2011/02/28

SHARAKU

突然ジャニスから写楽である。幻の浮世絵師写楽については「写楽はいったい誰だ?」という切り口で様々な諸説があって、一覧表になっているくらいであります。個人的には写楽の謎については石森章太郎で知ったような記憶がある。もちろん写楽は趣味週間記念切手で知っていたけど。そのあと池田満夫のNHK番組や高橋克彦の「写楽殺人事件」で面白くなって、徐々に知識が蓄積されて、最近では新しい説には「ほうほうこういう切り口できたか」といっぱしの評論家になってしまっている。ただ最近では中野三敏教授と内田千鶴子さんのご尽力で新説を出すにはかなりの才能が必要な環境になってしまって、このことは喜んでいいものかなかなか複雑なところです。
まあそのことは置いておきまして、以前からずっと興味があるのは果たして第1期の大首絵シリーズ(写楽といえばこれです)が当時評価された(つまり売れたのか?)のかどうかがすごく興味があります。個人的には絶対1期の作品が目を引くのですが、それは今(2011年)見ての話で、これが出た1794年(217年前)の庶民がどう判断したのだろうといつも思っております。これについては意見が分かれていて全くダメだった(売れなかった)という論客から何べんも刷っているから評判になったという人まで、すでにこの時点で意見が分かれてます。
クルトが評価したというのも他の浮世絵と全く違っているし、大首絵も他の絵師も書いているけれど、どちらかといえば写楽は漫画的で今に通じてるからこの1期の作品群だけが別物のように思えてしまう。そこのとこがクルトの目に留まったのでは・・とまあ勝手なことを思いながら楽しんでます。このアップした三代目大谷鬼次なんかも手のところがなんかワンピースの世界と同じように思えてしまう。

2011/02/21

janis joplin

マイク・ブルームフィールドの映像を見たくなってモンタレー・ポップ・フェスティバルのDVDを引っ張り出してみる。1967年の映像でこの時はエレクトリック・フラッグというバンドで紹介されているからバタフィールド・ブルース・バンドは辞めているということになる。だらだら見ていたらジャニス・ジョプリンのボール&チェインになる。まずいなあとおもいつつ見る。何がまずいなあというと。人間色々な人種がいて、僕はこういうすごいのは直視するのが苦手である。もうなんというか涙が出てきて何にもする気がしなくなる。それで照れ隠しになるべくジャニスは避けている。もうすぐ死んでしまうのが当然のような歌である。アップしたのはもう一つの曲の方の映像のようで鬼気迫る雰囲気は少し弱められている。この時「3J」といわれたスーパースターがいて、不思議なことにほとんど同時期に薬で死んでいる、ジャニスとジミヘンとジム・モリソン。みんな仕方がない感じがする。一生分吐き出している感じだもんね。

2011/02/18

mike bloomfield

左から2番目の首から上だけが写っているのがマイク・ブルームフィールドです。フィルモアの奇蹟とこのレコードとどちらが早かったのかもすっかり忘れてしまっている。このレコードはポール・バタフィールド・ブルース・バンドの不朽の名作「EAST WEST」です。一番右がエルヴィン・ビショップ、真ん中がポール・バタフィールドで残った白人がマーク・ナフタリン(だったかな)。白人でもブルースが演奏できるんだ!と意気込んだかどうかは知りませんが、当時としては革命的な出来事でした。このレコードに収録されている「EAST WEST」という曲はもう驚きの1曲でギター1本でここまで表現できるとは!感激の名曲です。当時友達から借りてテープレコーダー(オープンリール式)に録った。レコードプレーヤーから直接録るコードとか持っていなくって、プレーヤーから出てくる音の前にマイクを置いてほぼ30分くらい黙ってじっとして録った。そしたら部屋の掛け時計の「コチコチ・・」という音が一緒に録音されていて、マイク・ブルームフィールドの超人的な演奏に時計のコチコチ・・が混ざり実に僕だけのスペシャル・バージョンを繰り返し繰り返し聞いたものである。なんともいえないプレイです。東洋風と西洋風の融合の世界、是非聞いてみていただきたいと思う。

