2012/01/31

松尾和美

もう一人の「松」がこの人。松尾和美さんです。この写真は3連勝した時の名古屋マラソン。走れば優勝という神話がここで確立して、いざ世界陸上エドモントンへ。僕は土佐さん、渋井さんより絶対この人が勝つと思っていたのですが、残念ながら発熱されて9位(だったかな)、でも10位以内だった。初めの2連勝がそれほど目立つ大会でなかったので、名古屋でそのベールを脱いで優勝という実にドラマティックな登場だった。ただエドモントンの後、あっと驚く間に引退されて、個人的には幻の女王という印象です。

松岡理恵

大阪マラソンの2001年1月の時3位になった時のゴール寸前の写真。後ろに見えている1位の記録(2時間23分11秒)は渋井選手の記録。この時は渋井さんが彗星のごとく現れて、松岡さんはやや影薄っぽい。8回マラソンを走っていて1位はなく、2位2回、3位2回、4位1回、7位1回、あとは22位と棄権である。この22位と棄権がなんと世界陸上で、22位はエドモントン(2001)、棄権はパリ大会(2003)でどう考えても運悪いですよね。エドモントンの時は補欠で突然出てください(普通、補欠で出場ってあんまり聞かない、本人も夢見ていたみたいっておっしゃってました)というドタバタ劇で、パリ大会のときもその前の横浜国際駅伝で抜かれて可愛そうだった(この時から足の調子が良くなかった)悪夢が尾を引いていたような・・・とまあ僕には実にかわいそうなランナーでした。ものすごく苦しそうに走るから大丈夫なんかなあといつも思ってましたが。一回ぐらい優勝させてあげたかったランナーさんです。
この間まで日本人歴代ベスト10に入る記録(2時間24分33秒(2002年樹立))を持ってました。今でも15位以内だと思う。速かったのだ。そういう意味で最近はいい記録でていないということです。

2012/01/30

天満屋陸上部

大阪女子マラソンを見ていたら、天満屋のニューフエイスが優勝して多分ロンドン間違いなしということである。山口衛里、坂本直子、中村友梨香に続いて4大会連続になる。すごいですね。個人的にはオリンピックに出なかったけれど、天満屋といえば松尾和美と松岡理恵という松で始まる2人がいつも記憶の片隅に残っている。松尾和美さんは時々マスコミで近況が分かるが松岡さんはどうされているのかなあ。去り方がすっと消えていかれた感じを個人的には持っておりまして気になるランナーでした。

2012/01/29

Terry Reid

知る人ぞ知るという存在ですがテリー・リードです。ZEPPELINのボーカルに誘われて、自分の日程のせいで断ってロバート・プラントを紹介したという実に惜しい(のかどうかは当人でないから正直分からない)お方です。
テリー・リードでぐぐったらすぐに情報と写真が手に入るから今でも有名人です。多分ZEPPELINNでも人気だ出たでしょうね。僕はどっちかというとスワンプロックの名盤「リバー」のアーティストとして記憶に残ってる方が強い。ロバート・プラントの替わりにテリー・リードだったらケルトの方じゃなくってスワンプだったかもなあと変なことを考えて一日が過ぎ去ろうとしとります。全く平穏無事。

2012/01/28

WALKMAN Ⅱ

もうめちゃ売れした「WALKMAN Ⅱ」、これで世界中を席捲しました。もう周りはみんな持っていたような気がする。まあ音楽好きな連中ばかりですから。カセットテープの大きさにきわめて近いので構造はどないなってるのと思った。

2012/01/27

MD walkman

この頃までは独壇場だったんですがねえ。これを書こうと思ってもっているMDを探したら部屋の奥にひっそりと置かれてました。もう使わないですから。CDからいろんなMDを作りました。なんでSONYが凋落していったかという疑問は世界中で同じように思う人がいて沢山の論文(自己満足の書き込みも含めて)があるようです。MDの時はCDからMDに録音させる機器が要りましたが、メモリーになるとPCがその機能を担うということで、全く別の種族の登場となってしまったのが逆風にさらされる前触れであったように思います。電機メーカーでない業界が現れた。
電気自動車になったら内燃機関のメーカーは要らなくなる・・・同じような危機が???

