2012/10/31

CSI マイアミ

最近はこれにはまってしまっている。シーズン5までやってきた。通しで見ていたらちょっとずつメンバーが入れ替わっていくのが面白い。転勤や殉職やそれなりにいなくなる理由をつけて去って行って替りに新しい人が入ってくる。

2012/10/26

桑名正博

ファニー・カンパニーの桑名正博さんが亡くなった。まだ若い。桑名正博さんといえばやっぱり「ファニカン」であり。「スィートホーム大阪」がなんと言っても有名である。それから「退屈はあぶくになって」とかいう曲も好きだった。デビューの頃はなぜか矢沢栄吉のキャロルとジョイントでコンサートをやっていた。
いつだったか1975年くらいかな、天王寺の野音で見たことがある。当時の写真があるのでここにアップしたら一番タイムリーなんですがすぐには出ない。その時のコンサートで「もうこれで解散する」云々の発言もあったのでなかなかグループの運営も難しかったみたいである。
その時パチパチと写真を撮っていたら隣にいた女の子が写真を欲しいと言ったので持って行ってあげると言いつつ行かなかった・・・こういうのは今もって悪いことをしたと思う。堂島地下センターの「ジーンズショップノン」の菊池さんっていう女の子だった(はず)。当時僕は広島にいてすぐには行けなかったのに、またすぐ大阪に帰って来たらええやんと思っていた。若気の至りとはこういうことかなと。年をとるにつれいろいろと思い出す。
桑名さんのご冥福をお祈り申し上げます。なんか段々寂しくなります。


2012/10/24

Hawaiian Eye

ワーナー・ブラザーズの探偵物3部作の3つ目がこの「ハワイアン・アイ」で左からロバート・コンラッドとコニー・スティーブンスとあと2人が出てこない。ポンシー・ポンス?が一番右ですよね。左から3人目は確かトレーシーという役の名前だったような???(ほんまはこの人が主役だった?)まことに記憶というのは減退します。これは土曜日の9時からだったような??「逃亡者」みてこれを見ていた?かな。なんかプロローグで事件が起こり、ACT1・・ACT2・・と続いてエピローグで余韻をもって終わるという構図だったように?記憶してますが。

77 Sunset Strip

こういうのもありました。
CSI、CSIマイアミ、CSIニューヨークを見ていてこれを思い出した。何故これかといえば、当時1960年台初頭に「サンセット77」「サーフサイド6」「ハワイアンアイ」というまあ探偵物のテレビ番組があって、すべてWBが製作していた。サンセット77は多分ロスアンゼルスでサーフサイド6はマイアミでハワイアンアイは当然ハワイである。それでこの3つに出てくる探偵さんが結構協力で交流して出てくる。途中から見たら何を見ているのか分からない。それが結構楽しかったのであります。そのパターンがCSIにも見られてそれで思い出したわけ。
サンセット77の紅一点のジャクリーヌ・ピアはミスフランスかなにかでハリウッド入りして、その後それほど大成しなかった。ただ僕のつたない英語力でネット情報を読んでいると、このジャクリーヌ・ピアさんその後あのコンチキ号のヘイエルダールと結婚したという記事を読んだ記憶があるのですが本当かなと今でも思っている。

2012/10/23

Surf Side 6

昔々「サーフサイド6」というテレビ番組があった。
マイアミを本拠地とする青春探偵物で主役は恋のパームスプリングスの「トロイドナヒュー」ですね。この人大スターになると思っていたのですがねえ。
CSIマイアミを見ていて、随分マイアミの雰囲気も違ってるなあと記憶をたどりながら思ってます。
このサーフサイド6の頃はまだキューバ問題が発生する前だと思うのですね。キューバからの不法入国も当時あったのかなと思ったり。
ただ、サーフサイド6はそんな難しい話題は皆無で明るい楽しい天国のようなマイアミをお金持ちの半分アマチュアみたいな青年探偵が事件を解決していく実に楽しい番組だったように思う。
ダイアン・マクベインが危ない妖精のように子供心に思えた。

