2011/11/30

Alone Again

これも僕には忘れられない1曲ヒット。正確にはほかにもヒット曲はあるにはあるのですが、さっきの「アメリカン・パイ」と同じように「アローン・アゲイン」が突出してしまっている。
単純に昔ヒットしたよなあ・・・というものでなく。あんまり英語がわからなくても、「ああまた一人になっちゃった」と思うときにこの曲を思い出してしまう。それとこのファッション、唐突にこれで出てきて別にこれが当時流行っていたわけでもなかったので「ヘー」って思った。いつ聞いてもイイというより、これは残るなという気がする1曲。

American Pie

1曲だけ大ヒットで、あとはほとんど鳴かず飛ばずの歌手は数多いるが、この人もその一人にするのはちょっとかわいそうな気もする。なんというか普通の1曲とは格が違うというかこの曲は後世に名が残る摩訶不思議な大ヒット曲である。初めヒットした時に邦訳がすぐ出て、色んな解説が出回った。まあロックンロールの歴史が歌われていて、今一つ個人的には讃歌なのか鎮魂歌なのかよくわからずに今まで来ているが、比喩というか暗喩というか誰のことか分かりそうでわからない感じのモヤ~としたところがまた魅力のひとつかなと思っている。
多分、この歌を歌ったドン・マクリーンはこの歌1曲だけでずっと歌手生活ができるくらい今も歌い継がれている。日本で言えば誰になるんだろうか。

2011/11/29

初期のビートルズ

何でもそうですが、今となっては当たり前のことでも「初めて」のことを目撃するのは「この時代に生まれてきて得した」と思うことがあるとおもう。今だったら個人的には男子マラソンで2時間を切る瞬間を目撃したいなとか。記録がかかった瞬間はなんにも経緯を知らなくても即その場に入れるからそれだけで楽しい。〇〇連勝がかかっているとか、これを成し遂げたら〇人目とかまあことかかない話題は多い。
何でビートルズかといえば、イギリスのヒット曲がアメリカのヒットチャートで1位になったのはそれまでなかった。その意味だけでは日本のほうが早い(坂本九が「スキヤキ」で1963年に1位になっている)。クリフ・リチャードなどが何べんもアタックしたみたいであるがそれまでイギリスのヒット曲がアメリカでは1位になっていない(同じ英語だけに簡単だと思われるがそうでなかった)。
今ではイギリスのロック産業はイギリスにとって重要な外貨獲得産業でもある。それはビートルズから始まった(断言できます)。

2011/11/28

独裁者

橋下徹氏が大阪の市長に当選した。平松氏は負けるべくして負けたように思う。世代別分析では平松氏に投票したのは70歳台であったらしい。
最近思うけれど、今の政治はツケをこれからの世代に回そうとする政治家が選ばれている(国債の償還期限は長くするし(25年)、消費税のアップは反対)。ただいくらなんでもこれじゃあアカンということで60歳台以下はセオリーに反して橋下氏に投票したみたい。橋下氏なら何とかしてくれるかもと思ったのだろう。今からの世代は今より確実に貧乏になるわけだから今の世代が払えるものは払っておいてやらないと駄目だと言って、選挙で勝てるような人がどんどん出てこないといけない。そんなこと言ったら普通は選挙で勝てない。でも現状維持路線は将来は悲惨ですよ。
なんか独裁者だといって、自民党、民主党などが批判していますが、全然独裁者とは思えない。

2011/11/27

西本幸雄

西本監督が亡くなった。どちらかといえば好きな監督だった。昔は藤井寺球場と日生球場に応援に行ったこともある。例の江夏の21球のときは、大阪球場を使っていた。考えてみれば今述べた3つの球場は全部ない。唖然!藤井寺は学校になった。大阪球場はなんかショッピングタウンみたいなものに、日生は何になってるんだろう??
思い出したけれど、昔、日生球場に応援に行ったときのことである。もう満員で入れないような感じのときに、突然、どこかの門があいて切符も買ってないのになだれ込んでタダで見たことがあった。こういうことは1回だけである。生きてみるもんである。このときも西本さんが監督だったはず。