2011/02/16

フィルモアの奇蹟

ずいぶん前に同じジャケットをアップした記憶が残っているが、書くことは違っているはず。前回の「スーパーセッション」という言葉は当時の流行語になって大物のプレーヤー同士が組んでアルバムを出すと「スーパーセッション」と言われた。スーパーセッションでアル・クーパーって何者と思っていたらこんなレコードが出てきた2枚組みで確か3600円、目立つジャケット、描いたのはノーマン・ロックウェルという有名な画家、僕にしたら画家の方が大物。その大物が全く無名の大写しの顔だけの絵を描いている・・こういうのは当時は珍しかった。ただ異様に説得力のある2人の顔である。(実は買ったのは数ヵ月後、当時はお金なかったもんねえ、2枚組みで3600円は冒険だった)
演奏されている曲名はポール・サイモンの「59番街の歌」、バンドの「ウェイト」、トラフィックの「ディア・ミスター・ファンタジー」ほかブッカー・Tの「グリーン・オニオン」それにブルースの曲(だと思う)、その時思ったことはもう覚えていないけれど、今から考えたら、それまで僕の聞いていた世界と全く別世界だったわけ、なにが別世界かって、演奏者が上手いという評価はそれまだ全く無関心だった。ビートルズの連中が楽器が上手いか下手かなんてあんまり関係なかった。クラプトンがギターがめっちゃ上手いらしいというくらいが話題であって、演奏者の力量には無頓着だった。それがこのレコードは僕の知った曲を彼らがイントロあたりにちょっと使ったと思うとその後は彼らの即興の世界だった。これにはびっくりしたし感動した。新しい時代が開けた。この後は上手いプレーヤーがいないとバンドの評価が得られなくなった。

2011/02/14

super session

今でこそ、レコード会社の枠を超えていろんなプレーヤーが客演してレコード(CD)の裏のあたりに○○は△△レコード会社の好意によって出てますとい注意書きがなされている。沢山の人が客演したらこの注意書きで一杯のもある。まあこの但し書きは必要であるが自由に「あいつといっぺん組んでCD出したい」と思えば可能であり、当然の世界になっている。これが60年代後半までは無理な状態でそのレコード会社に属しているプレーヤーでないとバンドは組めなかった。JAZZではそのためにレコード会社をよく変わっている事例が多いようであるが、ロックの世界では個人の名手というのが当時ではまだ希薄だったから必要がなかったのかもしれないが、段々とエリック・プラプトンはギターの天才である。誰々と組んでバンドを作るらしいとかいう話が流れてきて、アイドルグループ的なポジションから段々プレーヤーとして活動する時代が来た。そんななかでバッファロー・スプリングフィールドにいたステファン・スティルスがアルクーパーとマイク・ブルームフィールドと組んで出したのがこの「super session」というレコード、その名のとおり名うてのつわものが集まって録音したレコードです。敢えてステファン・スティルスの名前を先に持ってきたが当時の僕は後の2人の名前を知らなかったからである。聞いたらマイク・ブルームフィールドのギターにぶっ飛ぶのですが。この時期からほめ言葉が「いい曲や」から「上手いギターや」というほめ言葉に変わって行ったように思う。このレコードの仕掛け人がアル・クーパーでボブ・ディランは知っていてもそれほど熱をあげて聞いていたファンでもないからアルとマイクの2人のことはこの時まで全く知らなかった。このあたりからそれまでの僕の情報網に引っかからなかったアーティストがわんさかと出てくる。楽しい時代でありました。

