダスト
あとある時期狂ったように聞いたものとして
ソフトマシーンの1枚目(自分ながら意外です)
ディープパープルのライブインジャパン
他にも結構あるけれど
今もかなりの頻度で聞いているという条件を付けたら上記の5枚になる。ただし1はCDでないです。もうすぐ発売されます楽しみです。
アップしたピンクフロイドの狂気は何時発売だったかな?確か1972か73の春でした。梅田の紀伊国屋のレコードコーナーで手に取って眺めたのを覚えてます。

2014/06/10

五新線

昔にも書いたことがあるけれど、奈良の五條から和歌山の新宮まで国鉄を走らせようとして着工されていた時代の遺物がかなり残っている。それほどマニアでもないけれど残されたものを見てみたいという気はずっと昔からあって、それが先日来の八木新宮バスとリンクするとは夢にも思っていなかった。よく考えたらバスの路線と五新線は同じ役目を担っているわけですな。
アップしたようにズドンとそのまま残されている姿は哀れというかなんというかジーンとくるものはある。なんかどっかで見たことがあると自分の記憶をたどれば姫路のモノレールの残骸を思い出した。ただあれは走っていた実績がありますがこれは全く夢に終わったところが違いますかね。

2014/06/09

八木→新宮線

こういうバスが走ってます。

大和八木から新宮への直行便

奈良の大和八木に仕事で行くことがある。昔はよく行っていたけれど最近は年に数回くらい。近鉄特急での通過はもっと頻繁ですが。ある意味ターミナル都市ともいえる。大阪にも京都にも名古屋にも乗り換えたら特急で一直線である。電車にも便利な駅ですが、バスのターミナルもあって、ここから和歌山の新宮への直行便が出ている。昔からあるのは知っていて一回乗ってみたいなと常々思っていた。ただし6時間である。京都駅から特急「くろしお」の方が楽です。ただこのバスの魅力は、あの十津川から熊野本宮を経て新宮までという実にいろいろと興味がある僕みたいな人間には魅力いっぱいのツアーバス(本当は路線バスです。毎日日常で利用している学生さんもいるらしい)です。
このバスが利用者が減って、沿線の市町村からの援助も仰ぎ、赤字覚悟で運営されてきたらしいが、いよいよそれでも厳しいらしい。ただこれしか交通手段がないのでなくなると完全に孤立してしまう人も出てくる。なんとかなればいいのですが。
ユーチューブに絶対あると思って検索したら「中の人動くものだいたい」というお方の貴重な往復の前面画面リアル中継があって、往復でほとんど12時間。結局この土日見てしまいました。いまでもバスに揺られている感じがしてる。(アホか)
暗くなって新宮駅に着くところなんてまさに哀愁バス。いいですなあ。

2014/06/07

STRAY DOGs

ストレイというバンドの話を思い出したら、同時にストレイ・ドッグとストレイ・キャットというバンドを思い出した。ストレイ・キャットは今でも有名ですが、まさドッグがいるとは思わなかった人が多いと思います。僕はドッグが先だったので、次は猫が来たという感じでしたが。ストレイ・ドッグは結構鳴り物入りでデビューしたので当時のことを知っている人には何でもない話です。
エマーソン・レイク&パーマーが作ったレーベルのマンティコアからレコードを出したので実に注目されました。どんなサウンドなん???
う~~むハードロックではないですがメリハリに欠けるかなという漠然とした印象で消えていきました。レコードは持っているので何回かは聞きこみましたがもう一歩でしたね。

2014/06/06

STRAY


このストレイというバンドもある意味B級ハード系統、昔集めましたね。あの頃楽しかったです。結構掘り出し物があって、輸入盤屋さん(もう死語ですね)回りが週末の日課みたいになっていた。就職してから3年くらいの給料はほとんどレコードになってしまった。昔はトランスアトランティックとかいうレーベルではなかったかな?記憶違いかもですが。

