2009/05/30

patty duke

もうちょっと調べてからここに書くつもりでしたが、勢いで「patty duke」です1964年の春に来日した時、もう虜になってしまいました。それほど好きな俳優さんでした。今のお若い方と話をする時は、ロード・オブ・ザ・リングのショーン・アスティンのお母さんですと言ってます。以前紹介したdebbie watsonとは少しニュアンスの違うスターです。「パティ・デューク・ショウ」という30分もののドラマに出ていたのですが、このとき既にアカデミー賞の助演女優賞受賞の大スター子役という鳴り物いりのスタートだった番組です。

2009/05/27

twiggy(7)

twiggyはモデルからスタートして歌手、映画俳優としてそこそこ活躍をし、イギリスでは自分の看板番組を持つほどのある意味では基盤を作り上げてしまった。自分のブランドの化粧品もあるみたいだし、実業家としてもしたたかなところがあるようである。今でも自分の名前「twiggy」というものがお金に換わる仕掛けを持ち続けているというのはすごいことであるといつも思っている。このような人物は意外と少ない。

2009/05/26

twiggy(6)

今までモデルさんらしいのをアップしていなかったので、いわゆるファッション・モデルらしいワンショットを。実にシンプルな服であります。これで一世風靡!

2009/05/24

twiggy(5)

これも「taketime with twiggy」という番組のワンショット。右は「007黄金の銃を持つ男」「いつも心に太陽を」の主題歌でお馴染み?の「ルル」です。(まあ僕の記憶からはどんどん忘れていってしまってました。今回久しぶりにルルっていたよなあ・・てな感じです。ロック史的にはあんまり重要な位置でなくなってきているかもしれません。)ビートルズのTシャツは素敵ですが。

2009/05/22

twiggy(4)

これはデヴィッド・ボウイの「ピンナップス」というレコードのジャケットです。右はもちろんご本人ですが、左はtwiggyです。このピンナップスというレコードは、いわゆるイギリスの1963年から64年のリバプールサウンド時代における、彼が好きだった歌を自分で歌っているという多分オリジナル(ひょっとしたら1曲くらい自作があったかも・・もう忘れてます)がない全部他人の曲という非常にめずらしいものです。ボウイの原点はここにあるという証のようなレコードです。特にキンクスの歌なんかは好きみたいで、他のCDでも「ウォータルー・サンセット」を歌ってますし、レイ・デイヴィスとデユエットしている姿も見られます。で、この時代のもう1人の象徴は「twiggy」だったのでしょうね。
あと、ブルースブラザーズの映画にちょっとだけびっくりするような感じで出てくるのも、みんなこの象徴とかかわりたいという表われだと思っております。

2009/05/21

twiggy(3)

本当は「森永チョコフレーク」のCM写真を探したのですが見つけ出せませんでした。そのうちに是非アップしたいですね。「立ち姿」の方がいいと思っているのですが、気に入ったものが見当たりませんでした。この姿の方が可愛いので今日は「お座り」のポーズです。

2009/05/20

twiggy(2)

これがtwiggyの一番有名?な写真でしょうか?全身が写っていないとtwiggy(小枝ちゃん)というイメージが湧かないと思いますので、それは次回に。

2009/05/19

twiggy

1960年代は間違いなくイギリスの時代だったと思う。その代表格がビートルズであり、ミニスカートであった。ミニスカートと言えばこの人「twiggy」である。本当はモデル時代の写真を持ってくるのが筋というものであるが(それは次回以降)、僕はモデルブームが一巡した後の彼女を結構気に入っている。この写真は両方とも素敵な女性なんですが、右がtwiggyである。「taketime with twiggy」という番組をイギリスでは持っていたらしくその時のワンショット。では左は誰でしょうか?

2009/05/17

debbie watson(5)

多分これが一番有名な写真かも。もう一つシングル盤のレコードのジャケット(日本航空と丘さとみ)も有名ですけども。「カレン」でデビューした時のものでしょう。1964年秋(日本では1965年春)オンエアー。いい時代でした。いろいろあちらのWEBを読んでいるとこのなんというかいわゆる「海岸・ビート・学園・ファミリー」物が受けたのが1966年あたりくらいまでで、67年くらいからちょっとヒットする傾向が変わりだしたらしい。ニューロックの時代とシンクロしているような気がする。そのあたりがデビー・ワトソンがブレイクできなかった要因でもあるみたいなことが書かれてあります。そういう意味ではデビューが遅かったのでしょうか。

2009/05/16

debbie watson(4)

これがデビュー作である「カレン」の家族(もちろんドラマ上の)の写真。妹役のジーナ・ギレスビーという少女?は当時天才といわれ、将来どんな女優さんになるのかと将来を嘱望されていたが、その後ピタッとこの業界から足を洗い、なんと法律事務所をやっているとかいう記事を読んだ記憶がある。よく考えればデビー・ワトソンも将来を期待され、「タミー」の大役をもらったわけであるが、どういうわけかこの写真の若い2人は奇しくも芸能界から去ってしまった。

2009/05/14

debbie watson(3)