2011/02/11

al kooper

「I Stand Alone」という検索をしたらいっぱい出てきた。僕はアル・クーパーのこのLPしか頭になかったので驚いた。「仲井戸麗市」や「松たか子」もこの 「I Stand Alone」というアルバムというか曲というかまあそういう作品があるということです。他にもかなりの数のものがひっかかった。 「I Stand Alone」ってどういう意味なんでしょうかね??「私は一人で立っている」単にそういう意味??昨日の続きを考えて、アル・クーパーはBS&Tを追い出されてどうしたっけ?昔なら即座に答えたのに、もう喋る相手もいないのですぐに出ない。記憶ではこのアルバムを出したのかな?スーパーセッションとどちらが早い??いい加減なものである。調べたらすぐわかるが記憶はドンドンぼやけていっている。あるアーティストの痕跡を追うのも頭の老化防止にはよさそう。確かオーバーチュアで始まったと思う。オーバーチュアという単語はこれで覚えた。万華鏡のようなレコードである。ポップスから結構何でも聞くようになったのはこのあたりからである。ニューロック時代以降、奥の深い音がどんどん出てきた。
自信にあふれていたアル・クーパーの顔つきがいいです。

2011/02/10

blood,sweat & tears

blues projectを書いたら僕の頭はここに来た。 blues projectを辞めたアル・クーパーはギターのスティーブ・カッツと共に「blood,sweat & tears」というグループを結成する。それで1枚レコードを出している「子供は人類の・・・」というややこしい題名のレコードです。この1枚目ではリード・ボーカルをとっているけどアル・クーパーってそんなに声量のある歌い手ではない。それで設立者である本人が追い出されてしまう(おまえ歌へたやんか・・といわれたかどうかは知りませんが)。アル・クーパーを追い出したあと(この時なんとランディ・ブレッカーも辞めている(ここにランディ・ブレッカーがいたことがすごい))デビッド・クレイトン・トーマスという大声量の男(イギリスでいったらクリス・ファーローかな)が入ってきて出したのがアップした2枚目です。ここから大ヒットシングル(スピニング・ホィール)が生まれ超売れっ子バンドになっていきます。設立者の片割れのスティーブ・カッツは今もこの「blood,sweat & tears」をやっている。唯一残った設立者らしい。40年以上スピニング・ホィールを演奏しているのかな。

2011/02/09

the blues project

これは「the blues project」という1967年くらいに結成されていたバンド、左から2人目がアル・クーパーです。後の4人は当時全部覚えていたけれどすっかり忘れてしまった(正確にはあと2人は名前が出てきたけど、顔を示せない)。レコードを買ったのは数年後である。アル・クーパー個人の名前が売れてから日本で発売されたと記憶している。ジャケットがなにせバラバラな格好ですがなんとなく気に入っている。とてもおしゃれといえるものでなく、世界中にレコードを売るんですよという雰囲気でもないしほんまに普段着です。特に一番右のカッターの襟とネクタイと帽子・・すごいですね。特に襟がすごい、こういう形にしようと思ってもなかなか出来ない。
肝心の音は素晴らしいの一言。時々聞くとこういうのが当時埋もれていて気づくのが数年後だったということに、すっごくなんというか感動という言葉が当てはまらない(的確な語彙が出てこない)けど、こういう音が海の向こうにあって、その時僕は何をしていたのかな?というようなことを思っている。

2011/02/08

高田商会(3)


2年前にこの高田商会について書いた記憶があります。ブログの仕掛けに不慣れ(というか無知)のため、2年前にコメントをいただいていたのを先日初めて知る(この間まで読んでいる人がいるとは思っていなかった)。すみませんでした(もう見ておられないでしょうね)。高田商会を研究されているとかで。今ググッてみると2年前より書き込みが増えております。僕は鈴木明さんの「追跡」という本から知ってNETで調べだしたのでそういうきっかけの方が多いと思います。また別のルートとして、アップした写真は高田商会の本社ビルですが、この建物の設計者が有名な方らしくこの設計者へのアプローチ(つまり建築家としての)もあるようです。そして末裔である高田万由子さんからのアプローチも増えているかもしれません。
さらに学術論文も出てきてます。高田商会のある時期のメインは兵器の貿易商で死の承認と揶揄されている記載もありますが、当時の時代を考えたら全然そんな嫌味は当てはまらないように思います。高田商会の活躍がなければ日露戦争は負けていたかもしれないという書かれ方もされてますので。本来なら今も総合商社として残っているはずの規模だったようですがこの震災がきっかけで忽然と消滅してしまいます(本当は今も続いているようですが)。なんかこのあたりの記事を読んでいたら不思議な気持ちになります。