Boti Bliss

古くて申し訳ないですが最近「CSI マイアミ」にはまっている。シーズン1からみてまだシーズン2である。先は長い。ただCSI(ラスベガス)、CSIマイアミ、CSIニューヨークの3つのうち、最近マイアミだけが打ち切られたそうである。理由はマイアミが一番コスト高ということらしい。確かに空の上からの映像も多いし自然を映すことも多いからお金がかかるのかなと思ったりしている。アップしたのは途中から出てきだした研究員役の美人でDNA鑑定ばかりしている。ちょっと雰囲気が変っていてなかなか魅力的であります。

2012/10/22

CITADEL/ROOM 315

記憶の定かでない話を続けて、いろいろメモを残していて、「CITADEL/ROOM 315  MIKE WESTBRACK」というメモが黄ばんだ状態で置いてあった。多分レコードの題名だとは思っていたが、いつどんな状態でメモったのかもう忘却の彼方である。これもネットで調べる。MIKE WESTBROOK という人だった。題名は間違っていない。ただ僕が得意ジャンルではない。
ずっと考えて・・・外れているかわからないけど、昔々「トラフィック」のファンクラブの会報がいい出来だと「中村とうよう」さんが褒めていたので取り寄せたことがある。その時の会長さんと何回かメール(ではなくって当時は手紙)のやり取りをしたことがあって、その時にその会長さんが「これいいですよ」って書かれていたものだと思う。
その会長さんに数年後に一度だけ電話をしたことがあって(なんの用事だったのかこれも思い出せない)、お母さんが出てこられて亡くなったとのこと・・・・たくさんレコードを残して亡くなられたそうである。かれこれ20年以上前の話である。
こういう断片的な思い出がふと出てくる。
このレコード(CD)買ってみます。

三十三間堂通し矢

記憶の構造というものはどうなっているのか本当に不思議で、この間から「三十三間堂の通し矢」の題材の漫画をどっかで読んだ記憶が湧き上がってきた。昔なら「いつ?どこで?????忘れたなあ」で終わるけれど。いまは実に便利な時代でネットで調べていくうちに、僕の読んだのは1970年頃に少年キングに連載されていた弘田弘史の漫画であったことが分かってきた。当時はマガジン、サンデーからチャンピオン、キング・・・と多分友達と交換し合っていたのだろうと思う。ただ単行本で読んだような気も???変に感動した記憶がありまして完全版も出ているらしいので買ってみようかなと思ってます。

2012/10/21

折り返し点

東京オリンピックのマラソンの折り返し点にこういう記念の石碑があるらしい。一度行ってみたい。どのあたりなのかな。
多分新宿まで行って私鉄でしょうか?

2012/10/18

若松孝二

また訃報である。映画監督の若松孝二さんが亡くなった。交通事故だそうである。過激な映画が多く、いわゆるピンク映画を通り越してました。70年代ね。あのエネルギーは好きだった。ほんとはもっと若い頃のもっと黒いサングラスの写真を探したけど見つかりませんでした。ここにアップした姿は大分と角が取れている。合掌。

2012/10/17

ada kok

1968年のメキシコオリンピックの200mバタフライで優勝した時。

2012/10/16

ada kok & erica terpstra 3

日本に来た時(1964東京オリンピック)のワンショット。両脇の日本人も方は今どうされているんでしょうね。あの時期は楽しかったでしょうね。

2012/10/15

ada kok & erica terpstra 2

前回と同じ人物です。なかなか興味深いです。少なくとも前回から40年は経過している。ほんまに同じ人物でっか????

ada kok & erica terpstra 1

ハグベリ関連でオランダ語の記事を見ていたら、どうしてもこの人がよく出てくる。「アダ・コック」さんといって(右側の人)100メートルバタフライの金メダル候補だった。東京では記憶では銀に終わった。彗星シャロン・スタウダー(USA)に負けたはず。アダ・コックはその前の年の1963年の東京国際スポーツ大会にも出ていて日本の高橋栄子といい勝負をした(はず)。結構日本でも人気があった。大柄で明るく見るからに陽気な人柄が出ていた。左はテルプストラで100m自由形で4位だった。彼女も東京国際スポーツ大会に出ていて、このときはハグベリに負けている(ハグベリ1位、テルプストラ2位)。1年間で逆転してしまったわけである。アダコックは1968年のメキシコにも出てきて、200mバタフライで見事金メダルを獲得している。

