2012/06/30

ドンキーカルテット

ドンキーカルテットの小野ヤスシさんも亡くなってしまった。なんか訃報に基づいて思い出を語るようなブログになりつつある。「鳥取県の生んだ今世紀(20世紀)最大の芸術家」(こんな感じでしたかね)のキャッチフレーズで(親父が鳥取出身だったからなんか親しみもあった)記憶に残っている。一人になってからも活躍されていたようですが、個人的にはドンキーカルテットのなんともいえないB級っぽいギャグが楽しかった。ジャイアント吉田とメガネの奇声を発する個人的にはキリギリスみたいな印象の人となぜか焼きソバがギャグになっていた人。それほど上手いとも思わなかったけどいないと寂しいような。なかなか新聞のテレビ番組の出演者には記載されないからお笑い番組(漫才師が次々に出てくる番組)を気長に見るということをしないと滅多にお目にかかれない方々でした。またまた合掌。

2012/06/29

モスラ

ゴジラはアンギラスが出るものから見たし、大抵出る都度見に行っていた。夏休みくらいを狙って作ってましたね。ゴジラ、ラドン、キングギドラというような如何にも怪獣というようなもの以外に液体人間とかマタンゴとか妖星ゴラスとかちょっと毛色のかわったものもあったように思う。このモスラはストーリーは実に単純でさらわれたザピーナッツを取り返しに来るというものだったように記憶してる。
この映画モスラもなんとなく味があったし、ザピーナッツも良かった。子供心にいい出来だと思った。ゴジラとかの映画を見た感想とはちょっと違った。

2012/06/28

ザ・ピーナッツ

また訃報である。ザ・ピーナッツの姉の方の伊藤エミさんが亡くなった。僕にとっては歌手もさることながら、これですね。モスラ~や、モスラ~・・・。なんと言っても印象深い小人の双子でした。1961年の作品?小学校5年だった気がする。
ジュリーと結婚して別れていたんですね。知りませんでした。合掌。

THE REFLECTIONS

ロメオとジュリエットという曲が1964年にヒットして、なんと日本ではダニー飯田とパラダイス・キングがカバーしていた。これを聞いた記憶のある人はもう少ないでしょうね。日本のシングル盤を見た記憶がないのですけど発売されたのでしょうかね。

2012/06/27

THE NEWBEATS

1964年の12月ころにはビートルズ旋風もやや沈静化して、アイ・フィール・ファインが出て何とか1位を維持し1964年を締めくくりました。来年もビートルズは大丈夫やろか?と今から考えたら可愛らしい心配をしてました。そのころこのニュービーツというけったいなグループの「ブレッド&バター」という曲が大ヒットしてました。ただこのサウンドでLP1枚はシンドイやろなあと思った記憶があります。興味のある方はユーチューブで見てください。

2012/06/26

Graham Parker

もうこれはいいに決まっているようなジャケットで評判も上々でした。これはお値段は安価で手に入るのでそのうちにゲットしようと思ってます。

2012/06/25

Frankie Miller

あの時買っとけばよかったというレコードが何枚かある。今でもCDで買えるけれど。その時に聞くのと感じるものが違う。まあそれほど資金があったわけでもないから大抵の人があの時あれが欲しかったなあという思い出を持っていると思う。個人的にはこのフランキー・ミラーという歌手のLPを何回か買いかけてためらって買わずじまいである。今も買えるけれどどうも発売枚数の関係かわからないけれど異常に高値がついている。あとグラハム・パーカーの1枚も同じ感じの思い出がある。この同じ感じの思いというのが難しく、ある決まった評論家が絶賛だったということでもなく、その時の僕の感じ方なんですね。広告や評論やいろんな要素が僕に「これは買うべきレコードである」とささやくのである。

2012/06/24

Alison Doody

インディジョーンズに出ていた女性でイタリアのジェノバが舞台に出てくる作品だった。この方もボンドガールだということなんですがまだ見つけられていない。パリのエッフェル塔が出てくる作品デュラン・デュランが主題歌を歌っていた(最近すぐに作品名が出てこない「A View to Kill 」?だったか?)。きれいなショットで気に入ってます。

2012/06/23

核分裂

いろいろな考えがあって然るべきですが、それをまとめて、まとまってやるから投票してね・・・ということで政党を作ったにもかかわらず、政権を握れば勝手な主張ばかり言って、途中で放り投げてしまうし、政権をとるためだけに集まった詐欺集団のように思えてならない。罰則規定とかないのですか?
野球チームが途中で味方同士であいつがピッチャーやったら俺は守らんとか言って棄権するような感じなんですけどね。

