2009/12/31

さいなら牛くん

今日で「牛」年は終わりである。ピンクフロイドの「原子心母」のジャケットの年賀状をかなりの方々からもらって始まった1年であったが、あんまり「いい年」ではなかった。景気も回復しないし、政治も民主党になってもあんまり変わり映えしないし来年は果たしてどうなっていくのだろう??アメリカが風邪をひいたら日本は風邪どころでなく心筋梗塞っぽい状況である。世界からの評価もどんどん下がり、もうアジアにおける地位はもはやNO.1でなくなってしまっている。しかしながら来年に期待せざるを得ない。トラ君に期待。

2009/12/28

asada mao(2)

応援っぽい文章を載せたら、ほんまに復活してオリンピックの代表に選ばれてしまった。やはり只者ではなかった。まずはめでたしめでたし。オリンピックで頑張って欲しいです。

2009/12/25

asada mao

これはかなり昔の調子が良かった頃の真央ちゃんである。それほどスケートを熱心に見る人間ではないが、1年半前に偶然同じ飛行機に乗り合わせたことがあって、それ以来応援している。果たしてオリンピックに出られるのでありましょうか??
昔々マラソンでも瀬古が調子悪くて、それでも何とかオリンピックで走られせたいという陸連のやらせムンムンの選考レースがあったような記憶が残っているけれど、あんまり露骨なのもなあ・・・でもこの人が出ないと興味半減ですね。さてどうなりますやら。

2009/12/10

cyndi lauper

bonesのシリーズ3の7枚目のDVDでブレナン博士が「シンディ・ローパーより歌がうまいって褒められた・・・」とかいうシーンがあって、事件が解決した最後のシーンでブースがブレナンをけしかけてシンディ・ローパーの歌を歌わせる。歌は「girls just want to have fun」という誰もが耳にしたことのある往年の超大ヒット曲である。ブレナン博士は結構上手く、多分本人も本気でのって歌っているような感じがする。久しぶりにcyndi lauperを思い出した。アップしたこのCDは良かったですね。中身もいいしこのジャケットも彼女のキャラを端的に表現していて何時見ても楽しくなってしまう。久しぶりに聞きました。

2009/12/09

bones

最近はこのDVDばかり見ている。アメリカの連続シリーズはどちらかと言えば敬遠していたのだが、テンペランス・ブレナン博士の美貌に魅せられて見てみる事にした。なかなか面白い。厳密にストーリーを追えば随分いい加減なところがあるのだが、そこは勢いで突っ走ってしまう。なんでこいつが犯人なんや・・・??って思う事も多々あるのだが妙に納得してしまう。

2009/12/01

フィルモアの奇蹟

出来ればプレスリーがデビューした時あたりにティーンエイジャーでずっとロックとかかわっていたかったなあと思う時がある。何にも出来ないけれど生き証人ということで。ビートルズが日本でブレイクした時辺りからずっとつかず離れずで見てきたつもりだが、今の音にはほとんど興味がなくなった。なくなったもんは仕方がない。聞きたくもない音を聞いてもなあと思うので正直に昔のばかり聞いている。
で、これは「フィルモアの奇蹟」という当時ソニーから出た2枚組のアルバム(1968年)。3600円。高い。知らん2人組。ヒット曲なし。突然こんなものが出て来だした。雑誌では絶賛。買うべきか?買わざるべきか?当時は悩みました。
今から考えたら歴史は変わってきていました。
結局買ったのは1年後くらいだったかな。

2009/11/29

舟場正富

この方は僕の中学1年の時の地理の先生である。型破りの先生でラジオ放送を聞かせて天気図を書かせたり、テストの採点を生徒にやらせたりユニークな先生でありましたが、その後研究活動に戻られて最終的には神戸商科大学の教授として財政学を教えておられたようである。学校を去られてどうされているのかは全然知らなかったのでありますが、雑誌で名前を見つけてメールを出してみたら返事をいただいた。あの当時は楽しかった云々のコメントがありました。残念ながら2007年の急逝されております。まだまだ活躍されてしかるべきだと思ってましたが・・・。

2009/11/17

サテンの夜

これは「ムーディー・ブルース」の「サテンの夜」というレコードのジャケットで日本盤(初期の)である。イギリスで発売されたオリジナルはまあ前衛的な絵らしきものでこれでは日本では無理だとレコード会社が判断したのだろうと思う。それにそれまでR&B(リズム&ブルース)のバンドが今回は摩訶不思議なクラシック的オーケストラのレコードを出してきたから、多分「こりゃ売れんわ」と思ったに違いない。時は1967年ビートルズがサージャント・ペッパーズを出した年と奇しくも同じ。この時期のイギリスは新しいことに挑戦する雰囲気が充満していたのかも知れない。