2011/11/26

南極探検隊

またしても昔の話である。小学生のころ宗谷という船で南極大陸に探検にいくということで、なんかはがきを送ったらそれを南極に持っていって、そこで記念スタンプを押してもってかえって来て返送してくれるようなことがあったらしい。「あったらしい」という頼りない話であるが、実は自分が書いた宗谷というか探検隊の方へのメッセージに南極越冬隊かなんかのスタンプが押されたはがきが現存しているからである。それをアップいたらいいのですが、実家にあって手元に今はありません。今度持って帰って来てアップします。昭和32年の話ですね。この切手に書かれてある船が宗谷です。

2011/11/25

祭ずし

これが岡山駅で夕方になったら時には売り切れになる「祭ずし」です。2年位前まで毎月岡山に行く仕事があったのですけどね。最近は行ってないなあ。こんなこと書いていたら無性に食べたくなってきた。新幹線の中で食べて、更に家に帰って食べるために自分用に2つ買ったこともあるくらい美味いです。

2011/11/24

鴨方

かなり昔、この鴨方という駅で降りる会社に毎月定期訪問をしていたことがある。もう35年位前のはなし。この写真がいつのものかはわからないけれど僕の記憶にはかなり合致している。この駅からタクシーに乗って(タクシーに乗らないとどこにも行けない感じの駅である。つまり周りには何にもない)目的地に行っておりました。
楽しみは帰りに、この駅から在来線に乗って岡山まで行き、そこから新幹線で帰る。そのときに岡山駅で「祭り寿司」を買って新幹線で食べるのが楽しみだった。あの「祭り寿司」は美味しい。

2011/11/23

帰って来たヨッパライ

1967年ということになっているので高校生のころの話。深夜放送で聞いた。「ハレンチ」という自主制作のレコードに収録されていて、面白いから放送局がかけて火がついた。同じ学校の誰かが持ってきていたのを見た記憶がある。関西の高校・大学でフォークをやっていた連中が仲間内で買っていたもののようであった。全然会ったことがなくても同世代・同じ地域からあのようなメジャーになり、しかも下らない歌うたいでない、ちょっと粋なグループが出たことは、なんとなく俺たちの世代は優秀かもって思わせてくれた。

2011/11/22

子どもぢゃないの

ヘレン・シャピロの歌を日本で歌って大ヒットさせた弘田三枝子のレコードジャケット「子どもぢゃないの」です。「ぢゃ」であって「じゃ」ではない。正直もうこの違いがわからない。「はなぢ」であって「はなじ」ではない。これはわかる。元が「ち(血)」だから。「あいうえお」を習ったとき「ゐ」とか「ゑ」あった。サントリーのウイスキーも「ウヰスキー」と書かれてあるのを見た記憶がある。こういうのって時代が進化しているといえるのか難しい。

2011/11/20

Dream Theater

古い話が続いたので新しいとこを。といっても古いですが、僕はピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスの世代なのでプログレはこの御三家が主流である。特に後者の2つは今でも新作(っぽいもの)を出すので買い続けている。実に長い付き合いである。彼らの後継者はかなりいるらしく、イギリスだけではなくヨーロッパの各国にもいいのがあると今もって新しいバンドを追い求めている頑張り屋の友達からいろいろと教わるがいまひとつ聞く気にならない。そうとはいえ時々気に入るグループに出会う。この「DREAM THEATER」がそれ。ただ一番気に入ったのがこのジャケットのCDのスペシャルエディションのクィーンのカバーをしているもの。これは凄い。正直、クィーンよりこちらを聞く機会が多い。他に入っている曲もカバーなんですが凄い出来です。

忘れたいのに

1969年はこんなグループもレコードを出している。僕はそれほど聞かなかった(関西では聞こえなかった?)ので詳しくは知らないけれど、結構評判になったラジオ番組のパーソナリティの「モコ・ビーバー・オリーブ」という3人組がパリス・シスターズのヒット曲「忘れたいのに」をカバーしてヒットさせている。この曲は実にいい曲でカバーしている人が多い。僕はこの3人組の一人のシリア・ポール(一番前の女性)という人は後でテレビ番組で見ていた記憶があるから、まあ解散して活躍なさったということですね。