2012/01/26

SONYの凋落

SONYの成績が思わしくない。アカンかなと思うようになったきっかけは、個人的には本来SONYから出てしかるべきだったとあくまで個人的に思っている「I POD」のようなものがアップルから出た時だったと思う。ウォークマンは全世界の若者の心をとりこにした。テープからCD、CDからMDへとずっと走ってきて、当然次はメモリーだと思っていたはず。なんで出なかった??若者のライフスタイルを変える役割はSONYからAPPLEに変わってしまった。
話は変わるが、今のPCの売り上げはデルとHPとレノボ(昔のIBM)で大部分を占めており日本のPCは蚊帳の外である。携帯もご存知のようにガラパゴス化して世界では高性能過ぎてついてきてもらえない(買ってもらえない)。本来日本のメーカーがトップから3位くらいまで独占してもよさそうな分野で全然あきまへん。どうしてこういうことになったのかと時々思う。日本が物造りで韓国や中国に抜かれていくのは人件費の安さで当然のことであって今の言葉で言えば想定内のことである。アメリカはトップでPC市場を牛耳っている。日本は何処にいるのか??いる場所があるのかなと不安になる。

Led Zeppelin(2)

フィジカル・グラフィティというレコードジャケットに使われた実在のアパートの写真。ZEPPELINはレコードジャケットにも意外と凝っていて、あんまりそう思っていないファンも多いような気がする。どちらかといえばピンク・フロイドのようなサウンドもジャケットも表現の手段として使われているというような感じがしなくて、ZEPの場合は基本はサウンド・オンリー、ジャケットは単なる入れ物的な感じがしてしまうが(僕だけかなあ)、3枚目のジャケットもグルグル回るし、1枚目も今見てもインパクトあるし、5枚目なんか大好き(変な意味でないですよ)である。

2012/01/25

Led Zeppelin

ポップ 音楽の世界はどれだけ「ビックリ」させてくれたかという「ものさし」が重要である。いくら上手くってもそれだけでは駄目である。ただいくらビックリさせてもテクニックが備わっていないとコンサートが苦しくて長続きしない。この「LED ZEPPELIN」にはビックリさせられました。今ではジミーペイジより上手いギタリストはいると思うけれど様になるというか絵になるというかこういうギタリストは少ないね。このあいだ久しぶりに「KASHMIR」を聞きたくなって聞いたら、ドラムスの音の重厚さに驚いた。ジョン・ボーナムがいなければツエッペリンは成り立たないといわれた意味を再認識した。

2012/01/24

COLLEEN鉛筆



突然小学校に入学した時にいっぱい鉛筆(色鉛筆も含めて)をもらったことを思い出した。クレパスももらった。55年前のことである。クレパスは「さくら」だった。鉛筆はいろんなブランドがあったことを思い出した。三菱、トンボ、コーリン、地球印・・ヨットもあったように思う。果たしてこの時に「ペンテル」というブランドがあったのか?クレパスはサクラ以外にも他に製造メーカーがあったような気もする。

このマークはコーリンのマーク、なかなか忘れられません。摩訶不思議なマークです。シャーペンまで出していた時期まで覚えてますが残念ながら倒産してしまいました。(復活の記事を読んだことがあります)万年筆のモリソンも復活してますね。

2012/01/23

NOMO(2)

なんかおかしいと思ったら昨日のはドジャーズに出戻りしてからの背番号でした。やはり「16」番でないと。野茂は生き方も他の人と違っていて実に尊敬に値すると常に思っている。放り出されても放り出されても雑草のように生き返ってきたしこういう選手はいない。それにしても井川は・・・・(関係ないけど)。

2012/01/22

NOMO

ダルちゃんが大リーグに行くことになって、いい選手が日本からいなくなるのは寂しいがいったいどれくらい通用するのか興味がある。昔々(大体このブログは昔話である)南海の村上とかいう選手が初めて勝利投手になったとかいうので大騒ぎになったのが小学校の頃だったかなあ(はっきりとは思い出せない)。やはり日本の選手にもすごいのがいることを実証したのはこの野茂投手からだったと思う。今は誰でも行きたいといえば行ける感じになってきたけど。先駆者というのはえらいと思う。