2009/11/14

太陽がいっぱい

昔はテレビは一家に1台というのが常識で、今のように一部屋に1台というのはある意味で異常である。テレビは1人で見るものではなかった(1人暮らしの人は別ですけど)。それで洋画劇場・・とかいう夜の9時くらいから2時間程度でやっていた映画のテレビ放映もお茶の間で見れるようにある意味手を加えられていたように思う。まあ子供も見ているわけですから過激なシーンとかややこしいシーンはカットされていた。この「太陽がいっぱい」はそのようなカットされた映画ではないのですが、偶然母親と一緒に見ていて最後のシーン・・アラン・ドロンが「太陽がいっぱいだ」というシーンで母親が「格好ええなあ・・」と言った思い出の映画です。まあ今みてもいい映画です。

2009/11/07

石川経夫

昔、40歳くらいの時に3年間くらい学生をしたことがある。社会経験を経ているから昔分からなかった経済の緒問題も結構理解できた。その頃ここにアップした「所得と富」という本が日経新聞で絶賛されていて、早速買い求めて挑戦しましたが全く歯が立ちませんでした。ただなんというかこの本には独特のアカデミズムの雰囲気がありまして分からないながらもいい本ということが実感できるという不思議な書物でした。著者の石川教授はその後さぞ立派な業績を残されているだろうと思って検索したらなんと10年ほど前に51歳の若さで亡くなっておられました。僕はその後全く経済学の本からは疎遠になってしまいましたから気がつきませんでした。それにしても若すぎますよね。

2009/11/02

円谷幸吉

東京オリンピックの陸上で唯一メダルを獲得したのはマラソンの「円谷幸吉」のみである。しかも10000mにも6位入賞を果たしていて、まあ一番活躍した人です。東京オリンピックのマラソンは寺沢と君原が本命でこの2人には金メダルの期待もかかっていた。1960年のローマ大会でアベベが出した世界記録を寺沢が塗り替えて俄然寺沢に対する期待は高まった。その記録は東京オリンピックまでに何人かによって塗り替えられていて、多分この写真の円谷の後ろを走っているヒートリーもその1人だったように記憶してる。ダークホース的存在だった円谷は陸上競技場まで2位で帰ってくる。惜しくも競技場でヒートリーの後塵を拝し銅メダルになったが大健闘であった。円谷選手には次にメキシコオリンピックでの期待が高まったが、残念ながらメキシコオリンピックの年の初めに帰らぬ人となってしまった。個人的には言い過ぎかもしれないが自衛隊が死に追いやったと思っている。

2009/11/01

ron clarke

これは東京オリンピックの10000mのゴールの写真です。722が1番で615が2番、615の後ろにいる白いランニングシャツに斜めのラインの人が3番、右側の2人は周回遅れ。多分、その時の陸上では一番面白かった試合ではないかと思う。3番になった人が「ron clarke」でオーストラリアの選手です。8年前のメルボルン大会の最終聖火ランナー、この時世界記録保持者という話題たっぷりのランナーでした。走る姿は駆け引きなし、ひたすらトップを走るというまことにきれいな走法で「走るロールスロイス」とまでいわれたほどです。このロン・クラークさんは今はゴールド・コースト・シティの市長さんです。こういう人が市長だと親しみが湧きますね。あとの2人(ビリー・ミルズとモハメド・ガムーディ)も忘れられない名ランナーで次回に書きます。

2009/10/31

mamo wolde

アベベが出てきたらこの人を出さないといけません。ローマ、東京、メキシコと3大会連続でエチオピアはマラソンで金メダルを取っている。3連覇がかかったアベベは出場をするものの早々に棄権、そのあと日本の君原と金メダルを争ってこのマモが勝利を収めた。本来ならこのマモはエチオピアを代表する陸上の重鎮であるべき人なんですが、エチオピアが社会主義化したり、その後独裁政権になったり、東京オリンピックの時のような皇帝が絶大な権力を持った国家でなくなってしまった。この時の政変で囚われの身になって晩年は釈放されたものの長期に渡る幽閉生活のおかげで健康を害しこの世を去っている。社会主義思想や独裁国家も時と場合では悪いと思わないが、ポルポトやスターリンやウガンダやこのエチオピアの事例を考えたら虐殺が付きまとうのはどうもこの種の連中に多い。違う考えの者を認めない・・ところがある。

