2010/12/31

さらば虎くん

虎年もいよいよ終わりである。今年は年男でもあったのでなんとかいい年になって欲しいと念じていたがあんまりいい年でもなかったような気がする。まあなんとか無事で生き延びれたのが幸いと思っておきましょう。民主党政権はほとんど人気取りの意味のない政策ばかりで本当に後世のことを考えていないようだし、周りの諸国から馬鹿にされてこんな気分の悪い思いをさせられるのなら自民党の方が良かったと(決して自民党支持ではないですが)思っている。
最近始まった朝日新聞の孤族の特集を読むと憂鬱になってくるし、これからなんか明るい兆しは皆無のようにも思えて明日になれば「おめでとう」というのも正直なんだかなあという気分です。本当に日本はどうなっていくのでしょうかねえ。

vanilla fudge

クリムゾンの後にこの「ヴァニラ・ファッジ」ではちょっと格が違うのでやや違和感がありますが、一般的にロック、ロックと単純に言ってますが、「ロック」という音楽の概念が定着してきたのは、個人的な経験からすれば1967~69年(奇しくも69年です)あたりではないかと思っている。それまではポップス(その中にアメリカ発のロックンロール、ロカビリーがあった)というジャンルで一くくりにされていたように思う。ビートルズが出てきた時はロックではなかった。
それで「ROCK」というちょっと格が違うような概念が出てきたきっかけがこのヴァニラ・ファッジというグループの「アートロックの旗手」(だったかな?)というキャッチフレーズで出てきた「アルタミラ(ラスコー)の洞窟」のような絵のジャケットのLPであった。本当はそのジャケットをアップしたらいいのだけれど、それは検索したらすぐに見ることが出来るので今回は4枚目の「ニア・ザ・ビギニング」というLPの珍しい日本で作られた日本盤のジャケットを載せます。アメリカのオリジナルは今でも手に入りますがそれは単純な写真のチンケなデザインです。この日本盤はなかなかの出来です。中古屋でもあんまり見た記憶がない(まあ売れていなかったからね)。新品のものは当時レコード屋(大阪のワルツ堂で)で数回見ただけで買っていない(他に買うべきレコードがいっぱいあったので)。今となれば買っておくべきだったと・・・。
この写真は僕が知る限り現在ネットで見れる唯一の写真から拝借しました(許されよ)。感謝です。
当時のレコード会社の担当がアメリカのオリジナルのジャケットでは物足りなかったのでしょうね(なんやねんこれは・・という感じですから)。ヴァニラ・ファッジのレコードジャケットはは1枚目、2枚目(これは意見が分かれるかも)、3枚目はわりと凝っているのですがね。

2010/12/29

king crimson

先日からビートルズの「アビーロード」のことを書いていたら、同時にこのキング・クリムゾンを思い出していた。このクリムゾンが日本でデビューする時のキャッチフレーズが「あのビートルズのアビーロードを首位の座から引きずりおろしたバンド」ということであった。その昔、同じようにデーブ・クラーク・ファイブというグループが「ビートルズの抱きしめたいを首位の座から引きずりおろしたバンド」という謳い文句で出てきたのと同じである。僕はもうそのキャッチフレーズを信じていて、こんなLPが首位になるなんてやはり日本より数段文化レベルが高いと思っていたものである。ところがどうもそうでないような書き込みがネットで見られる。真偽のほうは分からないけれど、調べようと思えば可能であるし気になるので調べてみようと思っている。
別に嘘であってもこのクリムゾンのデビューアルバムの凄さは変わらないけれど。ジャケットも凄い。

2010/12/28

asada mao

ちょうど昨年の同じ頃に、真央ちゃんの写真をアップしてオリンピック出場おめでとうという書き込みをした記憶があるが、今回も同じような書き込みになった。昨年も調子が悪く、オリンピックへの出場が危惧されていたが、今回も昨年以上に危ぶまれていた。まあなんとか最後は奇跡を起こすんやろうという確信みたいなものは僕には根付いてしまっているが、今回のことでますますそう思うようになった。人間平等と建前はそうなっているけれど、人生生きてみたら建前は建前であって、もって生まれた強運というものほど強いものはないと常々思うことが多い。
それにしても凄い子ですわ。