2012/01/21

THE BEATLES



日本で初めて公表された ビートルズの写真はこれだった(のかな?)。残念ながらその当時のことは知らない。1964年2月の話で僕がこの世界に引きずり込まれたのは4月からだから。ただ1964年前半にどれだけビートルズの写真があったかと考えたら数えるほどの写真しか日本には流れてきていなかったように思う。
この段階では誰が誰やら分からなかったし、まして誰の声かも分からなかった。「ツイスト&シャウト」なんてほんまにこの4人の一人が歌っているのかなと思ったものである。OR-1024ねオデオンのシングル盤330円だった。




2012/01/19

300系(2)

300系も消えていくということでさびしい限りである。今日は新神戸から京都までひかりが300系なのでわざわざ乗って帰ってきた。

2012/01/18

300系

「のぞみ」がはじめて登場した時、その斬新なデザインに僕は「これが速そうだ」と思った。個人的には700系より好きであります。昔F1を一生懸命見ていた時、よく「空力的に攻めたデザイン」という言葉をよく聞いた記憶があるが、空力的に攻めたのは700系なんでしょうね。300系はどちらかといえばずん胴ですもんねえ。でもずん胴はずん胴の魅力があるのですよ。

2012/01/17

友が去っていく

寒中見舞いが届いた。奥さんの名前である。本人は昨年2月になくなったとのことである。本人との出会いは昔々よく一杯ひっかけて帰っていた頃、開店したばかりの西大路駅裏の焼き鳥屋に毎日同じ場所に座っている真面目そうな客がいて興味を引かれて話しかけたのが発端である。その本人は近所の信用金庫の社員でその焼き鳥屋に融資する稟議をまわした本人だということで客の出入りが心配で見に来ていたのである。それとささやかながら売り上げに協力していたわけ。その後、ほぼ行く都度会うようになり(毎日行ってるんや!)定期預金に協力したり、彦根古城博のチケットをもらったり(古い!)お付き合いをさせていただいてました。その後、信用金庫の宿命で合併され、名前が変わって新しい名刺をもらったりしているうちに、綴喜郡にあるベンチャー企業に転職して頑張っておりましたが、ワンマンオーナー社長と意見が合わず退職して、社会福祉法人(この写真のところ)の事務長におさまり、もうここで骨をうずめると言ってたのですが・・・ちょっとうずめるのが早すぎます。気がつけば25年に近い付き合いになってました。彼とは偶然電車で一緒になることがあって不思議な縁を感じていたのに・・・。合掌。



2012/01/15

Sherry

THE FOUR SEASONSというバンドは1962の「シェリー」で全米1位になってから快進撃を続ける。No.1ヒットも多い。結構知っている曲も多く。後半の「Can't take my eyes off you」なんかはどっかで聞いたことがあるというくらいスタンダードです。ビーチ・ボーイズがその名の通りビーチものでスタートして、サーフィン、ホットロッドのサウンドにテーマは女の子に関してが主流という実に単純なバンド(それが逆にブライアンウィルソンを苦しめた)だったように、このフォー・シーズンズもなんというかサウンドがいつもよく似た(まあフランキバリーの声を生かすためだったとはいえ)もので、ようこんな似たサウンド(ワンパターン)でヒット曲を連発するなあと感心したものである。しかし1962年のヒットという話は僕にしたらこの間ですが実にもう50年も経っている。人間進歩しまへん。

2012/01/14

Four Seasons

なんでこれがフォーシーズンズやねん?ということになるが、「シェリー」という曲を歌っているからですね。歌っているのはダニー飯田とパラダイス・キングというバンド。前列左から2人目の女性はコメットさんこと九重佑三子で彼女の歌手としてのスタートはこのグループの一員としてスタートになる。
へんな言い方ですがこの頃は「真似する相手があるうちはよかったという感じがする時代」。いまは真似する相手がいなくなって日本は低迷し始めたという僕の大胆な仮説である。



