2009/01/31

anomalocarisu(2)

昨日の「アノマロカリス」の「ぬいぐるみ」というものがこの世にあるらしい。というより、好きな方がネット上で募ってぬいぐるみ屋さんに頼んで作ってもらった・・・という。限定○○個。参加したかったですねえ。アノマロちゃんの好きな方のHPも結構あることも分かりました。

2009/01/30

anomalocarisu

これは突然ですが「アノマロカリス」です。NHKの番組でにわかに注目された生き物。ストラップもあるそうです。ストラップ欲しいのですが、愛知県あたりの博物館?に行かないといけないので残念ですが・・・。数年前、めったに学校の授業が面白かったといわない子供が「今日の理科(生物か)の授業は面白かった」といって多分NHKのビデオも見たんだろうと思うが、親に説明してくれた。それで僕も興味を持った次第。結構大きい生き物らしく、これが所狭しと泳いでいる世界はなんか「すごい」と思ってしまう。

2009/01/29

朝青龍

昔は相撲の大ファンであった。栃若時代ですね。テレビがなかった時代(今から思えば信じられない時代です)は近所に見せてもらいに行っていた。段々と見なくなっていった。大鵬が強すぎた頃からかな。貴乃花の頃に少し見て、貴乃花の子供には興味が湧かなかった。
で、最近というか今場所はよく見た。途中で駅のテレビまで見に行ったくらいだ。なぜか朝青龍を見に行ったわけである。初めは大丈夫かなと思ったが後半は日に日に強くなっているのが実感として分かった。優勝が決まった時ガッツポーズをした。ファンもそれに応えて拍手をしていた。僕もテレビに向かって拍手をしていた。ところがガッツポーズはけしからんと言う。なんか高校野球でホームランを打った打者がガッツポーズをして回ったら批判された時代を思い出した。
けしからんと言っているお方は朝青龍だけでなく拍手をしたファンとテレビに向かって拍手したファンにもクレームをつけていると言うことですね。僕個人としては朝青龍が引退したら見なくなるから別にいいですけど。今後の相撲のありようを考えたら、国技や神事やおばはんや長老とかいうややこしい考えと団体を見直さないといけないのじゃないでしょうか?ほとんど日本人以外が活躍している事実を考えないとモンゴル人はモンゴル人で日本人にはなれない(ならない)のだから。
不適格だと思っている人物をなぜ横綱にする?
ショウビジネスでないならなぜ「満員御礼」って掲げるのか?
あれだけ外国人が活躍していて国技とか神事なのか?
まあ素朴な疑問が起こります。
でもよく考えたらこんなごちゃごちゃした問題を引きずりながらなんとか運営している相撲協会はえらいともいえますね。

2009/01/28

budd & decker(2)

ご覧のように、バッドとデッカーが接触してデッカーは棄権、バッドはその後も走るけれど気力が萎えたのかメダルまでとどかなかった。バッドは当時アパルトヘイトでオリンピックに出れなかった南アフリカの選手で、越境入学っぽい手でイギリスの選手として出場、それと裸足ではしるということで何かと話題になった。デッカーの方はアメリカでは珍しい中距離の選手で前年(1983)の第1回世界陸上にて黒人勢を相手に金メダルをとって俄然注目を浴びた選手。というわけで期待のレースはこのような残念な結果で終わって、申し訳ないけれどこの種目誰が金をとったのか全く記憶にない。

budd & decker

これは1984年のロスアンジェルス・オリンピックの時の多分3000mか5000mのゾーラ・バッドとメアリー・デッカーの写真。2人とも鳴り物入りの注目選手。バッドは裸足で有名、デッカーも金メダルをとればプレイボーイ誌のトップを飾る契約がされていたとの噂があった美人選手。結果は次回ということで。切手から再びアスリートへ。