2012/06/22

MAZDA ETUDE

売れるだろうと思って売れたら、「俺には先見の目がある」と自惚れる。そういうことは人生に時々ある。
このマツダの「エチュード」という車は「売れる」と思った。ファミリアにちょっと不足感を感じている潜在的な層があると思ったけど売れませんでした。ピラーが目立たずいい感じなんですけどね。クリス・レアのCMソングも良かったんですが。
なかなか思うように運ばないのが全く新しい車の販売ですね。

2012/06/21

Last Summer

民主党が分裂しそうだ。もともと寄り合い所帯で無駄な時間だったですね。最悪の政党のときに震災が来てしまった。国民を愚弄するにもほどがある。僕は自民党を支援しているわけでもないけど、一つにまとまってやっていこうというときの最低限の約束ごとみたいなものがあると思うが、この連中はまったく無視、好きなことをいうだけで何にもやらなかった。無為無策のアホ集団でした。
まあ野田さんだけね頑張ったのは。なにか形のあるものを作り上げようと努力したから。
アップしたポスターは大学生になって4月の初めに見た映画。帰りの電車で高校の同級生だった麻生に会ったのを変に覚えている。この麻生にはそれ以降会っていない(1回だけ偶然に会ったわけね)。人の記憶の構造っていうものは不思議である。

1963年 東京国際スポーツ大会

1963年の10月に「東京国際スポーツ大会」なるものが開催された。要は翌年の東京オリンピックの予行演習ですな。予行演習で思い出したけれど、僕らの小学校時代は本番の運動会というのは日曜日にあって父兄(最近ではいわない)が参観できるようになっていた。その日曜日の本番のために金曜日か土曜日に予行演習というものをやっていたなと今思い出した。1963年のこの「東京国際スポーツ大会」はプレオリンピックと呼ばれて、どこの国もそうしているものと今まで思い込んでいたがどうもそうではなかったらしい。日本だけではなかったと思うが(次のメキシコもやった記憶があるから)どちらかといえば少ないみたい。予行演習というのは日本らしいという書き込みもあるようである。国民性なんでしょうね。
で、今気になって調べているがわからないのは、この時の水泳の会場である。まだオリンピックの会場(代々木)が出来ていなかったと思う。
話は変わるがこの参加メダル、誰かが売ったのでしょうかね。確かオークションで値段がついていた。誰や売ったんは。

2012/06/20

伊勢湾台風

台風がやってきました。今回はなんか変な呼称が着いてますね。国際的な共通の呼び方なんでしょうか?僕の記憶で一番大きかった台風は昭和34年9月の伊勢湾台風である。当時は大きな台風には独自の呼称が後で命名されるのが通例だった。親父なんかはジェーン台風というのが凄かったと言っていた記憶が残っている。伊勢湾台風のときはお昼から学校が休校になって父親も会社から帰ってきて、雨戸を補強していた。なんか台風といえば雨戸を打ち付けるものだという固定概念が出来ている。瓦が飛んでいったのもこの台風だった。
台風が去って水浸しの写真が新聞に載っていたのを覚えている。
関係ないけれどこの時の週刊誌の記事にこれから期待されるお相撲さんに「大鵬」の名前が出ていたのをなぜか覚えている。

2012/06/19

LOVE HURTS

ナザレスのラブ・ハーツという曲のことを書こうと思っていてから時間がたってしまった。ボブ・ウエルチの訃報やアルゼンチンのお爺さんとの出会いがあったためである。ナザレスというバンドは一応ハードロックのジャンルに入るのだと思うけれどどちらかといえばロッド・スチュアートばりのボーカルで売った(名前は忘れてしまっている)バンドでこの曲が一番有名(ヒットチャートも駆け上った)。
それでこの「ラブ・ハーツ」という曲はナザレスの大ヒット曲ということで僕の頭にはインプットされて久しかったけれど、ロッドの一連のなつかし大会のCDとかジョーン・ジェットの「ヒットリスト」とかを聞いていたらこの曲が歌われていて、ナザレスもこの歌で後世に名前が残るなあと思っていた。そしたら「エバリー・ブラザーズ」のベストを買ったらここにこの曲が入っていて、「え~」ということになった。元々「エバリー・ブラザーズ」の持ち歌だったのか。
で、作者を調べたら「Felice and Boudleaux Bryant」という夫妻で、なんと「バイ・バイ・ラブ」「起きろよスージー」「All I Have To Is Dream」という一連のエバリー・ブラザーズの名曲を提供していたお2人だった。知らなかったのは僕だけだったわけ。
この「ラブ・ハーツ」という曲、実に大勢の有名な大物歌手が歌っております。調べて聞いてみるのも楽しそうです。

2012/06/17

margaret nolan


先日のボンドガールのなかで「ゴールド・フィンガー」の初めの方に出てくるワンショットをアップしておきましたが、プールサイドでショーン・コネリーと一緒にいる女性がマーガレット・ノーランという女優さんです。今日アップしたのはビートルズの「ヤア・ヤア・ヤア」のなかのポールの爺さんがカジノにいって賭け事をしている時に横に寄り添っている女性の役です。「その服は水着かね」とかお爺さんが言ってます。結構記憶に残っているシーンです。僕だけかな。