2012/01/13

イスタンブール

子供が海外旅行するというのでいろいろ安い航空チケットを探していたらトルコ航空というのを見つけた。それはヨーロッパに行くのにイスタンブールで乗り継ぎに2時間ほど待たねばならないというのでこの案は没になったが、イスタンブールといえば「飛んでイスタンブール」という曲を思い出す人も多いと思うが、僕の場合はこのダイエラ・ビアンキの出ていた「007危機一髪/ロシアより愛を込めて」である。007シリーズではいつもベスト3に必ず入ってくる名作である。このおかげで今のシリーズがあるといっても過言ではない。この映画は1964年で、1965年に「トプカピ」という映画もイスタンブールが舞台であった。なんかイスタンブールってよく映画に出てくるなあって当時は思ったがその後はあんまり記憶にない。先日偶然知り合いの夫婦が行かれて土産話を聞いたがなかなかいいところらしい。

2012/01/11

最近のCMソング

なんのCMかほとんど覚えていないのでスポンサーには悪いのですが、最近僕もよく知っている曲が3曲テレビのCMで使われている。1つ目はデボラ・ハリー(ブロンディ)の「ハート・オブ・グラス」、2つ目は「ユー・リアリー・ガット・ミー」これはキンクスでなさそうなんでヴァン・ヘイレンかな。3つ目は意外にもCMを思い出した。日産のジュークのなんとYESの「燃える朝焼け」これはCMには向いていないと思ってましたがうまく使ってますよね。意外とJUKEのターゲットは年配層なんですよね。

shelley fabares

シェリー・フェブレーは以前も書いたことがある。プレスリー映画ではトップクラスの出演度。3回くらいお相手を務めている。正直当時の位置づけを知らないのですが、めぼしい新進女優を見つけてはプレスリーの恋人役に仕立てて羽ばたかせていたのかなと勝手に思っている。きわめて単純明快な映画が多くほとんどハッピーエンドですし、まあ肩が凝ることもないです。 そんな中でも一回きりの女優さんやシェリー・フェブレーのようなパターンもあります。今でもきれいに年を召されてます。
あっと、後ろ向きですが黒髪はプレスリーです。これは「カリファオルニア万歳」からのワンシーン。この映画はシェリー・フェブレーのほかに「サーフサイド6」のダイアン・マクベインとビーチもの青春映画でおなじみのデボラ・ウォリーが出ているというどちらかといえば豪華な配役の映画です。まあヒロインが3人ですから。






2012/01/10

joan blackman

これはもうかなり古い。プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」で共演したジョーン・ブラックマンとのツー・ショットです。さすがの僕もリアルタイムでは見ていない。このブルー・ハワイという映画はなかなかよく出来た映画で、20作以上あるプレスリーの映画(ライブを除く)では最高峰だとあくまで僕は個人的に思っている。このジョーン・ブラックマンという女優さん、ネット社会のおかげで近況がかなり分かる(本人がHPを出している場合もある)。一回見た限りであの女優さんは今頃どうしているのかと思いを馳せることは今後なくなっていきそうである。ある意味ちょっとさびしいですけどね。

2012/01/09

国民百科事典

平凡社の「国民百科事典」というのがあって、少なくとも僕の同級生のほとんどは持っていた。1960年くらいから出たのだろうとおもうけれど爆発的なヒット商品で平凡社は儲かったと思う。化粧箱に入ったものを本屋が持ってきてくれた。多分一番利用した本だと思う。宿題はこれを写して終わりということも多かった。中学に入った時、この事典がなくて、近所に借りに行っていた。父親がそんなに必要ならということで買ってくれた。当時14000円だったような。父親の月給がいくらだったかは知らないが多分5~6万円くらいだったのではないかと類推すると今なら10万くらいか?
ただ、今では無用の長物になって、ヤフオクでは30巻くらいの大百科が100円とか無残なことになっている。ウィキペディアのほうが価値がある存在になってしまった。

国民百科では載っていないものが大百科に載ってるのかなとおもうと、大人になったら30巻くらいの大百科が欲しいと思っていたが、現実は厳しく一度も購入に至らなかった。置く場所もなかったという理由もありますけど。