2009/01/26

moon and goose

切手の思い出と言えばやはりこれになる。当時(小学生)の垂涎の的でありました。記憶では阪神百貨店で1枚(当然)550円だったと思う。封書が10円の時代ですが、単に8倍したらいいという感じでもない・・。今で言えば何万円もしたという気持ちがある。多分当時はそれほどの感じだったのだと思う。
近所というか正確には空き地を挟んだ隣のお兄さんがこの「月に雁」を数枚持っていて(ついでに言えば「見返り美人」も何枚か持っていた)、もうそれは宝物を拝ませていただく気持ちでした。まあそのお兄さんは昔から切手が好きで、発売日に数枚づつ買っていただけのことらしく、本人にしたら、突然ブームになって集める奴が増えたという感じだったかも知れない。今のようにカラフルでもないシンプルなこの切手は、やはり今でも僕にとっては切手の王様的な存在である。

2009/01/25

shyuto kousoku

切手の思い出を続けます。これは1964(昭和39)年8月1日に発売された首都高速の記念切手です。東京オリンピックにあわせて、名神高速、新幹線等々急ピッチで完成されていきます。僕はこの切手を大阪駅前の中央郵便局で並んで買った。いつもは父親か祖父に頼んでいたのだが、夏休みでもあるし社会勉強ということで連れて行ってもらって並んで買ったんだと思う。初めて1シートを買った。今から考えたら20枚も要らないですね。それと個人的には図柄が暗い感じであんまりお気に入りではない。内藤陽介さんのブログによれば右端の黒い建物は野村證券の本社ビルであるらしい。そう言われればそんな気がする。僕はこのビルに何回か行ったことがあって、1度はかって勤めていた会社の海外でのファイナンスの仕事で1日中いたことがあったことを思い出した。

2009/01/24

kanmon tunnel

切手の話になってしまったので、切手を集めていた頃の時代を思い出した。記憶ではこの写真の「関門トンネル」の切手から集め始めたような気がする。多分、田舎に帰った時に郵便局に勤めていた隣のおじちゃんからもらったようなボヤーっとした記憶が残っている。確か1枚だけもらった。1枚もらって集め始めたというのも変な話ですけど・・・。それで次にしたのは郵便局に行って買える切手を買った。大仏の10円の切手、姫路城の14円の切手、国際文通の記念切手(確か24円)が売れ残っていたような記憶(これも怪しい)、8円のカモシカの切手などを買った。ほとんど普通使う切手で記念切手でなかった。記念切手を集めるということも知らなかった時代である。
話は変わるが、関門トンネルには行ったことがある。もともと鉄道用の関門トンネルはもっと昔からあって、この切手は車と人が行き来できるトンネルの完成の記念切手である。上が車、下が自転車は歩行・・・、僕は歩いて往復した。ただ今も歩道として使っているのかな??

2009/01/23

inverted jenny

それるのが僕の癖で、今日は切手の方に来てしまった。むかし、1963年あたりが切手ブームだったと思う。その頃の少年マガジンと少年サンデーは、切手にまつわる四方山話がいっぱい載っていて、この逆さまジェニーも載っていたように記憶している。今のところ100枚くらいの現存が確認されている。この「田」型はびっくりするほどの値段がついたということであります。

2009/01/22

charade

これが「シャレード」に出てくる幻の切手3枚、本当の幻の切手を少し変えてあるのですね。切手と言えば小さい頃集めましたね。シートで買ったこともある。僕の友達は最近昔の切手を使い出した。持っていても仕方がないと思ったようである。そうですよね。シートで持っていても売れるほど持っていないし、みんなが集めだした頃のものは希少価値はないし、効率よく処分するには本当に郵便切手として使うしか手がなさそうです。それでその友達からの郵便には本当にいい切手がいっぱい貼って来る。それをみてもったいないと思っている自分が・・・?集めても仕方がないと分かってるんですけど性格なんで。