これは、カレンとタミーに続き出演した「munsters」という僕の感覚ではアダムス・ファミリーみたいな番組です。ただこれも有名みたいですね。デビー・ワトソンのメイクも可愛いながらもやや妖怪っぽくなっております。結構このあたりまではお仕事があったようなんですけど・・・どうなさったんでしょうかね。まあ玉の輿みたいな話だったのかもですけど。詳細をお知りの方是非連絡くださいませ。

2009/05/13

debbie watson(2)

デビー・ワトソンは芸能生活が短いので、調べやすいかなと思ったのですけど、なんか分からん部分があります。僕の英語力のせいだけかも知れませんが。これは「タミー」というTVドラマの映画版だと思います。「タミー」というドラマは。かねてより映画会社の嘱望するタレントに演じさせてきた名物ドラマで、それまでにサンドラ・ディーとデビー・レイノルズが演じてスターになったといういわくつきのものですが、残念ながらデビー・ワトソンのテレビものはそれほどヒットしなかったみたいです。ただ映画会社はそれでもまだ「タミー」に未練があったようでこの映画をつくったらしい・・・です。多分日本では未公開だと思うのですけど。

2009/05/12

debbie watson

また一転、実に可愛いい写真を見つけてしまったので、もう知る人ぞ知る存在になってしまった感のある「デビー・ワトソン」です。1965年の春から日本でオンエアーされていた「カレン」というTVドラマのヒロインです。主題歌はビーチ・ボーイズだったはずですが、なぜかレコードは発売されず、ワイプ・アウトでお馴染みの「ザ・サーファリズ」が歌ったものがそこそこヒットし、確か来日まで果たしたような記憶があります。
で、肝心のデビー・ワトソンは将来を嘱望されていたはずですが、青春ものの映画に出た後、デビー・レイノルズで有名な「タミー」のリメイク版のテレビドラマに主演して、その後アダムス・ファミリーみたいなモンスター家族のテレビ番組(このあたりは僕はあんまり詳しくはありませんので悪しからず)にレギュラーで出て、その後バッサリと芸能界から消えてしまっています。
ネットで調べても、ビジネスマンと結婚して芸能界から去ったというコメントがあるのを読んだだけで信憑性はいまいちです。
でもこうしてみると実に可愛らしいですねえ・・・。

2009/05/11

rc succession

清志郎さんが亡くなりました。ほぼ同世代なので感無量。特別にマニアックなファンでもなかったですが、結構な枚数のレコードとCDが家にあります。一番好きな歌は「トランジスタラジオ」という歌で、「ベイエリアから、リバプールから・・・」というフレーズがもう当時の僕らの気持ちを見事に言い表しているという感激もんの歌詞です。ありゃ他の奴には作れん。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

2009/05/10

dodie marshall

これは「ゴー・ゴー・ゴー」というプレスリーの映画のお相手役のドディ・マーシャルです。僕は気に入っていたのですが、その他プレスリーの「カリフォルニア万歳」に出ているだけ(クレジットはかなり大きく出てますが何処に出ているか見つけるのは大変)です。どうも舞台女優さんみたいだったようで映画にはあまり出なかったようです。プレスリーの映画には結構このような女優さんが多いです。
この「ゴー・ゴー・ゴー」という映画は1966年のヒッピー文化が出てきた時期の映画で、この映画にもその影響が出ています。もう既に新しい文化に追いやられる側としてプレスリー自身が振舞っています。プレスリーに関しては緒先輩方の論評が沢山あると思うので、あんまり難しく考えずに楽しく見てますけど、デビューした時にPTAから槍玉に挙げられたような「毒気」ってなものが完全になくなってますね。デビューして10年経ってるわけですが・・・。もうこの映画で歌われる歌(数曲以上ある)は全く印象に残らない。同じ時点でビートルズはサージャント・ペッパーズ・・・に通じるアイデアを実験中だったことを考えると・・・なんとも・・・。

2009/05/09

chris noel(2)

これは一番左がクリス・ノエル。この人は当時のポップスファンならよだれが出そうな映画に結構出ている。残念ながら日本では公開されていないものが多い。「BEACH BALL」という映画があって、主役はサンセット77のクーキー役のエド・バーンズとこのクリス・ノエル。出ているミュージシャンがフォー・シーズンズ、ウォーカー・ブラザーズ、ホンデルズそれにナッシュビル・ティーンズという当時ではそうそうたるメンバーです。多分この手の映画は沢山作られていて日本で公開されたのはほんの一握りだったのでしょうね。なぜかスコット・ウォーカーの「ジャッキー」が聞きたくなりました。

2009/05/08

chris noel

多分、一番右がクリス・ノエルだと思う。IMDBで検索したら出演キャリアにそこそこの数の映画とテレビ作品が出てくるが、多分日本で見ることが出来た映画は2つだけだと思う。1つが「フロリダ万歳」でもう1つが「クレージー・ジャンボリー」という映画です。僕は当時この「クレージー・ジャンボリー」を見たかったけど見ていない。その方面のマニアなら有名な作品です。映画の出来はともかくなぜか? それは「DAVE CLARK 5」が出ていたからです。「DAVE CLARK 5」は一時期ビートルズの対抗馬として見られていた時期があって、「ローリング・ストーンズ」が「サティスファクション」を出すまではこちらの方が人気があったように思う。