2012/06/16

Butch Cassidy & the Sundance Kid (3)


この映画を見たころ、「俺たちには明日はない」とか「イージー・ライダー」とか犯罪者というよりも心情的には「ハミレもの」が散っていく映画が結構あったように思う。当時、まあ犯罪者にはなるつもりはなかったけど「ハミレもの」になるんじゃないかなという不安はあった。イージーライダーのラストシーンみたいに死んで行くかもしれないなと思った(僕だけでなくかなりの若者がそう思ったんだと思う)。今から考えたら不思議な気がするけどあの時代はそんな時代だった。

2012/06/15

Butch Cassidy & the Sundance Kid (2)

雨に歌えば・・じゃなくて「雨にぬれても」・・だったかな。思い出せない。B.J.トーマスの大ヒット曲、1970年1月の全米No.1。突然この歌が挿入されてます。時代は自転車が世の中に出てくる瞬間の時代の設定。「これからの馬」だとポール・ニューマンが言っている。キャサリン・ロスをのせてこの主題歌が流れる。

2012/06/14

Butch Cassidy & the Sundance Kid

1970年になんとか浪人の末大学生になった。1969年には見たい映画がいっぱい出ていたが禁欲生活を強いられていて(当然)、1970年にはその分を取り返すためによく映画館に通った。ただそれほどお金がないので天王寺界隈の安いとこ(2本立てとか)に集中している。天王寺駅の地下に小さな名画館があった(今はない)。そこでかなりの1969年のものを見た。当時150円くらいだった(1日のバイト代が1500円くらいの時代である)。その中の一つがこの「ブッチ・キャッシディとサンダンス・キッド」(明日に向かって撃て)でセピア色で始まってセピア色で終わった。キャサリン・ロスは卒業とこれでニューシ・ネマのヒロインの代表格になってしまった。
もともとはポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンだったらしく、それもなかなかのキャスティングだと思うけどそれではニュー・シネマとは言われなかったような気がする。

2012/06/13

ARGENTINA

突然、アルゼンチンである。今日は新大阪駅でお爺さんから列車のことを聞かれた。「国際空港に行くはるかはここでいいか?」という質問だった。新大阪のはるかは同じホームに真反対の列車が行き交うという非常に珍しいホームで京都行きの「はるか」に関空に行く予定のお客が乗って飛行機に間に合わないと車掌に文句を言っている姿を何回か見ている。このお爺さんの話では「アルゼンチンから55年ぶりに日本に墓参りに帰ってきた」という事であった。55年ぶりかそれはすごい話だと・・・もうちょっとお話をしてみたかったが、僕の乗る列車が来たので手を振って別れた。
何をアップするか迷ったけど、アルゼンチンに関係した写真はこれしか手元になかったので「これ」です。「明日に向かって撃て」のほんまものの写真(映画では、ロバート・レッドフォードとキャサリン・ロスとそしてポール・ニューマン)で一時期パタゴニアに隠れていた時期の写真らしい。

2012/06/12

Bob Welch (3)

「ペンギン」というアルバムを出す時は6人のメンバーだったこともある。ただ2人はほとんど記憶にない。一人はボブだった。ボブが2人いるなと思ったから。ある意味ボブ・ウエルチはこの時期の中心だった。単純なポップでもないしちょっと屈折したメロディも多く。僕は好きでしたね。

2012/06/11

Bob Welch (2)

この変てこなジャケットの「神秘の扉」というフリートウッド・マックのレコードがボブ・ウエルチが在籍していた時期の中では一番好きである。他のがいいという人も多いのでなかなかまとまらないと思いますが個人的にはこれですね。

Bob Welch

また訃報が飛び込んできた。元フリートウッド・マックのボブ・ウエルチです。66歳。ピストル自殺。「フューチャー・ゲイム」の頃の写真を見つけた。まだダニー・カーウィンがいてボブ・ウエルチとクリスチャン・パーフェクトが入った頃。ボブ・ウエルチの才能が出てくるのはダニーが去ってから。結構好きだったのですが。パリスの2枚目なんかお宝なんですけどね。合掌。(左から2人目です)

2012/06/10

Deja Vu

僕にとってデジャブとはCSN&Yのレコード(ウッドストックが入っている)をすぐ思い出すけど、この言葉を使ったその後の音楽やお店などかなりの件数がグーグルでヒットする。CSN&Yの時は「どういう意味」って思ったけれど、いまはなんか日常語になっているみたい。
映画にも「デジャブ」というのがあってデンゼル・ワシントンが主役でこれがなかなか面白い。真面目に考えたら頭がおかしくなる。もうドラえもんの世界に近い(この表現でどれだけの人が僕の意図とすることがわかるだろうか)。バック・トゥ・ザ・フューチャーのも通じるところが、もっとややこしい。ポーラ・パットンという女優さんがなかなかの演技でデンゼルワシントンに負けない熱演です。最近ではミッション・インポッシブルのゴースト・プロトコルにもチームの紅一点に抜擢されている。賢そうな芯の強い雰囲気が漂っていてこれからの成長株だと思う。