2009/01/21

sverige frimarke


昔、オードリー・ヘップバーンのシャレードという映画を見た。この映画は、当時の25万ドルに相当する財産を悪党たちが探すのであるが、その財産は3枚の切手に変えられて、それが何にも知らない子供に渡っているというストーリーです。その時に思ったのは、その3枚の切手は実在する切手なのかどうかがずっと気になっておりました。インターネット社会は本当に便利で、ちょっと調べたら、実在はしないがモデルとなった切手は3種類あるということです。写真はそのひとつのスウェーデンの3シリングの切手で時価○億円ということです。映画ではデグラ・フィラスキリンゲンという呼び方の4シリングのものになっている。どうもフィラというのはFYRAという綴りのスウェーデン語で「4」という意味らしく。映画の切手もFYRAと書かれてある。この写真は「3」なのでTREと書かれてある。ということは3枚の切手は精巧に作られた架空の切手だということです。さすがに芸が細かいですね。
【後で調べたら、3シリングの黄色はこの世に1枚しか発見されていない切手で、普通はブルーっぽい色だそうです。要はミスプリ。それで、4シリングの切手もあって、これもブルーっぽい色が本来のもの。ですから黄色の4シリングが出てくればそれこそ大騒ぎで、切手のことをよく知っている人が初めてシャレードを見た時は、きっと驚いたと思います。】
東京オリンピックの頃、記念切手を買うのに郵便局に並んで学校を遅刻した事件が問題になった記憶がありますが、今はそんな現象もないのでしょうか? 郵便局の前で記念切手を買うために並んでいる姿っていうのは最近見かけないですね。

2009/01/20

issac newton

突然、ニュートンである。この間「ダヴィンチコード」を見ていたらなぜかニュートンが出てきたので・・・。まああの本は「ほんまやで」といいながらフィクションを散りばめているややこしい本なので、どこまで信じていいか皆目分からんのですが、ニュートンのお墓というものがあのようなものだということがよく分かりました。ライプニッツのお墓というものも見てみたいですね。
ピンクフロイドの「狂気」のジャケットでもニュートンを思い出すし、もちろん微分・積分を解いていてもニュートンですし、物を落としてもニュートンですし、ビートルズのアップル・レコードを見てもニュートンです。意外と僕も周りには出てくるお方です。

2009/01/18

gabriela szabo




この写真の右から2番目の選手は、ルーマニアのガブリエラ・サボーです。長距離王国の代表選手。 身長が1m60cmなかったと思います。ドーピング疑惑の中国選手を排除したらこの方の記録はトップクラス。何回か日本にも来ています。ルーマニア本国では今でも人気者みたいです。


Florence Griffith-Joyner(2)

このジョイナーという女性は人種的には何人なんでしょう?僕にはよく分からない。混血なんでしょうけれど、白人ではないし、さりとてメキシカン的感じでもないし、ただ、すごく魅力的な雰囲気を持った人だと思う。そのような魅力がないと金メダルと世界記録だけでここまで名声が残らなかったと思っている。ソウルオリンピックの後即引退、その後10年で突然の死。謎めいた人生にふさわしい魅力的な雰囲気・風貌の女性だったと思う。特にこのコスチューム前代未聞です。

2009/01/17

Florence Griffith-Joyner

なぜかこっちの話(破られない世界記録)になってきたので、極めつけの有名な写真をアップしときます。東ドイツの選手たちに比べると、もうこちらは格がちがうというか、手の施し方が違うというか、もう見事な筋肉美です。ベン・ジョンソンと同じ雰囲気といわれれば「そう」と答えてしまいますよね。

2009/01/16

Marlies Göhr

昨日のマリタ・コッホという人の記録を調べていたら、ほとんど勝っているのに、100mで負けている記録が残っていた。この超人マリタ・コッホに勝った人物とはどんな人物かと思って調べたらこのMarlies Göhrというお方です。この人はどちらかと言えば短距離、コッホは200と400であったみたい。この写真は1着がゲールで2着がコッホという時の写真です。(昨日の写真は偶然ですがその逆です。)
今回結構他の写真も見たのですが、当時、オリンピックでは世界中の1流選手が集まって、それを見るのは楽しみだったのですが、終わってしまうと特に東ドイツの選手は情報が少なく、世界記録が出たときくらいしか表面に出てこなかったので、統一ドイツになってインターネットが普及し情報がある程度公開されだして、初めてこんな写真も自由に見れるようになったのは、昔を知る人からすれば夢のような話かもしれません。