当時から考えたらこのネット社会は信じられないくらい便利な社会を実現した。百科事典ばかり見ていた僕には夢のような社会である。インフラが暮らしと考えを左右する見本みたいな事例である。

2012/01/08

高校野球

知っている人が高校野球に選手として出るというのは、確率としてはありそうでやっぱり少ないかもしれない。たとえばPL学園に入学したりしていたら別な話ですが。僕の実に個人的な思い出ですが、広島で勤めていた時、同じ課の女性の弟さんが甲子園に出るということで「甲子園に応援に行かせてあげよう」というカンパをしたことがある。また中学の時の体育の先生の息子さんが名門報徳学園のなんと4番で出て、甲子園の中継で〇〇選手のお父さんにインタビューということでその先生が出てきて喋った時はビックリした。この息子さんは満塁ホームランを打って(切り抜きおいてあります)そこそこ(準々決勝か準決勝あたりまで)勝ち進んだ。その後ドラフトでプロ野球に行かれたがそれほど活躍する機会に恵まれなかったようであります。なかなかプロで活躍するのはほんまに難しいもんです。


2012/01/07

怪童尾崎

高校野球のことを思い出したので、いったいいつ頃の高校野球から具体的に覚えているものか考えてみた。かなり昔から見てはいた(というか親がテレビをかけていた)けれど、実際に具体的な名前まで思い出すのは、四国の西条高校というのが優勝した時はかなり鮮明に覚えている。金子というピッチャーだった。決勝戦の相手は宇都宮・・・だったような。そのあとこの尾崎の浪商と柴田の法政二校の熾烈な戦い(春、夏だったかな?)の多分一番最後の時は家族総出で浪商を応援した。南海の鶴岡監督の息子やら的場という選手の名前も記憶に残っている。その次の年くらいの作新学院の春・夏連覇(これがはじめて)の時は母親の田舎にいたなあ。春のピッチャー(八木沢)が原因は忘れたけど出られなくなって2番目のピッチャーの加藤?という人が投げて優勝した。そんな事情だったので子供ながらに加藤?投手を応援したものだった。この加藤?投手はプロに行ったけど若くして亡くなったという思い出が残っている。すべて小学生の頃の話なんで定かではないです。裏づけもとってませんので為念。
その後、ずっと後、大学生になった時に西条高校出身の同級生の女の子がいて、金子投手の事を聞いたら、まあその地方では有名人で(当然ですね)、お風呂屋さんの息子さんだということだった。

2012/01/06

1964年の夏の早鞆高校

頭がいろんなことを思い出すのでそのままにしていたら、1964年の夏の高校野球を思い出した。優勝した学校ではなくて準優勝した学校のほうをよく覚えている。山口県の早鞆高校という学校でそのあとあんまり出てこない(残念である)。この学校は、あの幻の名投手の池永を擁していた下関商業を予選で破って出てきたということで話題になり、甲子園に来てからも勝ち続けた。当時の僕は中学生で、まあお兄さんたちを見ていたことになる。この学校は妙に清清しい印象があって、もう昔の記憶なので違っているかもしれないが、古田という選手が大活躍してプロ野球にも行ったように思う。またこの年は東京オリンピックの年でもあったので、古田選手は聖火リレーにも選ばれているというような事も聞いたような(すごいなあと思っていた)・・・・なんせ昔の話です。そしたら最近(僕にしたら最近)、早鞆高校の野球部の監督にあの大越選手が帰ってきた(大越って仙台だったよな・・と)という記事でびっくり。大越選手は高校野球でもさわやかで記憶に残っていて、その後波乱万丈の人生(早稲田中退、渡米、ソフトバンク、自由契約)ながら、うれしいびっくりを与えてくれるのが上手な人だなあと思っていたら、早鞆高校で次の人生をかけるということで、ぜひ甲子園に来てください。