2011/02/07

昔の話(その2)


浅間山荘事件のことを考えていたら、結局同じ世代の色々な人物を応援していたことに気がつく、この「BEATLES」なんぞは音楽が気に入って聞いていたわけであるが、ある意味僕らの世代の代弁者として僕らは応援していたわけ。連合赤軍も当初は同世代の若者から応援されていた時もある。それが結果としてその期待を見事に裏切っていった。まあそのような裏切りつまり同じ世代の期待を裏切ったのは他にも一杯いたように思うけれど、個人的にはビートルズと連合赤軍は期待の両極になってしまっていることが昨日の記事でふと気がついた。同じような人は多いでしょうね。出来ればみんな期待通りの活躍をして欲しかったというところです。連合赤軍の期待通りの活躍って何や?って考えると難しいですけど。 ただ当時でも個人としてはソビエトや中国やキューバや北朝鮮に憧れたことは全くなかったので、正直何を期待していたのかなって思っている。当時の大人をぎゃふんと云わせてくれればよかっただけだったのかもしれないなと。単純にそうだったのかも知れない。

2011/02/06

昔の話

相変わらず昔の思い出である。今日のニュースを見ていたら「永田洋子」が亡くなったということである。今の若い人はほとんど誰のことか知らないだろう。ずいぶん昔のことになってしまったが65歳だったということでこっちも年いくなあと変なことで感心する。昔(僕が大学生の頃)は結構回りにもサークル活動的に学生運動をしている友達が普通にいて特殊な感じはしなかった。軽いのりでガールフレンドと一緒にデモに行ったりしていた奴も多かったように思う。それが段々過激にエスカレートしていき大学でアジ演説する姿は消え、しまいにゲリラみたいになっていった気がする。それでもなんというか犯罪者的な捕らえ方はしていなかったし同世代として世の中のことを思って頑張っていて偉い(俺には無理だけど・・・)というどちらかといえば世代としてシンパ的な態度をとるものが多かったように思う。ところが「あさま山荘事件」以降あの驚愕の「リンチ事件」が発覚してそのようなシンパ的な幻想が一瞬にして吹き飛んでしまった。あの時の裏切られたという挫折感というのは今でも覚えている。彼らを一瞬でもエライと思っていたのかという自分に対する惨めさ(そう単純なものでもないけど)・・それ以降そう単純に人を信用しなくなった。いいことを言っていてもじっくり観察してから判断しないと・・という態度はこの時に学んだように思う。それとある考えに寄り集まった集団の危うさというのもこの時身にしみてわかった。
アップしたのはこの話と全く関係のないフラッシュの3枚目。暗い感じなんで使いました。1枚目と2枚目はびっくりするほど違います。

2011/02/03

fragile-yes

ネット上のブログで昔の好きなレコードのジャケットを載せて自分の文章を書いている人はかなりの数に上る。(僕もその一人)。そういう方のブログを見ていくと、JAZZ、ROCK、OLDIESという分野が多く、クラシックとか演歌は少ないように思う。また例えばROCKでもさらに細分化されてプログレとかウエストコーストとか気に入ったジャンルに特化したものや、もうある一つのアーティストに特化したものも多い。また別の切り口としてジャケットに特化したものもあります。
ROCK-プログレ-ジャケット・・・どのような切り口からもこのYESの「こわれもの」というレコードはアップされていることが多い。「危機」というレコードの方がある意味YESの代表作だと思いますがジャケットの見栄えという意味でこちらが出てくることも多いようです(「危機」のジャケットも好きですが、やはりレコードの大きさのものを手にとって見ないとよさが伝わりにくい。さらに見開きジャケットの内側のロジャー・ディーンの絵も見ないとね)。
昔のレコードジャケットの大きさのままで今のCDをつけるというのは売れないですかねえ??