2009/10/30

abebe bikila

東京オリンピックの時のアベベである。靴を履いている。このときのアベベは実に崇高な雰囲気が漂っていて単純なかけっこのレースには思えなかった。彼の祖国のエチオピアは今は長距離王国であるが経済は極めて深刻で破綻寸前というか既に破綻しているのかもしれない。アフリカにおいては極めて由緒正しい国家でありますが国の経営っていうのはなかなか難しいです。

2009/10/29

catherine spaak(8)

今回も苦し紛れにカトリーヌ・スパークさんに登場願いました。今手に入るCDのジャケット(手に入るのかな・・・)です。
支持政党は厳密にはないのだけれど、今回の民主党の公約の財源をどうするのかなと思っておりました。今までの自民党の無駄遣いを改めたら簡単です・・・というような話だったので、正直お手並み拝見という気持ちで見ておりますが、段々といい加減さが出てきて、子供の手当てを出す代わりに扶養控除を見直す(なくする??)という話になってきた。多分、手当てをもらう額より税金が増える人がかなり出てくるはず。こういうのは詐欺に近いなあ・・と思う。それと民主党が政権をとっても亀井さんと手を組むことはなかったと思いますね。多分今回の郵政問題の方向転換は10~20年後くらいに昔の国鉄と同じ処理をせねばならなくなると思う。つまり税金で後始末することですね。いまよりかなり高くつくと思います。ディスクローズの時代なんだから公営の団体も決算書を公表すべきだと思う。どんどん赤字が膨らんでいくはずです。

2009/10/28

daphne deckers(2)

苦し紛れに以前出ていただいたボンド・ガールさんに登場願いました。瞳が実にお美しい。
話は変わるが世の中の景気は本当に悪い。昨年の初めくらいから不景気の雰囲気が出てきて、リーマンで爆発してどん底になってしまった。ただ今年の暮れ辺りからボチボチ上向くのではという予測が大方の見方だったのが、どうも来年の秋くらいにならないと回復しないということをのたまう輩が増え始めた・・・。経済学者、評論家の言うことはほんまに当てにならない。しかし、どうなるんでしょうかねエ。
ただ、アメリカの金融会社なんかはもう黒字になってきているし、あいつらには早くも虚業の復興の兆しが見え始めているような気がする。はじけたバブルはバブルでしか救えないのかもなあ・・・。ほんまに経済のからくりは難しい。

2009/10/27

妖星ゴラス

加藤和彦さんの事件で、父親と一緒に行った映画の路線が頓挫してしまった。久方ぶりに戻ります。「妖星ゴラス」のポスターをアップしてますが、真ん中辺りに怪獣が出てます。僕はこの怪獣がお目当てで見に連れて行ってもらったハズ・・・であります。ところが映画自体は怪獣映画ではなく、妖星ゴラスっていう星が地球に向かってきていてぶつかるというストーリーでした(多分)。それでぶつかられたらたまらんということで南極に、要は地球のおしりの部分にロケット噴射装置をつけて当たらないようにしようというストーリーだった(多分)。怪獣はこの南極の工事のときに出てきたので主役ではなかった。この映画に関しては父は完全な付き添いだったはず。一緒に暗い夜道を帰ったのを覚えている。記憶ではお隣のヒロオちゃんも一緒だったような・・。昔は子供だけで(小学校だったはず)行かせるということはなかった。

2009/10/26

加藤和彦(6)

当分、加藤和彦について書こうとおもっていたけれど、ちょっと間隔があいてしまった。段々と週刊誌や三流新聞に遺産の話とかが載りだして、ゲスの勘ぐりで高邁な音楽の話からそっちの方面にも興味が行って我ながら情けない思いがしとります。情けない話のついでにこの「ライブ・イン・ロンドン」もプレミアがついて高いです。個人的にはロキシー・ミュージックよりこっちの方が絶対にいいと思っている。まあ趣味の問題ですけれども。

2009/10/20

加藤和彦(5)

このLPの頃はまだどういう方向でいくのか決めかねている感じがあります。聞くほうも冗談交じりというかパロディというか・・・面白いし、楽しい・・けれど・・という印象が強かったですね。ただ過去のフォークル時代を知らない若い連中と話す機会があった時に、彼らは文句なしに「面白い」と言っていたから・・聞き手も変わっているのを頭に入れていたのでしょう。
こうやって加藤和彦の思い出を繰っていると、随分好きなミュージシャンが亡くなっていることに気がつく。そりゃそうだこっちもええ年になってるから・・。長生きしたい・・・普通の観念ですね。でもなあ何にもしたいこともなくなって生きているのもなあって時々思っていたらこのような「死」に直面してしまった。まあやりたいことが出来ない悩みが死に至らしめたのだから・・大分違いますけれど。加藤和彦の笑顔は、「生きていること自体が楽しいですよ・・」っていうのがピッタシの笑顔だと思っていたのですけどね。