2012/01/05

Back To The Future

この正月は「バック・トゥ・ザ・フューチャー(3部作)」をかなり詳しく見た。もともとストーリーというか時間の流れがはっきりと理解できていなかったこともあって、現実には無理でもそれなりに納得できるストーリーか以前から気になっていたからである。まあそれはそれなりに理解できたことにして、この映画の魅力は、特に第1作のオールディーズの取り扱いが実ににくい。もともとギター好きのマイケル・J・フォックスを起用して、初めからハード・ロックぽい雰囲気を充満させて、ヒューイ・ルイスをノンクレジットで出演させて、1955年に行けばコーデッツのミスター・サンドマンがかかっていてイーディ・ゴーメのポスターが大きく見えて。それで極めつけがこれで、ジョニー・B・グッドを演奏するマイケルの曲をチャック・ベリーに聞かせるという趣向でいったい誰がこんなことを思いついたのかなといつも思ってしまう。
いつ見ても楽しい。実に楽しい。

2012/01/04

Jennifer




バック・トゥ・ザ・フューチャーのジェニファーがⅠとⅡⅢで替わっていたのを知ったのは大分時間が経ってからのことであった。下の方がⅠで上がⅡ、特に同じシーンがつなぎの部分で繰り返されるという念の入ったシーンまで作られていてよく見たら別人だと分かるけれど映画で流されたら分からない。このおかげでⅡ以降のエリザベス・シューはまあ中堅どころの女優さんになった感じがする。Ⅰだけに出ていたクラウディア・ウエルズは降板の理由がお母さんの看病とかという記事がかかれてあったようにも記憶しているが、その頃のテレビ番組にはレギュラーで出ていたみたいで僕の思い違いかもしれない。どちらがいいかこれだけは誰にも分からないけれど、個人的にはクラウディア・ウエルズの立場にたつとかなりもったいなかったかなと(降板させられたのなら別ですが)・・・。




2012/01/03

ハードボイルドだど

年末に内藤陳さんが亡くなった。なかなか味のある人でこういう生き方っていいなあと思うことが多かった。本に囲まれて死ぬなんて最高ではないかとよく思ったし今でもそう思っている。でも最近はあんまり本を読まなくなった。老眼になってきたのも原因のひとつだし、もうひとつはパソコンの画面の方が見やすいからである。それでネットで有料でダウンロードして本を画面で読むことも増えてきたが、初めから通しで一冊読むことはなかなか少なくなっている。推理もの以外は、断片的つまみ食い的な読書法になって読んだのかどうか分からないものが多くなっている。
陳さんはそれなりに満足のいく人生を送られたように思うので個人的にはよかったのではないかなと思ってます。合掌。

2012/01/02

Jefferson Starship

丑年のときはピンクフロイドの「原始心母」のジャケットが圧倒的に多く、年賀状もあのジャケットを使ったものがいっぱい来た。トラとウサギになると定番はなく、辰についても思いつかなかったけどいろいろ考えてこれならどうかというものがようやく思い出した。先日何回か乗せたグレース・スリックがいるジェファーソン・エアプレインの改良型ジェファーソン・スターシップの「スピットファイアー」というレコードです。ジャケットは当時売れっ子だった日本人の長岡秀星さんです。

2012/01/01

辰年

辰という生き物はどんなものかと聞かれたら「こんなものだと僕は思っている」というイラストを探すのに時間がかかった。麒麟みたいな感じもするが、どちらにしても架空の生き物なんで厳密な違いは難しい話だと思う。去年は大変な年だったので今年は少しは前進(飛躍)する年であってほしい。
政治に関しては昨年は菅前総理をボロクソに言ったが、個人的には自民でも民主でもこだわらない。野田さんは消費税はきちんとアップする法案を通して歴史に名前が残る首相であって欲しいと思っている。
今の民意を推測すれば、ツケはこれからの世代に回そうというのが今の民意のように思える。これからの世代は今よりもっと貧乏なはずなのにそういうことになる。そうしないで今の世代で出来る限り負債を減らそうという啓蒙活動をするのが政治家だと思うけれど今の政治家はビジョンもなく御用聞きに過ぎないなと思うことが多い。なんで消費税アップに自民党が反対するのかも分からない。首相の時は大丈夫かなと思った森元総理が賛成だと言っているのは慧眼だと思う。