B級ヘビメタ

B級グルメという言葉が流行ってますが、B級ヘビメタというかB級ハードロックというジャンルがあるような気がしてまして。雑誌なんかで認知されているというところまで行きませんが、どう言っていいかわかりませんが、メジャーになれなかったけれどそこそこレコード(CD)は出ている。コアなファンもいる。後世になって結構カバーされている。
このバジーというバンドも特徴のあるジャケットでファンもおりまして僕も買ってます。ただ一皮むけないサウンドというか(そこがいいという人もおります)、メタリカなんかはコピーしてます。
このB級ヘビメタの世界に入るとはまります。

2014/06/05

寶 焼酎ハイボール

京都駅の駅の中のコンビニがセブンイレブンに替わりつつある。
4月くらいから改装中になっていて、この間からオープンされた。それで個人的には危惧していたことが現実になった。
以前のハートインで売っていたこの寶酒造の焼酎ハイボールがなくなっていた。ひょっとしてなくなるのではと危惧していたわけです。
寶酒造といえはチューハイですが、これとは全く違うもので、こっちの方が絶対うまい。鷹酒造さん頑張ってください。
それでどうするかと言えば、セブイレで買わず、いったん駅を出て目の前の売店にあるからこれを買うようになりそう。
呑み助でも意地がある。なんでもええというわけでもない。セブイレに負けるかという気概が大事。

LED ZEPPELIN

こういうのが出てきた。実に難儀である。CDにレコードまでついている。実はCDのみのバージョンも発売されてそれは3000円くらい。このアップしたレコード付き、さらに豪華ブックレット付きは2万円である。しかも1から3まであるから6万円でひょっとしたら4作目以降も出して来たらどうなるのか??フィジカル・グラフィティなんかもともと2枚組のものだから4万円??
正直二の足を踏んでおります。CDの方をまず買った。未収録のライブとかなかなか音が荒く迫力がある。ただねえ2万円×7(プレゼンスまで)くらいまで行きそうですから、困ったもんである。

2014/06/04

悲しみのアリア

なぜかこの歌を覚えている。
あっという間に消えた(というか結婚しちゃった)僕にとっては幻の歌手の1人。この歌好きだったのですがね。

2014/06/03

ネイビー・ブルー

ビートルズがアメリカのヒットチャートを駆け上がりだした1964年の1月頃のヒットチャートを見てみるとこの「ネービー・ブルー」という曲が上位にランクされている。ダイアン・リネイという女性が歌っていたもので、日本でもヒットしたし、日本語にかえて歌われていた・・ただ誰が歌っていたかは思い出せない???
なんで記憶にあるかと言えば歌詞にたしか「東京」という日本の地名が出てきたのではなかったかな・・???

恋人が水兵さんで船で出て行ってしまって寂しいわ・・という歌で海外の港の名前が出てきたはず。
後になったらディープパープルの「ウーマン・フロム・トーキョー」とか題名にはっきり出てくるけれど、当時は日本の地名がアメリカのヒット曲の中に使われるなんて驚きだった。

このあたりから「TOKYO」が有名になりだしたのかな?まあ東京オリンピックが開催される年だったわけですし。

2014/06/02

ジンベイザメ

どういうわけかお客さんが沖縄から北海道までいて、年に1~2回は行くことがある。北海道はもうちょっと行くかな(3~4回)。周りからいろんなところに行けていいですねと言われるが、仕事で行くのでそれほどいいとも思っていない。出張の準備が面倒。沖縄はやっぱり湿気が高く僕は苦手です。昨年は梅雨の真っ只中に行ったから空港に降りるなり汗が噴き出てきて参りました。北海道はその点湿度は低く快適です。ただし、冬は行かないようにしている。沖縄に行ったら、どこに行きたいとも思ってないつもりだったけれど、よく考えたらアップした水族館に行ってみたいですね。