2011/11/19

カルメン・マキ

1969年の春にこの曲もヒットしたように思う。カルメン・マキは後で「カルメン・マキ&OZ」というロックバンドを形成して「私は風」という不朽の名作を残すことになる。デビューしたときは摩訶不思議な雰囲気で物憂げな感じで「時には母の子のないように」と歌う姿はなかなかさまになっていて、このあたりからですかね、テレビにむかって「どうぞよろしくおねがいしま~す」って言わない歌手が出てきたのは。聞きたかったら聞いていってもいいよ・・てな感じで、時代の産物であった。

2011/11/18

夜明けのスキャット

これが当時買いに行ったときのシングル盤のジャケット(のはず)。実はそれほど明確には覚えていない。人それぞれなんで「夜明けのスキャット」を聞いて抱いたイメージはもうちょっとアングラ(古い言葉ですね)っぽい感じをイメージしていた。それがまともな歌手という感じだったのでそのときは躊躇った記憶が残っている。いい歌だけどちょっと俺のスタイルには合わないか??云々の葛藤があったように思う。で、その時は買わなかった。それで多分他のレコードを買ったと思うけど覚えていない。CCRのグリーンリバーあたりが時期的に同じかなと・・・古のことなんで忘れてます。

2011/11/17

1969

1969という名前のCDが売れている。由紀さおりが日本語で歌っているCDがアメリカやヨーロッパで流行っている。1969というネーミングが意味深である。まあ1969年に流行った歌を中心にまとめられているからだということでありますが、1969というのは以前にも書いた記憶があるがアメリカを中心としたポップスがロックに変わっていた時代で「ロックは69に生まれた」とはよく言ったものだといつも思っていた。ニューミュージックマガジンが創刊されたのも1969年だった。
1969年は個人的には晴れて?浪人になったときで実に灰色の真っ只中であった。よく気分転換に「ヤンリク」を聞いたが、歌謡曲というか日本でも印象に残っている歌が多い。「夜明けのスキャット」「ブルーライト横浜」「時には母のない子のように」「黒猫のタンゴ」「予約」(知っている人少ないでしょうね)「鳥になった少年」「フランシーヌの場合は」「真夜中のギター」「別れのサンバ」「白いブランコ」、あと曲は忘れたが「Kとブルンネン」とかあの「モコ・ビーバー・オリーブ」といった歌手?も歌っていた。洋楽かぶれの僕が意外に知っていると思ったら、一番机の前に座っていて深夜放送を聞いた時間が多かったのだと思う。
「夜明けのスキャット」は春にヒットして感動してレコードを買いに行ったらシングル盤のジャケットが実に普通っぽくて買う気がそがれて買わなかった。そして実に42年ぶりにアップしたレコード(CD)を買って聞いている。やはり買う運命だったのだとしみじみ思っている。

2011/11/16

shangri-las(2)

これが4人写っているときのシャングリラス。黒髪は双子、金髪は姉妹。ボーカルは前に座っているメアリー・ワイス。こういうにこやかなのは少ないし、どっちかといえば突っ張り気味の方が似合っている(あくまで写真写りの話です)。日本では「家へは帰れない」が一番ヒットしたように思う。黒髪の片方は残念ながら早くして亡くなっている。

2011/11/15

shangri-las

「リーダー・オブ・ザ・パック」という曲があって1964年の11月頃からヒットした。僕の記憶ではビートルズで始まりビートルズで終わるはずだったアメリカのヒットチャートは年末間際になってから「ラスト・キッス」「太陽に歌って」とかこのシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」がちょっとずつ1位になって、バチッとビートルズの「アイ・フィール・ファイン」で締めくくることが出来なかったような思い出がある。1965年は64年のようにはいかないよという予感がし始めた。まあ当然といえば当然の話。ビートルズの1964年のような現象はこの年しかその後も起こっていないから。
このシャングリラスという女性4人のグループは今でもカルト的な人気を保っている不思議な伝説的なグループである。ここには3人しか写っていないが、1人は写真に撮られるのが嫌いとか(真偽のほどは分からない)で4人の写真や3人の写真が入り混じっている。やだジャケットとしてはこれが一番よく他のはダメですダサイ。右のメアリーは今でも歌っている。(HPもあります)