2012/10/14

Ann-Christine Hagberg 4

ハグベリで検索すると画像がまとめらているようになっていて、僕のアップした切り抜きも含めて世界中の投稿が見れる(えらい時代です)。そのなかにスウェーデンの会社の役員紹介で同姓同名のこの方の写真がもう3年位前から出ている。年齢的にも一致するしお顔の輪郭も似ているしこの方だなと思ってはいたけれど、水泳選手と会社の役員という関係が結びつかずにいままで来ていた。先日のウィキで、大学をでて勤めて(同時にスウェーデンの水泳連盟の役員もしていたらしい)、今は次の会社の社長とういう記事を読んでかなり確信に近くなっている。ただ次の会社の社長というのがどうも日本の感覚と違っているみたいで、このアップした写真は「THE BOARD」というスウェーデンのコンサルタント会社に載っているもので、そこにいっぱいの役員が出てくる。そのひとりとして名前を連ねているのですが、その一人一人が社長とグーグルの翻訳は訳す。日本で単純に考える株式会社ではないみたい。

2012/10/13

丸谷才一

丸谷才一さんが亡くなった。あんまり文学作品は読まないけど大学生の頃本の題名に惹かれて買って読んだ。ストーリーはこんなこと実際には起こらないと思いつつ面白く読んだ。これって「文学」なのかと思った記憶がある。昭和の夏目漱石みたいな印象を持っている。合掌。

Ann-Christine Hagberg 3

これもオランダの1964のオリンピックの記事に出ているハグベリの写真。背中を向けているのが誰なのかは残念ながらオランダ語?で分からない。イタリアの選手みたいに書いてあるが名前の部分がどこかが分からない(後で調べたらイタリアのパオロ・サイニ選手でした。こんなことまで今のネット社会は分かるようになってきた。東京オリンピックにも参加していて予選で敗退)。昔はオリンピックに出る選手でもスイミングキャップはしていなかった。ハグベリとサイニは東京オリンピックでは一緒に泳いでいないのでこの写真は別の時(多分ヨーロッパの大会)のものと思われる。

2012/10/11

Ann-Christine Hagberg 2

こういう写真を見つけたオランダの東京オリンピックに関する記事であります。珍しい。女子100メートル自由形決勝の飛び込む前のショット。4コースが優勝したオーストラリアのドーン・フレーザー、5コースがアメリカのスタウダー(2位)、1コースと2コースが写ってませんが、3位と4位は写っていない2人です。ハグベリはぎりぎり決勝に出れたので8コースです。こういう写真は初めてです。3コースはカナダ、6コースはオーストラリア、7コースはなんとハンガリーでした。

2012/10/10

Ann-Christine Hagberg

僕がハグベリの雑誌の切抜きを載せたのが2009年の1月でもうちょっとで4年になる。以降あんまり発展が見られなかったけれど、先日からウィキに英語バージョンで掲載されるようになって、それによれば1966年までは水泳をやっていてその後ルンド大学に進み、その後ストックホルムの会社に勤め、その後広告会社の社長になっているということであります。すごい進化です。ここまで分かってきた。以前からハグベリに似た人が企業の役員の写真に載っているという書き込みをしたけれど、まさしく本人であったということですね。
この写真は1966年のもので東京オリンピックから2年後、18歳の時です。ちょっとお姉さんになってます。
さらに外国の方々がアップされた記事も増えてきて僕の宝物だった切抜きをかなりの方が見ていることも分かってきた。ただあの時もっと雑誌に載ったと思うので僕より年上のマニアがいそうなものなんですがねえ・・・。
他の雑誌(確か週刊プレイボーイに載った)の切抜きがまだ見つからない・・・・。
その他にも結構な情報が手に入ってきてます。インターネットはすごいです。

その他、昔の深夜放送で確かビートルズが「愛こそはすべて」を歌った頃(1967)の関西の放送(仁鶴も週1回やっていた番組の別の曜日のパーソナリティだった。確か北村なんとかというお方だったように・・・)でハグベリに手紙を出して返事が来たという投書を聞いた記憶があるから当時かなりのものがファンレターを出したはずである。


2012/10/09

金本 引退

1試合に3本のホームランを打ったのが2009年の4月だった。驚いたのはまた1試合に3本のホームランをその直後に打った。化け物のような気がした。努力の人といわれているがそれプラス「カリスマ性」があった。デッドボールの後次の打席でホームランを打ったり、なんというか普通の人がもっていない運の強さを感じた。そういう人は結構いるもので経営者も「努力+運」のような気がする。
素人の思いで申し訳ないけど、どうして和田監督は引退宣言後ずっと金本をレギュラーで出してやらなかったんだろうか?不思議な気がする。観客はあの時点では毎試合金本を見たかったはず。完全試合がかかったピッチャーを交代させた落合監督よりもっと不可解な采配と思うのは僕だけだろうか?

