2010/09/30

sam cooke

柳ジョージを聞いていたら、ベースはサム・クックかなと思い出してきた。サム・クックは若くしてピストルで撃たれて死んじゃったけれど残された曲は今でも錆びついていない。当時にしては意外にも自作自演が多い。僕が初めて聞いたのは偶然の産物で、ペギー・マーチの「アイル・フォロー・ヒム」のシングルを買ったら驚いたことにB面はペギー・マーチでなく黒人のおっさんで憤慨した記憶がある。その黒人のおっさんがこのサム・クックで意外にも曲が良く、そこから聞き始めることになった。しかしこのシングルのカップリングを考え出した人物は不思議である。共通点がないもんね。

2010/09/28

yanagi george

今日は夕方から雨が降ってきてそれもかなりきつい雨だったのでタクシーに乗った。普通タクシーはラジオをかけている運転手さんが多いと思うけれど。今日の運転手さんはCDをかけていた。しかも「柳ジョージ」のベスト盤。久しぶりに「ステラ」を聞いた。「柳ジョージとは渋いですなあ・・・」「おわかりですか・」「わからいでか、昔 ライブもみてまっせ」・・・こうなればもう時間の経つのは早い。あっという間に京都駅に着きました。運転手さんも乗り乗りであった。
声も渋いし、ギターの音色もいいし、基のベースがR&Bやし・・90年くらいまでのは、ほとんどレコードで持っているのでCD集めようかなと思って調べたらなんと60枚以上もありました。ベスト盤でもライブが入っていたりテイクが違っていたり、なかなか通には憎い選曲となっている感じがする。集めるべきかやめるべきか・・・悩みは尽きない。

2010/09/26

last kiss

ビートルズと付き合っていたら、アメリカのヒットチャートに詳しくなってしまう。特に1964-65のキャッシュボックスとビルボードのチャートは覚えてしまったくらいである。この2大音楽雑誌は微妙に順位が違うことがあって、この「ラストキッス」という曲はキャッシュボックスでは1位になったけれどビルボードで1位になったかは僕の記憶にはない。
それはともかくこの「ラストキッス」という曲は1964年の暮れに大ヒットしたけれど(アメリカで)、日本ではもうひとつでした。僕が大好きでしたが。ある意味では一発屋のジャンルですかね。

2010/09/25

paul anka

であります 左がポール・アンカで右がエルビス・プレスリーであります。残念ながら真ん中の女性を知りません。どなたか教えてくださいませ。この間からずっと60年をまたがる頃にスターだった歌手を見てきましたが、ニール・セダカ、コニー・フランシスそしてポール・アンカにプレスリー、どなたもアメリカって言う感じがしませんよね。不思議な気がします。何ででしょう??

2010/09/07

connie francis

ニール・セダカに続きコニー・フランシスである。似ている感じがするのはニールがコニーに曲を提供していることにも起因するのかもしれない。それと二人ともいかにもアメリカ人という感じではなかったのも不思議な気がしている。ニール・セダカはトルコ系でコニー・フランシスはイタリア系です。ヤンキーの兄ちゃん姉ちゃん的な感じがしない。プレスリーもそうですよね。アメリカ的といえばパット・ブーンか?僕の勝手な思い込みかもしれませんが。当時ミッキーマウスクラブのアネットもイタリア系だよなあ。

2010/09/06

neil sedaka

「181 good time oldies」を聞いていたら、一発でオールディーズだと思ってしまうイメージの声が「コニー・フランシス」「ニール・セダカ」の2人である。このジャケットにあるニール・セダカの「カレンダー・ガール」「恋の片道切符」なんかはもう世紀のヒット曲的イメージが僕にはある。アメリカの文化を一人で背負って海を渡って持って来てくれた感じがしていた。なんともいえないアメリカの明るさに、変な話であるが当時小学生の僕は「戦争に負けるはずや・・」と思った。なんでそんなことを思ったのかは分からないけど、抑制されていないものは強いと思ったのだと思う。ちょっと変な文になってしまいました。

shangri-las

最近はCDをかけても曲のイメージが先に出るから、メディア・プレイヤーの「181 good time oldies」を聞いていることが多い。ほとんどの曲は持っているのがかかるが時々「これ何」っていうのがかかるから楽しい。よくかかるなあと思っているのがこのシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」。1964年暮れのヒット曲。シングルジャケット見て格好いいと思ったものである。まあ単純な歌ですが。当時はこんなのも流行ったということです。

2010/09/05

etta place (2)

前回、etta place の写真が1枚しか残っていないと書いてしまったが、佐野草介さんという方の実にすばらしい西部のアウトロー達のHPを見ていたら、こんな写真があった。例の3人組の写真であります。場所はなんとアルゼンチンのchorilaという場所での写真。僕の感覚ではパタゴニアである。彼らは追っ手を逃れてアルゼンチンで牧場をやっていた。このまま平穏に暮らせていたらと思いますがなかなかそうもいかなかったみたいで。

2010/09/04

etta place

これが、ロバート・レッドフォードとキャサリン・ロスの実物版、つまりサンダンス・キッドとエッタ・プレイスである。エッタ・プレイスの写真はこれ1枚のみということでしかも消息不明。南米に高飛びする前に撮った写真らしい。エッタ・プレイスがその後どうなったのかという疑問に関するHPはあちらでは結構あって、辞書引き引き読んでみようと思っている。

2010/09/03

明日に向かって撃て

これは知る人ぞ知る「明日に向かって撃て」のエンディングシーンである。僕はこれを多分(もう物忘れがひどくなってきているので多分である)天王寺の駅の構内にあったものすっごく小さな映画館でロードショウから数ヶ月経って見た(のだと思う)(今はもうありません。スーパーみたいなお店になっている)。
初めのセピア色の実際に撮られたような記録映画からだんだんとカラーに変わっていく(大分かかる)のが「なんかすごいなあ」と単純に思った(記憶がある)。僕はこの映画館で「小さな巨人」も見たと思う。当時は友達と見に行くというような雰囲気ではなく、一人で哲学者っぽく見に行くのが流行っていたように思う。この映画館は安かったので上映されるのが変われば行ったけれど、見た映画なかではこの映画がダントツであった。

2010/09/01

lee harvey oswald

浦澤直樹の漫画が好きなので賛否両論のなか相変わらず読み続けている。今は「ビリー・バット」という連載物。雑誌は買わず単行本になったら買い求めている。最近は風呂敷を広げるのは天才だけどたためないという評価が圧倒的である。原作者もたためない性格のようである。で、第4巻になんとオズワルドが出てきた。こんなのまで出すか・・という感じである。どう料理するのかお手並み拝見というか(やっぱりあかんかったか・・・となるのか)。あの時1963年11月23日(だったかな)の衛星中継の実験を朝早く起きてNHKを見た人が何人くらい生きているのかなと思う。僕は中学1年だった。週刊朝日の特集号を今でも置いてある。このケネディ暗殺犯のオズワルドは一応今のところこの人が犯人ということになっていて真相は2039年に明かされるということになっている。この辺がアメリカの凄いとこかなと思う。このロジックは凄い。オズワルドは犯人と違うの???
下山事件とかも何年かしたら真相が明かされるというようなことは日本ではおきないですよね。この違いは何のせいなのかなって時々思うことがある。