2011/11/14

黒船

TPPの記事を読んでいたら、農家や畜産の方々は「もう駄目だ、守ってくれないとつぶれる」というような記事ばかり目に付く。僕はメーカー(車と半導体)出身ですからいつも「この産業は国は守ってくれない。弛まざる技術革新と世界中で一番安く作れるところで作る覚悟がないと生きていけない」というようなことをず~といわれ続けてきた。「日本で作っているのはたまたままだ採算がとれるからだ」といわれていた。頑張って日本の生活レベルが上がったら現場の関係者は日本には住めなくなるというジレンマを抱えていることも教えられてきた。

その証拠に松下(今はパナソニック)は採算がとれなくなったあのお家芸のテレビを捨てた。テレビを守ってくれと国に陳情しなかった。陳情しても最終的には効果がないことが分かりきっているからだ。

政治家特に農業を基盤にする政治家さんはその支援団体の代弁者かもしれないがもっと啓蒙活動に力を入れないといけないのではないかと思います。早かれ遅かれ採算がとれないものは市場から駆逐される。これが原理です。原理原則に逆らうことが政治ではないと思うのですが、今の政治家は票には従うけれど原理原則には従わないから無理が生じるような気がして仕方がありません。

MacArthur Park

突然ヒットしてびっくりした曲を思い出してはここに書いているが、これもびっくりした。正直初めから終わりまでず~と語りなんでさっぱり分からない。今もって訳を読んでも意味不明。「ケーキが雨の中で溶けてる・・・」(意味深ですなあ)。作詞はジム・ウエッブ(だから難解)。で、歌っているというか語っているお方がなんとダンブルドア先生です。リチャード・ハリスは多才なお方で最後は映画と芝居に落ち着いた感じですが、歌手もやってたのですね。
蛇足ながらこのマッカーサー・パークですが、後になんとディスコ調になってドナ・サマーがNO.1にしてます。こうなったらどんな歌詞でも気にしませんが、リチャード・ハリスのときは語るから歌詞が気になったもんです。

2011/11/13

Red Baron

映画も作られているドイツ空軍の英雄さんらしいです。「マンフレート・フォン・リヒトホーフェン」という長いお名前です。複葉機の時代。あの頃の空中戦ってまだ優雅な世界です。

Snoopy

これが(この犬が)スヌーピーですね。ミッキー・マウス、ドナルド・ダックなどアニメを見ていなくても見る人の心をつかんでしまうキャラクターというものは凄いなあといつも思っている。他にはディック・ブルーナのミッフィもいいですね。多分日本のアトムもそうなんだと思います。

Snoopy vs The Red Baron

もう何時ごろのヒット曲だったのかすっかり忘れてしまった(調べたら1966年でした)。ロイヤル・ガードメン(普通はガーズメンですよね)というバンドが「スヌーピー対レッドバロン」という曲を引っさげてヒットチャートを「赤丸急上昇」してきた(懐かしい表現ですねえ)。そのときたいていの日本人はこの「スヌーピー」が何者か知らなかった。まあアメリカ文化のマニアなら知っていたと思うけど。あのスヌーピーですね。スヌーピーが日本でメモ用紙になったり色んなところに出てくるのはもうちょっと後だったと思う。本来ならスヌーピーがジャケットに出ていればもっと売れたと思うけどどうも彼らも承認をもらっていなかったようで大ヒットして慌てたというような話も聞いた記憶があります。彼らの演奏はいまやユーチューブで見ることが可能です。ちょっとコミカルなバンドです。
多分、日本ではスヌーピーなんて当時なら誰も知らないだろうということで「暁の空中戦」という邦題をつけたのでしょうね。