2010/12/26

羽犬塚

昨日から大宰府のあたりで高校生達の乗った車が池に落ちて、乗っていた若者がほとんど亡くなってしまったという痛ましい事故が報じられて、ネットでニュースを見るたびに心が晴れない。こんな時にあんまりこんなことを思い出すのもどうかと思うけれど、まあ自分の為に書いているようなものなのでご勘弁くだされ。この事故のあった若者の住所が八女市黒木と載っていた。僕は昔々サラリーマンをしていた頃、八女市に子会社があって(今はないです。その後閉鎖。)、博多まで新幹線で行き、鹿児島本線に乗って羽犬塚というなんとも奇妙な駅名で降りてバスに乗って八女にある工場まで行っていたことがある。その時に「羽犬塚から黒木まで鉄道があったんですが・・・」という話を聞いて、決して鉄道オタクではないけれど結構好きなもので、その時に戻ってそのローカル線に乗ってみたかったなあと思った記憶がよみがえって来た。その線路は「矢部線」といって本当は羽犬塚から矢部というところまで線路を敷く予定だったらしいが、いったん黒木というところで打ち止めになったらしい。その黒木という地名が出てきたから懐かしくなってこれを書いているけど。こういう思い出し方はあんまりしたくないですね。
亡くなった方々の冥福をお祈り申し上げます。合掌。
アップしたのは鹿児島本線の羽犬塚駅ですが、今は新幹線が通ることになって大変身を遂げたようです。また僕が行き来していた頃の駅はこの写真でなくもっと「昭和のいい感じ」だったように思ってますが、現時点では見つけられませんでした。

2010/12/25

abbey road(2)

昨日アビーロードの裏のジャケットのこの通り過ぎる青いミニスカートの女性のことを書いた後、ネットで誰かが書いていないか調べていたら、日本語の書き込みにはなく、英語のところには、なんと「ジェーン・アッシャー」ではないかという書き込みがあった。アビーロードを録音していたときはもうリンダではなかったか?(もう僕の脳は古くなってすぐにアクセスできない)果たして真相は??僕は通りすがりの女性で今となっては名前も分からないということはないと思っている。
ついでにジャケットの裏の話を・・ドアーズの名盤に「ストレンジ・デイズ」というアルバムがある。2枚目のアルバムでどちらかといえば隠れた名盤である。このレコードジャケットは表も裏も秀逸の出来で、しかも裏に写っている女性が実に魅力的である。この女性のことはかなり調べがついていてというかジャケットの解説本に名前や当時何をしていた人かなど当時のデータが書かれてあります。ただCDになるときに無残にも裏ジャケは割愛されてしまっていて(こういうのは犯罪だと思うけど・・・)今の若い方は見ることも出来ない。

2010/12/24

abbey road

なんか知らんけど、アビーロードの横断歩道が世界遺産でもないけれどイギリスのなんとか遺産に指定されたそうで、これで勝手に改造とかを出来なくなったみたい。このビートルズの歴史的な名盤のジャケットの写真がとられたのが1969年の8月8日といういうことで、当時の僕は浪人中で真面目に予備校通いしていたかな??当時はあんまり音楽雑誌も深く読んでいなかったけど、ビートルズの映画(レット・イット・ビー)の話とニューアルバム(このアビーロード)の話がよく混ざってマスコミも混乱していた。個人的にはもうビートルズとしての4人の活動は終わりやなあと思っていた。中学と高校はほぼビートルズ一色の学生生活で後は受験勉強だけで、その割には大した大学にいけなかったけれどビートルズの思い出は同時進行だけにハラハラしたこともあったけど楽しかった。僕の周りにはこの横断歩道に行ったことのある奴が大勢いて、マニアの僕が行っていないのを不思議がる。そうやなあ、この間体の調子もおかしかったし元気なうちに行っておかないとなあと思い始めているところであります。
ところで、裏のジャケットのこの青いミニスカートの女性ですが、一般的には偶然に通りがかった女性ということになっていて名前が明かされておりません。表のビートルズの後ろに小さく写っている男性は名前も分かってるのに。わざと伏せている?以前からずっと気になってます。なかなか魅力的な雰囲気で好きですね。

2010/12/16

brenda scott

これは「brenda scott」という女優さんでこの写真は「逃亡者」に出ていたときのもの。「逃亡者」のDVDは日本語訳が付いたものも出始めたので全部手に入るようになるかもしれない。これは「蝕まれた村」とかいう題名が付いていたエピソードだと記憶しているが詳細は忘れてしまった。ただ思うのは「逃亡者」だけでなく、当時のテレビドラマについてもエピソードごとのゲストの俳優さんから監督などのスタッフにいたるまでかなりのデータベースがインターネットで調べることが出来て、1960年代以降のアメリカのテレビドラマで日本で放映されたもの(多分そういったものは本国でヒットしているから)はほとんど調べることが出来る。当時なら新聞のテレビ番組表とテレビで配役を紹介するワンシーンだけでこの「brenda scott」という俳優さんの名前を知り、それ以上の情報は本人がその後大スターにでもならない限り、日本ではほぼというか全く情報は入ってこないのが通例であった。それは今や当時の記憶を頼りにあの時のゲストがどのような俳優さんでその後どんな活躍をしたのか?またそれまでどんな経歴だったのかがすぐ分かり、50年前では考えられない時代になった。ただ、同様なことを考えると日本のテレビ番組についてのデータベースはまだまだ不完全というか、全く整備されていないような気がする。