2009/01/15

marita koch

別にアスリート路線を行くつもりではないのですけど、この方はマリタ・コッホといって旧東ドイツの陸上選手で、現在の400mの世界記録保持者です(記録は47.60秒)。写真が古そうでしょ?当然です。記録を出したのが1985年ですから。従いまして23年の間破られていません。多分破られないのではとも云われております。2位の記録が47.99秒のヤルミラ・クラトフビロバ(1983年)で3位の記録が48.25秒のマリー・ジョゼ・ペレク(1996年)です。(東京の世界陸上にも来ましたね。フランスの美人ランナー)
多分ペレクの記録が生身の体の今の最高峰なんでしょう。1980年~90年前半の東ドイツ、中国の陸上の記録は今もって破られていない記録が多いです。そうそう忘れてならないのはアメリカのジョイナーですね。ドーピングの魅力がアメリカにも伝播してきていたのでしょうか?ジョイナーの200mの記録も破られないかもなあ。今のルールでは取り消しが出来ないようですね。
でもこの写真はそれなりにきれいです。国家ぐるみのドーピングですからご本人は何にも知らずに云われる物を食べて飲んでたのではないかと思うのですけども。ジョイナーは確信犯かな?

2009/01/14

ann-christine hagberg (5)

ハグベリ・シリーズも一旦ここまでということで、これは1964年の東京オリンピックに来日した時のものです。キャプションに優勝候補とかかれてますが、実際はこの種目、オリンピック3連覇を目指すオーストラリアのドーン・フレーザーという怪物が鎮座しておられまして、それに迫っていたのがアメリカの新鋭シャロン・スタウダーという対抗馬でした。この2人は結果的に1分を切る凄い記録で金と銀を獲得します。われらがハグベリちゃんは7位ということでした(当時の日本記録より速いのですが)。市川昆の映画「東京オリンピック」には8コースを泳ぐハグベリもちゃんと映っております。

2009/01/13

ann-christine hagberg (4)

これは、当時の宿泊のホテルであった新橋の第一ホテル付近の写真であろうと勝手に推測している。日本航空の「はっぴ」でしょう。ビートルズもこれでしたね。ハグベリだけでなくステンベックもなかなか可愛いくて、オリンピックに来て欲しかったですね。
当時、日本にやってくる各国のアスリート(当時はこのような呼び方はしなかった・・選手です)を国ごとに紹介するテレビ番組がありまして、スウェーデンのときはテレビの前にカメラを構えて陣取ったもんです。水泳では必ずこの3人が紹介されておりました。あの写真どこかにあるはずですが??

ann-christine hagberg (3)

もう、とことんハグベリでいこうということで、表彰台の写真と記事をアップしておきました。1963年のこの大会には各国も極東の日本とはどういう国だということでかなりの国が参加しています。3位はオランダのテルプストラ、オランダは100mバタフライのアダ・コックという大きなお姐さんが強かった記憶があります。肝心のアメリカ(この頃のアメリカの水泳は異常に強かった)は8月に日米対抗水泳大会(多分)という催しで既に予行演習完了しています。
おじいさん(多分当時の水泳界の偉い人)が握手していますが、お辞儀の代わりに膝を曲げるしぐさがもう新鮮で、ちょうどその時のショットです。

2009/01/11

ann-christine hagberg (2)

家捜しして、正確には45年前の切抜きを見つける。1963年10月に開催された東京国際スポーツ大会に参加したスウェーデンの水泳女子チームであります。左からハグベリ(15)、ユングレン(15)、ステンベック(17)の3人。翌年の東京オリンピックにはハグベリとユングレンは選ばれてきましたが、残念ながらステンベックは選ばれませんでした。ユングレンは次のメキシコオリンピックにも参加してます。場所はオリンピックのあったプールはまだ完成しておらず、東京のプールなんですが場所は忘れてしまった。当時はここのプールに行ってみたかった。
実はこの切抜き、学校の図書館の雑誌からあの手この手で入手したものです。