2011/11/12

スマル亭

昔、茅場町に仕事でよく出張していたことがある。お昼は1人のときはほとんど周りの立ち食いそば屋を利用していた。早いしね。東京には関西では全く知らないチェーン店があって、違う文化圏のような気がする。さらにダシが全く違うので(非常に濃い)まあ両立は難しいのだろうと思う。ただ食べているうちに、慣れというのは恐ろしく、こっち(関東)のそばもうまいと思うようになった。
それで茅場町にあった事務所の近くに「スマル亭」というのがあって、桜えびのかきあげ天ぷらをのせたものをよく食べていた(実においしく出張が楽しみだった)。最近はもう関西の仕事ばかりになってあんまり行かないので時々食いたいと思う。ところがこの「スマル亭」というチェーン店はネットで調べたら静岡が本拠地の会社で茅場町はなんと東京にある唯一の店舗であった。僕はそれを知らず東京の大衆はこんなうまい物を食っていると思い込んでいた。勘違いも甚だしいところである。今度は静岡への出張がないか作戦を練らなければ。

2011/11/11

OLYMPUS(4)

これも名機の誉れ高い「OM-1」、これが出た時時点で一番小さい一眼レフだったと思います。こうやって考えたらいいカメラ多いですね。
ファントラ・特金の呪縛が今頃出てくるとは思いませんでしたね。あれはホンマニたちが悪く、当時は電話一本で成約できるから簿外になりやすく、監査法人泣かせの悪名高き金融商品でした。見方を変えればああいうものを開発してくる証券会社も問題だと思います。まあ誘惑に負けず健全な経営をするのがいい企業なんでしょうけれども。

2011/11/09

OLYMPUS(3)

これも衝動買いしたのかな。ただ思いつきで買ったのでなく「これはいい」という結論は出していて買おうか買うまいか悩んでいるときにJOSHIN電器に寄ったのが間違いで、見たら買ってしまった。長く使って今もカバンに入れてある。ただ風景画オンリーになっている。
全然関係ないがTPP問題である。だいたい政治とかを取り扱う気持ちはないのだが、やっぱりちょっとは考えないと。日本の農業を守るとかいう建前でなくて、国際競争のある産業とそうでない産業の立場の違いの争いだと思う。参加しないと自動車と電気関係はしんどい。結論を言えば参加しないとどうにもならない。ただもっと早くから対応を考えないといけなかったということ。こんなこといえばなに言うとんねんといわれそうですが。日本の選挙制度は国際競争に勝てない構造になっている(反対組がかなりの得票数を持っている)。このままでは国際競争力ある企業と人材は出て行って、残った国際競争力のないTPP反対組みは日本で自滅するのだと思う。 多分みんな分かっているのだと思いますが立場上反対せざるを得ない人も多い。
競争というのはなかなか(かなり)非情なところがある。

OLYMPUS(2)

これをもってはじめてヨーロッパに旅行したことを思い出した。このカメラはその後家族が水に落として涙涙だったんですが乾いたらまた使えるようになって愛用してました。ストロボを外したら実にいい塩梅の大きさで、さすがはオリンパスだと思ったものである。小さくて使い勝手がよくそんで自己主張もあるといういいカメラでした。
もう既に買収の記事が載りだした。日本の企業が救いの手を差し伸べないと内視鏡の技術は狙われてますよ。

2011/11/08

雑感

仕事をしながら時々休憩を兼ねてテレビをつける。今日はほとんどオリンパス粉飾決算事件が中心。それと国会中継をやっていた。菅総理のときは顔を見るのも嫌だったけれど辞めちゃうともう今の総理にはそれほど嫌悪感はなくなった。それはそれとしてテレビを見ていたら平沢さんと今のなんかの大臣が言い争っていた。平沢さん自体はそれほど嫌いじゃないけれど、なんか国会で言い争うテーマなのかなと思ってしまった。というより国会って実に下らんことばかり言い争っている感じがする。もうスキャンダルで足の引っ張り合いばかり。任期を決めてその間は一生懸命仕事(政治)をさせるというのはどうかなと思う。失言で辞めさせて一体誰が損をしているのかといえば国民が一番損をしているような気がする。オリンパスのガバナンスが云々もさることながらこの国のガバナンス制度がおかしいから仕方がないかなとかなり自虐的な気持ちになってしまう。
アップした写真もオリンパスの蛇腹カメラでなかなか品があっていいでしょう。粉飾してる場合じゃないでホンマニ。