2010/12/15

rutger hauer

昔、サラリーマンをしていた頃、30歳を過ぎた頃に世代が変わったなと思った記憶がある。つまり共有の文化を持たない世代が入ってきたという感じをその頃感じた。それまではまだなんとかつながっていたわけですね。その僕にとっては新しい世代と話していて気がついたことは、自分の見ている映画はある特定のジャンル(というか自分の殻の中で気に入ったもの)しか見ていないということだった。その時、「ブレード・ランナー」を見ろと若い新入社員が言った。「絶対気に入りますよ・・・」、だまされたと思ってレンタル屋で借りてきた。実に面白かった。スターウォーズのハリソン・フォードしか知らなかった僕はこんな映画にも出ていることを知った。特に印象に残った俳優さんがこの「ルトガー・ハウアー」でした。オランダ出身の俳優さん。この後かなりフォローしてみていたが最近は映画にはあんまり出てこない。

2010/12/12

ノルウェイの森

ジョン・レノンの命日で、何故かジョンの声がよく聞こえるなあと思ったら、この「ノルウェイの森」が映画化されて、これもジョン・レノンですわ。本の初めの方に出てくるんですよね。そこだけ。そこだけで「ノルウェイの森」という題名になっている。僕は20年位前に単行本で出たときに買って、途中で止めた。ほとんど村上春樹は面白くって読んでいるが、これは面白くなかった。面白くないと思ったのがものすごく売れた。不思議なものである。時代は変わっていくのですね。
デビュー作の「風の歌を聴け」を映画化して後味の悪い思いをした云々のエッセイを読んでいたので、その後の映画化はないだろうと思っていたのに意外であった。それと恋愛小説は苦手である。

2010/12/10

青葉しげれる桜井の・・

最近のJRは民営化に伴って、併走している私鉄と駅を数を競うようになってきた感じがする。特に京都と大阪の間はJRと阪急では駅の数が大きく違っていて、過去は私鉄沿線の方が新興住宅がどんどん出来てきたように記憶している。その特にの中でも特にJRの山崎と高槻の間は乗っていてもかなり長く感じる区間で、阪急では上牧と水無瀬という駅が2つある。それでいよいよJRも島本という駅をついに作った(もう大分経ってますが)。この島本という駅でありますが、降りたところに桜井駅と呼ばれる遺跡があって公園になってます。その公園の中にはアップした写真があって、誰かといえば楠木正成と正行の親子です。座台に「滅私奉公」・・・かなり前近代的な標語。もともとこの楠木正成という人は戦時中は国のための見本のように担ぎ出された人でかなり脚色されている御仁です。日本史の中でも建武の中興のあたりはあんまり面白くなかったですから(主義主張がスッキリしていなくて分かりにくかった記憶が残っている)。ということでそれほど個人的には評価もしていないし、興味もない人物なんですが、どういうわけかこの2人の別れを歌った「青葉しげれる桜井の・・・」という歌を今も覚えている。恐ろしい気がする。いい歌だとも思っている(ややこしい)。桜井というのは島本で奈良の桜井ではありませぬ。念のため。

2010/12/09

john lennon

今日はこの写真(というかレコードジャケット)を自分のブログでアップした人が多いと思う。亡くなって30年たつ。あの時、僕は名古屋に出張していた。常滑というところに行っていて名鉄で名古屋まで帰っている途中であった。途中から乗ってきたおっさんの読んでいる新聞の見出しに「ジョン・レノン・・・」の記事で一瞬何を言ってるんだ・・と思った記憶が今でも残っている。
このレコードは云わずと知れた「imagine」で小野洋子と一緒になった最大の成果といわれている。僕は正直なところ小野洋子とは出会って欲しくなかった部類の人間であります。いいレコードだと思うけれどもね。

2010/12/04

MRI

先日からの胃痛からの騒ぎでとうとうMRIのお世話にまでなることに。結果はかかりつけのお医者さんからというこでそれまでは不安はあるものの体調はすこぶる回復してきているので全般的な不安は少なくなってきている。
MRIという機械を考え出した人が誰なのかは知らないが、まあレントゲンと同じくらい(いやそれ以上)の功績のような気がする。この写真の筒が磁場でこの中に生身の体が入って、体に何がしかの反応させてそれをあるロジックで絵にしていくという、まあ素人なりに考えた私の理論であります。この写真ではベッドの先に頭を覆う鉄仮面みたいに見えるところがありますが、脳とかを調べるときはあの中に頭を入れる。今回はお腹だったので鉄仮面はなし。20分位ということだったけれどもっと早く済んだような気がした。意外と楽だったように思う。この写真のマシンはゼネラル・エレクトリック社みたいですが、今日の病院のマシンはフィリップス社でした。日本では東芝とか日立が作っていると思いますが、こういう分野って日本の独壇場ではないですね。日本の技術のレベルってどれくらいなのかなって最近思うことが多い。医療の超最先端になるとアメリカとかドイツとか強そうやし、民生用家電はアジアに追いつかれてしまったし。どうなんやろなあ。