2009/05/07

shelly fabares(3)

プレスリーの「フロリダ万歳」に戻ります。これはその時のスナップ写真と思われます。左から、クリス・ノエル、シェリー・フェビレィ、プレスリー、メアリー・アン・モブレーの4人です。メアリー・アン・モブレーはテレビ番組で結構お目にかかりました。ナポレオン・ソロでは唇が光る「何とかアフェア」というエピソードで出ていた記憶があります。左のクリス・ノエルもそこそこ活躍しておりました。シェリー・フェブレィはこの時点で格がワンランク上みたいな感じです。

2009/05/06

hashi yukio

まあスイム・スイム・スイムと来たのでこれを出さないと仕方がない。多分、唯一の日本製ヒット曲です。youtubeで聞いてみる。懐かしい??でもなあ完全にド演歌ですね。1965年ですから、かなり日本の流行歌市場も変化し始めてきて、「潮来笠」の演歌歌手も変化を求められた時代背景を映し出しております。この橋幸夫という人、この時期実に面白く楽しい音楽をやってくれまして誰の企画だったのか知りませんが、サーフィンサウンド、ホットロッド、スイム、メキシカンと次から次に毎年の流行りサウンドに演歌っぽい歌謡曲を歌いしかもそこそこ流行らせていきました。映画もあったみたいですから、ある意味でプレスリーと同じ乗りなんですね。ただもう時代は変わりつつあったわけです。

2009/05/05

the go-gos

昨日、プレスリーの「フロリダ万歳」という映画がらみでシェリー・フェブレィをもってきたんですが、この「フロリダ万歳」という映画で歌われる「スイムでいこう」という曲がめずらしく結構ヒットした。めずらしくというのは当時のエルビスのヒットチャートにおける成績はもう悲惨なもので固定客でもっていたといっても過言でない。この「スイムでいこう」のスイムとはどうも日本で勝手に流行らせようとしていた(1965年)ダンスのようで、もうプレスリーは全く知らない話みたいである。どちらかと言えば「橋幸夫」が歌っていた「スイムスイムスイム・・・」という曲が最大のヒットで、まあ日本で担ぎ出された架空の世界で流行っていた??はずのダンスのようであります。それで、プレスリーと橋幸夫だけではまずいと考えたのか知りませんがこのゴーゴーズというグループの「チッキン・オブ・ザ・シー」というシングル盤も「スイムの決定盤」というキャッチフレーズでどっかからかもってきた。
で、これが流行った・・・ええ曲です。「チキン・オブ・ザ・シー」ではなく「チッキン・オブ・ザ・シー」です。どこのグループだったんでしょうかね。ベリンダ・カーライルがいたグループとは全くの別物です。

2009/05/04

shelly fabares(2)

一度別の写真を載せたことのあるシェリー・フェブレイです。プレスリー映画を語るならこの方を外せないので。多分ヒロインとしての最多出場回数を誇っていると思います。「フロリダ万歳」「カリフォルニア万歳」「ブルー・マイアミ」の3作に出ています。もともとテレビ番組の「うちのママは世界一」というドナ・リードの主演していた長寿番組の娘役で有名です。この方はおばあさんになっても美しいですね。あっそうそう「ジョニー・エンジェル」という超有名な全米NO.1ヒットもあります。

2009/05/03

stella stevens

プレスリーのお相手の方にきてしまっております。こちらは「ステラ・スティーヴンス」さんで「ガール・ガール・ガール」という映画(1962年)に出ております。意外と歌手の役で歌を歌っております。この人歌手だったのかなあ??映画自体は個人的にはそれほどという評価です。プレスリーと共演したということはお相手の女優さんには大きな勲章だったみたいで、いまもって彼女のホームページにはそれが謳われております。ボンド・ガールというようなネーミングはなされなかったようですが、エルヴィスズウーマンというカテゴリーで結構ヒットします。

2009/05/02

joan blackman(2)

プレスリーと共演していた時のワンショット。カラー写真だとジョーン・ブラックマンの瞳の美しさがよく分かると思うのですが残念ながら白黒です。

2009/05/01

joan blackman

ドナ・ダグラスからプレスリーの映画に来てしまったから、プレスリー映画の代表作「ブルー・ハワイ」のジョーン・ブラックマンに登場いただきます。賢そうな顔立ちで他のプレスリー映画のお相手さんとは一線を画しております。もう1作「恋のKOパンチ」という作品にも出ておりますが、印象に残るのはやはりこちら。特に最後の「ハワイアン・ウェディング・ソング」でプレスリーと結婚式を挙げるシーンは多分当時のプレスリーファンから嫉妬されたに違いないと思うほどいい感じです。この映画はプレスリーの歌もいいのが揃っております。これほど佳曲が多い映画も少ないと思います。中古ならめちゃ安くで出回っております。是非ご覧ください。