OLYMPUS

オリンパスが大変なことになっている。以前から怪しい会計処理丸出しにしていて当然といえば当然な結末になりそう。大胆な予測では上場廃止でどこかに身売りですね。監査法人も危ない感じです。監査法人が粉飾指導までしていたら中央青山の二の舞かも。技術力は高いのにもったいない話です。
父親が僕が生まれたときにこの蛇腹のオリンパスを買ったらしい。僕も大きくなってからよく使ったから親近感が今でもある。PENシリーズ(特にF)もOM1もCAMEDIAという数種類のカメラをオリンパスで持っている。今度も超望遠デジカメを物色中だったのに、ニコンほどお高くとまっていない感じとキャノンほど超メジャーでない感じが好きだった。
全然話は変わるけど経理マンとして勤めた経験から言わしていただければ、こういう会社(粉飾をやっている会社)に入社したら最悪で、もう運を天に任せるしかない。オリンパスとかカネボウという有名ないい(と世間では思われている)会社に入社できたのに、逆に経歴にも傷がつくし転職のときも損する。でも入ってしまえば結婚でもして子供もいたら辞めるわけにいかない。こんなジレンマは誰にもいえない。今から考えたら「ちゃんとやってくれたらいい」と決算結果に口をはさまなかったトップの会社にいたのは幸せだったということが今になって思います。
不謹慎ながら、これを機会にオリンパスのカメラが安売りされたら数台買おうかな。物は実にいいものが多い。
社長が財テクに失敗して自分が社長でいる間はなんとか隠そうということから粉飾がスタートすることが多い。今回は監査役もグルということで 日本の企業はますます信用を失う。

どくとるマンボウ(2)

どうも僕の持っている航海記と違うと思ってネットで探していたら見つけました。ぼくの持っているのはこのイラストのものです。最近は海外に行ってネット上に紀行文を載せている人が多くて、僕は紀行文が好きなもので結構読むことが多い。ただこうして改めて今回北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」を読んでみるとやっぱり違うなと思うことが多かった。初めは特権階級が海外に行ってちょっとした文才がああれば誰でも書けると思っていたのですがね。

2011/11/07

どくとるマンボウ

北杜夫さんがなくなって、昔読んだ作家が亡くなっていきますなあと思って本棚を見ていたら何冊か出てきた。純文学っていうのは苦手なのでもっぱら読んだのは「まんぼうシリーズ」だった。特にこの航海記がお気に入りで、さらに佐々木侃司さんの挿絵のものが好きだった。1960年頃の航海記なので今からざっと50年前、あの頃の北杜夫の会う世界の人々の感覚や同時にこちら側(北杜夫)の常識・感覚なぞが推し量られて楽しい。戦争が終わって15年経過した時代でもまだほとんどの人が第2次世界大戦を経験している時代でなかなか興味深い。


2011/11/06

狂ったナポレオン

予測不能だった大ヒットを考えていたらこんなのも思い出した。1966年の「狂ったナポレオン、ヒヒハハ」原題はこのアルバムジャケットにかかれてます。「奴等が俺を捕まえにくる・・ヒヒハハ」というもの。キャッシュボックスではNO.1になっている。
例えではちょっと違うかも知れないけど、「泳げタイヤキくん」「黒猫のタンゴ」的なものかな。ちょっと違うか??違いますね。あっという間に消えていったと思ったら、他のネットで調べたら放送禁止になったとか?放送禁止になるような内容でもなさそうなんですがね。訳が分からんのは放送禁止なのか??
ともかくあっという間に駆け上ったキワモノジャンルではトップクラスのシングルヒットでしょう。
アメリカのヒットチャートを紹介する深夜放送で聞いていたのを思い出した。ケッタイなのが流行るなあと思ったものである。