憂歌団

憂歌団のドラマーの島田さんが亡くなっていた。1週間くらい前の話。書きそびれました。88ロックディとかで数回見たことがある。僕は生録59分までしか持っていないのでコアなファンではなかったことになる。その後10年くらい前ですか・・東京に出張している時に偶然山手線で乗り合わせたことがある。ボーカルの木村さんに「今からライブでっか」と声をかけたことがある。大阪弁だったもんで気安く「せやねん」と応えてくれた記憶がよみがえってきた。
自殺説もあるようで、どうもロック関係の人は人生に潔いひとが多い(分かるような気がしますけどね)。ご冥福をお祈り申しあげます。

ノーベル賞

今年もノーベル賞の時期になった。確実と言われていたけれどちょっと早いかなという予想もあってヤキモキしていたが、見事まずトップバッターが受賞ということになった。
この人の経歴はなかなか紆余曲折があって勇気をもらえる。先日のABC問題の天才さんなんか19歳でプリンストン卒業とかいわれるともうギブアップという気になるが、まあ国立大学の医学部に受かるだけでも大変ですが、まだ回りには知人もいるから珍しいことはない。
個人的には、現時点で中国・韓国に負けない分野は医学だと思っている。もっと国家的予算をつぎ込んで電機の次の産業に育てることが凋落日本を救う一つの方法だと思う。
あとは村上春樹がどうでしょう?

2012/10/08

なぜか鳥取砂丘へ

実に久しぶりに長距離ドライブをした。鳥取砂丘まで行ってきた。着く前にスコールみたいな雨が降ってどうなることかと案じたが着く前に止んでしっとりした砂の上を歩くことが出来た。面白かったのは何を考えたのかかなり大きなベビーカーみたいなものを子供を乗せて押してきた夫婦、途中で子供を下ろして歩かせてお父さんが意地でも頂上?まで押し上げましたがもともと企画がおかしい。
帰りは9号線でゆっくりと、昔仕事で毎週行っていた和田山のイオンで休憩、やっぱり人が少ない。ここの「上道製菓」の栗大福が美味しかったしかも安い。くさもちも美味かった。

2012/10/06

mary hopkin 2

左の前に座っているのが「ピーターとゴードン」のピーター・アッシャー(ジェーン・アッシャーのお兄さん)中央はもちろんメアリー・ホプキンで後ろがデレク・テイラーかな?右に座っているのは??

2012/10/04

高田商会 2

こんな立派な社屋だったらしい。この社屋が関東大震災で崩壊してしまっている。あの頃の建物は実に趣があります。

2012/10/03

高田商会

高田商会は以前にも書いた記憶があるが、その後書き込みをされる方々が増えてきている。前日の「追跡」という本に出てくる政商であります。日露戦争はこの高田商会のおかげで勝利したと言われるくらい功績があった(らしい)。跡取りの放漫経営がなければ三井・三菱・住友クラスの商社として残っていたかもしれないなどと書いておられる方もいます。
関東大震災で本社ビルが崩壊した写真が残っている。立派な建物だったことが窺える。

2012/10/01

追跡


リリーマルレーンを読んでしばらくしてこの本を本屋で見つけた。僕にはこの本のほうがリリーマルレーンより面白かった。新撰組が好きだったこともあるかもしれない。当時では100年位前の写真を手がかりに実在したであろう人物を探していく。それぞれの人生がまた面白い。
政府軍(見方をかえれば反乱軍)に軍術を教えに来たフランス人、片言のフランス語で技術を覚える日本人それぞれ何を考えていたのか実に興味深い。
その末裔のお孫さん?の人生もある意味僕には「さもありなん」の世界だった。変に理解できてしまった。