2009/01/10

ann-christine hagberg


この写真の女性は、もう知る人ぞ知る類に入るのだと思うけれど、僕の感覚からしたらかなりの人が今も記憶にとどめているはずの方です。WEBで検索したら今は日本語では一人の方が思い出をブログに書いておられました。以前は皆無でしたけれど。昔、東京オリンピック(1964年の方)を開催するにあたって予行演習として、その前の年にプレ・オリンピックをするのが通例です(北京もやったのかな?)。1963年の10月に「東京国際スポーツ大会」と称してまあ練習をやったわけですね。その時にスウェーデンからやってきた100m自由形の水泳で優勝した選手がこの方「ann-christine hagberg」さん、といってもこの時15歳、ほんまに北欧の妖精でした。見たときはびっくりしたこんな可愛い女の子がいるのかと思った。
翌年、東京オリンピックにもやって来ました。このときはアメリカ勢も参加してますので、決勝まで残りましたが残念ながら7位でした。その後の情報はなかなか掴めないのですが、結構よく似た方が年も同じでスウェーデンの企業の役員に写真が載っています。似ているのですが確証はありません。
以前、深夜放送でファンレターを出したら返事が来たという話を聞いたのと、日本の週刊プレイボーイに少し記事が載っていたことがあるくらいです。(いずれも60年代後半から70年台初期の話です)。何か情報をお持ちの方情報待ってます。
僕がSWEDENに興味を持ち出したのはこの妖精を見てからですわ。単純なはなしです。

shelly fabares

今日、出張の帰りに列車を待つ間にお茶を飲んでいたら、オールディーズなんかかかっていなかったBGMからいきなり「ジョニー・エンジェル」がかかって驚いた。云わずと知れたシェリー・フェブレーの大ヒット(全米NO.1)です。プレスリーの映画にも何作か共演していて結構売れた俳優・歌手でした。ユーチューブでこの歌を歌う若かりし頃の姿を見ることが出来ます。実に可愛いです。

2009/01/08

krisztina egerszegi

この方はハンガリーの水泳の女王であったエゲルゼキさんです。ハンガリーというより、オリンピックで金メダルを取ってますから世界の女王です。初め出てきたときはびっくりしました。小さい体(この写真はもうかなり大きくなられてますけど、引退後でしょうか)で金メダルばかりでしたから。なんでここにアップしたかというと、この写真のうしろのカレンダー日本語ですよね。日本で撮った写真でしょうか?? だれか情報をお持ちでしたら教えてください。


2009/01/07

ELT

もともと何にでも凝ってしまうマニア症候群である。1960年~70年代のイギリス系の音楽をこよなく愛し、日本の歌謡曲・ポップス・ロックはある種の形にはまったものしか好きになれません。なんというかヒット曲としてつくりのいい曲が好きです。歌詞は全く聞いておりません(興味がないのです)。そのような私が推薦する1枚であります。 そういう意味ではELTにとっては喜ばしくないかも。でも聞きやすくしかも安っぽくないところがいいです。

2009/01/06

kajsa bergqvist

この前まで走り高跳びの女王だったSWEDENのカイサ・ベリークイスト(Kajsa Bergqvist)の写真です。昨年に引退の記事が載っていました。残念ですが仕方がありません。身長がそれほど高くなかったにもかかわらず、ヘルシンキの世界陸上では金メダルを獲得しています。今の女王はもう身長が2m近くになっていますからハンデと言えばハンデです。そう考えるとオリンピックのルールというものも完全であるようで完全でないですね。身長差を排除した自分がどれだけ自分の身長より高く飛べるかの記録(ぬきの記録っていうのだそうです)ではトップであったようです。この人の跳躍の写真は本当に美しいです。

2009/01/05

のぶパン

新世界と言えば「串かつ」であるが、けったいなパン屋が出来ている。「のぶパン」という店がそうである。テレビでおなじみの「のぶちゃんマン」のお店と歌ってありますが、おなじみなのか僕は全然知りません。まあテレビをあんまり見ないからかもしれませんけど。でも周りの人間に聞いても「知らん」という声が多かった。ただどうも京都ではそこそこ知られた家具屋だそうである。なんで家具屋がパン屋なんだ?とおもいますけど。このコテコテさは新世界でも十分に通用すると思いますが、このあたりは串かつと酒が本家でしょう。パン売れるかなあ??