2011/11/05

Bobbie Gentry

これがボビージェントリーの「ビリージョーの唄」のシングル盤。1967年にあっという間に1位になった。このあたりはほとんど事前に日本の音楽雑誌には紹介されないのでトップ10に入ってきて「なにもんやねん」ということになる。大抵はカントリー系の歌姫ちゃんが多かった。今でもナオミ・ワッツとかその娘とか大物が他にもわんさかといるみたいですが、その方面の紹介はコアなファンがいることはネットを見たら分かってきたが、日本では日の目を見ない。やっぱり感性が合わないのかな思ったりする。ここで以前書いた世界で売れたCDトップ10にもカントリー系の歌姫のCDがあって、こんなのが何千万枚も売れるのかと買い求めて聞いてみたがやはり繰り返し聞く気にはならなかった。

HARPER VALLEY PTA

レコードのことを思い出していたら、こんなレコードのことも思い出したので書いておきます。アメリカのヒットチャートを毎週楽しみに暮らしていた頃、大体ビートルズとかビーチボーイズの新譜は事前に話題になってヒットチャートを上り始めるのをずっと見ていた。ところが時々そんな情報網(特に日本では)にひっかからないで突然ビッグヒットになってしまう例を何回か経験している。大体はカントリー系の歌手が歌っていることが多い。ここにアップしたジニーCライリーの「ハーパーバレィPTA」という曲もビートルズの大ヒット曲(ヘイジュード)が1位の時に、ほとんど2位だった曲でヘイジュードと時期が一緒でなければこれが数週間トップだっただろうと思われるメガ大ヒット曲であります。歌詞が実に面白くって楽しい。ミニスカートが似合う若いお母さんが「あんたちょっと派手よ」ってPTAから呼び出しを食らって、そこでPTAのお偉方のプライバシーを暴露して逆にとっちめてしまうというような歌だった。あとでドラマにもなったらしい。そんな感じのレコードジャケットであります。

あとはボビージェントリーのビリージョーの歌も同じ範疇の曲。これもビートルズの「愛こそはすべて」と1位を競った。

VIC~レコード屋考

東通商店街のレコード屋について思い出していたら、「LPコーナー」に行ったら、「VIC」にも必ず行っていたなあと思い出した。ただ買った記憶はかなり少ない。VICはちょっと主流のジャンルが違っていたように思う。中古はミナミのワルツ堂でほとんど買っていたと思うし、日本盤は近所の今で言うポイントがつくところで買っていた。今から思えばレコードといっても膨大な種類があるので全部置くわけにいかないから自ずと傾向が出てくる。近所のレコード屋は大阪のど真ん中でもない近郊ベッドタウンの地方都市であったにもかかわらず、この手(新しいロック)のものをかなり品揃えしていたので日本盤はそこで買っていた(普通のレコード屋は演歌とアイドル系と洋楽ヒットのシングルが主だった)。途中から知り合いがレコード屋でアルバイトするようになってからそちらの方が割引率がいい(社員割引)のでそちらになった。学生時代(それも中・高のころ)は世の中のことをなにも知らないから将来レコード屋なんか好きなレコードかけていたら勝手に客が来て買っていくしよさそうと本気で思ったことがあるけど、町のレコード屋で今も残っているところは皆無で大手もなくなってしまった。わずか30年くらいで消えていってしまった。

2011/11/04

LPコ

やはりネット社会は便利でLPコーナーの紙袋をアップされている貴重なお方がおられました(拝借してます。スミマセン)。昔、買ったレコードをノートに付けていた時期があって、LPコーナーは「LPコ」と書いていた。今のように通販で来る時代(クリックしたら次の日に来ている)でなく、足で直に見て品定めをして買ってきた。バイトして数枚買って帰るなどということは天国に昇る気持ちであった。数枚買って帰る行為はもうあなた1日仕事であった。レコードは文化品で再販維持価格で値崩れしない。貴重なものであった。輸入盤なんぞはもう金持ちしか買えないものだった。(今と大違い) 何時からだろう?輸入盤のほうが安くなったのは。
LPコーナーはいわゆるプレミアム盤も沢山あってヤードバーズのジミー・ペイジのライブなんか数千円とか1万円とか、いつかはあんなのが買えるようになりたいなあ・・と変な上昇志向を刺激するレコード屋であった。「いい趣味したはる」とお店のおばちゃん(お姉さん?)に褒めれたのがジュリー・ドリスコールの「ストリートノイズ」を買った時だった。