2012/06/08

Ray Bradbury (2)

ブラッドベリのSFは題名に印象に残るものが多くあって、「10月はたそがれの国」とか「何かが道をやってくる」とかどんなことが書かれているのかと思うものが多かった。それからアップした「ウは宇宙船のウ」というのがあっていったいどういうことだろう?さらに英語の原題は??(アップした写真にかかれてます)と想像力をワクワクさせてくれました。同じようなものに「スは宇宙(スペース)のス」というのもあります。ちょっとやりすぎかなと当時思ったものです。

2012/06/07

Ray Bradbury

レイ・ブラッドベリが亡くなった。というかまだ生きていらっしゃった。随分前というか昔に(高校の時に)この本を読んだ。国語が嫌いな秀才の友達がいて、今では当然理科系で博士である。現代国語に古典に全く興味がなかったのにSFだけは好きでこの本を読めと薦められた。文明批評っぽい切り口と変な(まあ地球と火星の話ですから)叙情感が漂って不思議な感動を覚えた本でした。ある意味で名著だと思う。物語として読みやすかったのは「華氏451度」の方だったけれど今となっては年代記のほうが記憶に残ってますね。

Tsuyoshi Yamanaka

メルボルンの1500m自由型の表彰台を探すのに手間取った。このときはメダルを首にかけていないのですね。山中毅、マレー・ローズ、そしてブリーンの3人。ローズは17歳でオーストラリアの英雄となる。このときは全く覚えていない。

2012/06/06

John Konrads

コンラッズとかローズのことを書いていると当時のことを鮮明に覚えておられる方々から書き込みをいただき、あの頃はプールに行って泳げば、誰が山中になるかローズになるかコンラッズになるかもめたよなあと思い出した。それぐらい3人は有名だった。ところがよくデータを見てみるともう一人アメリカのジョージ・ブリーンという選手が絡んでいて、実はこの4人による金銀銅の争いだった。山中がメダリストから外れている時はほとんどブリーンが入っている。
これはローマの1500m自由形、コンラッズ、ローズ、ブリーンの金銀銅です。

2012/06/05

Everly Brothers

ちょっとボンドガールはネタを整理して再開します。「ラブ・ハーツ」という曲があります。個人的には「ナザレス」という今となればかなりのマニアしか知らないハード・ロック・グループの少ないヒット曲です。最近ではロッド・スチュアートがカバーしてます。その前はジョーン・ジェット(ランナウエイズ)もカバーしてます。へー・・・ナザレスもたいしたもんだと思ってましたら元歌がありましてこのエバリー・ブラザーズでした。この2人のデュエットは何時聞いても素晴らしいです。

2012/06/04

BOND Girl - Regina Gabajova

突然新しくなっちゃいましたがカジノ・ロワイヤル(ダニエル・クレイグ版)のホテルの受付嬢Regina Gabajovaというらしいが、多分現地の俳優さんでしょう。なかなか現地の情報は入らないのでIMDBのデータベースには1作のみという可能性も。なかなかおきれいな方でした。

2012/06/03

BOND Girl - Kristina Wayborn

この方は結構有名でその後の活躍という意味ではテレビドラマへの出演はかなりのものである。Kristina Waybornといって、1970年のミス・スウェーデン。ミス〇〇という経歴の人が多いですね。美人はやっぱり得みたい。

2012/06/02

BOND Girl - Margaret Nolan

マーガレット・ノーランといってかなりこの人は有名人です。僕の観た映画だけでも、この「ゴールド・フィンガー」「ハード・デイズ・ナイト」「マージー河のフェリーボート」と1964-65のイギリス映画のちょっと気になる映画に出ています。特に「ゴールド・フィンガー」のオープニングの金箔を塗った女性はシャーリー・イートンでなくてこの人です。今もってこの人のHPに行けば金箔で出てきます。このマーガレット・ノーランにとっては勲章だったのでしょうね。ビートルズのハード・デイズ・ナイトのポールとのお爺さんとのやり取りのシーンも好きですが。

2012/06/01

BOND Girl - Mary Stavin


いわゆる公式のボンドガール(?)以外に007にはいっぱい可愛い女の子が登場する。よく調べていくと複数の作品に登場している子もかなりいる。この子はMary Stavin といって、1977年のミス・ワールドである。「オクトパシー」と「A VIEW TO KILL」に登場。