2009/01/04

イースター島

子供の頃、イースター島は神秘の島でいつかは入ってみたいと思っていたところである。そう思って幼年期を過ごした人が多いのであろうか?最近は回りに行ってきたという輩(僕より若干年上でいらっしゃる方が多い)が結構いらっしゃる。よく考えたら団塊の世代は同じような雑誌をよみ、同じような教育を受けたわけだから、同じような願望を持ちますよね。というわけで、この写真は実際に行って撮ってこられたものです。しかし単純に考えてどないしてここまで持ってきて立てたのかな。素朴な疑問が湧きます。

2009/01/03

高田商会(2)

昨日の高田商会の本社が関東大震災にて崩れてしまった写真が上であります。どうも今の感覚では分かりませんが、関東大震災時の被害状況が絵葉書となってかなりの種類が現存してます。古書ショップにかなりあります。絵葉書というのが感覚的に理解できませんけどね。この写真は調査時の写真のようです。作って間もない建物が一瞬にこんな状況ですから大変な地震であったことが推し量れます。
高田商会というのは調べれば調べるほど摩訶不思議な魅力がありまして、まあ政商という類のジャンルに含まれるのでしょうが日露戦争に勝ったのはこの企業に負うところ大だという証言が数多く残ってますね。倒産したのはどうも2代目の放漫経営と幹部社員の驕りであったようです。当時政商というのは三菱商事も三井物産も同じですから当時の感覚ではとやかく言うはなしではないと思いますので、やはり2代目というのは大事です。

2009/01/02

高田商会


以前、エジプトのスフィンクスの前で記念撮影をした江戸時代のお侍さんの写真をアップしましたが、彼らのことを本にしていた鈴木明という人のもうひとつの名作「追跡」に出てくる高田商会の写真です。関東大震災で崩れてしまうのですが、それは立派な本社の写真です。今なら三菱商事、三井物産とかに匹敵する大商社であったようです。ただ戦争に結びついた商材(つまり兵器)に強かったようで時代とともに消えていったようです。 この高田一族の末裔が写真家の高田美さんやタレントの高田万由子さんらしいです。資産家のお嬢さんであるとは聞いておりましたが。



新春討論会

多分、丑の年なんで、日本中でこの写真をアップした方がかなりいらっしゃると思います。牛といえばこれしか思いつかないかってのロック馬鹿が多いと思いますので。ピンクフロイドの初期の名作「アトム・ハート・マザー」(原子心母)です。直訳でんなあ。どういう意味なんでしょうね。前の「ウマグマ」もよう分からん題名でしたけど。
新春ということで、これからの日本はどうなるという真面目なNHKの討論会を見る。テレビはめったに見ないから面白い。右側が具体的建設的意見(竹中元大臣たち)の陣営、左側が弱いものの味方的発言の陣営、まあこの構図は製作者が考え出したものでしょうから多分に出来レースっぽく見えました。ただいつも思うのですが弱いものの味方の意見は何をどうせいという意見に結びつかんから愚痴にしか聞こえない。
ひとつ興味あったのは、竹中さんが「法人税の税率を下げないと日本の優良企業は外国へ出て行ってしまいますよ」と言ったこと。僕もほんまにそう思っていたのでやはり分かっている人は分かっていると思った。最後にその意見の反応を知りたかったようだが時間がなかった。ただ「反対」という出席者がいたようである。なんにも分かっていない有識者もいるんだなと失望限りない。納税番号制にも反対意見があった。反対する人の理由がほとんど僕には理解できない。

2009/01/01

正月

2009年になりました。というわけで昔撮った橿原神宮の写真を見つけてアップしました。伊勢神宮に比べたらこじんまりしたものですが、行けばまあ雰囲気はあります。
入り口に紀元20○○年と書いてあったのには驚きました。難しいことは分からないというか考えないようにしているので、馬鹿な質問かも知れませんが、神宮というのは宗教法人なんでしょうかね?収支決算書を見てみたいなと思います。