2011/11/03

SMILE THE BEACH BOYS(2)

遂に出ました。46年間の長き時間を経て遂に出ました。今のところ3種類出てまして。アップしたのは一番豪華なCDからレコードまでついたもの。予約してますがまだ来ません(待っとるんジャヨー)。どんなものが来るんでしょうねえ?いろいろ薀蓄を傾けたら面白いレコードは多くありますが、これはまあ薀蓄だけでを本にしても優に上下2冊(ジョブスと同じくらい)はいけますね。
もともとこのジャケットで発売されますと当時発表されたジャケットそのままで出てきたのがうれしいです。一番普通のCD1枚のものは今日入手して聞いています。ブライアン。ウィルソンのスマイルと聞き比べると聞き覚えのあるビーチボーイズの他のメンバーの声が聞こえてくる(当たり前)(ようで)うれしいです。アル・ジャーディンの声かなって思ったり。

2011/11/02

LPコーナー








今日は大阪の北税務署というところに用事があったので出向く。大阪駅から歩いても時間が余るくらいだったので、久しぶりに東通商店街を歩く。この商店街はなかなかややこしい。相変わらずお昼なのに酒飲んどるおっさんがいっぱいいる。雑多なややこしさは変わらない。ものごっつう昔、この商店街の一番奥に「LPコーナー」という輸入レコード屋さんがあった。高校生の時はここまでたどり着くのがなかなか大変だった(別にキャバレーのお兄さんに呼び込まれるわけではないが(制服着てるから当然)そんな中を黙々と歩いて通り抜けるのはかなりしんどい)。このレコード屋にいけば雑誌で見たうわさのレコードがいっぱい並んでいてそれこそ狂喜乱舞の世界だった。一番感激したのはクリームのカラフルクリーム(ディズラエリギアーズ)を見た時。日本盤は出ないだろうと思われていた頃である。見たことのない(今後数ヵ月後に発売されるものや日本では永遠に発売されないもの)レコードを見るのはもうワクワクドキドキの世界だった。変な漢字で「力(ちから)」って書いてあるレコードはKISSだった。それとこのお店なんというか「なんとも言えない癖のある店員さん」が多く(やたらと営業をかける。もう店内中でキャッチセールスみたいなものである。おかしいことに営業をかけられたいという客がいるから面白い)、というわけでなんか変に印象に残っているお店であった。周りにVICとかDUNとかいうレコード屋もあったように記憶しているがそういうややこしい営業はしていなかった(それが普通だった)。残念ながらLPコーナーは今日はもうありませんでした。(倒産した話を思い出した) 。LPコーナーの紙袋なかなか洒落ていて好きだった。










カバマダラ

もうちょっと蝶々の話にもどります。普通というか僕の住んでいたところは(小学生の頃)、大阪府ではあったけどまだ田んぼも多く春から夏には蝶々がいっぱい飛んでいた。ただ目に付くものはモンシロチョウ、キチョウ、アゲハチョウ・・・というごく普通一般の蝶々で、図鑑を買って見出すと実にいろいろな蝶々がいることがわかった。そのうちに一度は自分の目で見たいものだと思う蝶々がいっぱい出てきた。このカバマダラという蝶もそのひとつで実に美しいなあ思ったもののひとつです。オレンジ色と黒にその上に白の斑点とが実に魅力的に感じたものである。多分この写真はスジグロカバマダラっぽいですね。

2011/11/01

Brian Wilson

最近精力的な活動をしているブライアン・ウィルソンがなんとディズニーの主題歌を歌ったCDを出した。個人的にはポカホンタスの主題歌である「Colors of the Wind」が気に入っている。外にライオン・キングからとかダンボとかトイ・ストーリーからとか新旧散りばめられている。で、元気である。1988年に復活してからの伸張が著しい。
それについに「スマイル」が出ます。大枚はたきまっせ。