加藤和彦(4)

やっぱりこのレコードが代表作になるんでしょうね。確かにいい出来です。加藤和彦という人はミュージシャンであるとともに企画マンなんですね。まずメンバーを集める。びっくりするような人材を集めてきています。このレコードはフォーク色皆無ですね。それでクリス・トーマスの起用、なんでクリス・トーマスだったのか「狂気」が出てすぐ交渉したのでしょうか?時期的にはあの頃ですもんね。高中のギターもこのアルバムの演奏が一番だと思ってます。

2009/10/19

加藤和彦(3)

これは「スーパーガス」という多分ソロ2枚目の作品だと思います。この頃はまだどういう方向に向かうのかはっきりしないというか模索中の時代のような感じがしますね。温かみのある声は相変わらずです。当時はエンケンとか友部正人とかフォークという分野では結構コアな人もいて、加藤和彦はそういう路線でもないし、この時期どのような戦略を考えていたのか聞いてみたかったですね。

2009/10/18

加藤和彦(2)

真ん中が加藤和彦さん、左が北山修さんです。いわずと知れた「フォーク・クルセダーズ」です。この写真1968年くらいですよね。この時期はそれほどのファンではなかった。フォークソングのジャンルにはあんまり興味がなかったこともある。ただフォークルは厳密には他のフォークソングのバンドとはこのときから違っていたように思う。もう1人の「はしだのりひこ」だけが普通のフォークバンドのお兄ちゃんってな感じだったと思っている。
この頃、岩下志摩が出ていた「花いちもんめ」というドラマの主題歌を歌っていて、僕にしたらあっという間にメジャーの仲間入りして、独自の地位を築いてしまったような気がした。同じ関西のついこの間までバンドの解散記念にレコードを自費製作していた何処にでもいる学生があっという間に・・・といううらやましいという感情でなく、実に不思議な感覚で見守っていた記憶がある。医者になるのをやめて音楽をやるのだろうかとか・・・彼らの生き方が気になっていたということなのかなと思う。

2009/10/17

加藤和彦

加藤和彦さんが亡くなった。自殺らしい。意外である。この人は自然に寿命をまっとうする人だと思っていた。モダンな好々爺という感じがピッタリだと思っていた。個人的には「天才」だと思っていた。先を読む先見性と洒落っぽい生き方が気に入っておりました。洒落っぽい生き方というのは結構しんどかったのかも・・・と勝手なことを思ってしまう。アップしたのはお気に入りの1枚「パパ・ヘミングウエイ」です。この辺りからどんどん独自の世界が広がっていったような気がします。ミカバンドももう1回ぐらい再再々結成があるかなと楽しみにしておりましたが。ご冥福をお祈り申し上げます。

2009/10/14

the longest day

父親と一緒に見た映画というのは意外と少ないと思う。厳密に言えばもっと沢山あるのだが、父親も楽しんで見ていたというものは本当に少ないと思う。この映画は1963年の5月に父親と一緒に見に行った。父親の方がこの作戦の方を良く知っていた。僕は何のことか全く知らなかった。まあ日本が敗北に向かうきっかけとなる作戦を日本人が見に行くというのも今から考えたら変な話ですが・・・。パンフレットを買ってもらった。今も残っている。その後、テレビで放映したら「昔一緒に見に行ったなあ」と懐かしそうに語るのが僕にとっても思い出である。

2009/10/10

るろうに剣心

新撰組への興味が再燃したのは、この「るろうに剣心」という漫画に負うところが大きいような気がする。子供が読んでいた漫画であるが親の方が熱中してしまった。特に斎藤一なんか、それまでそう気にしていなかった人物が、実際の人生も結構面白いことを知って、一時期新撰組の解説本ばかり読んでいた時期がある。

2009/10/08

土方歳三

近藤が出てきたらこちらを出さないとまずいですよね。子供の頃「ひじかたさいぞう」と言っていた記憶が残っている。その記憶ではこの土方という人物は強い・怖いという先入観が子供の時からあったようである。
この土方が僕の頭の中にはっきりとインプットされるのは随分後のことである。大学3年の時に公認会計士試験に受かった先輩(大学4年)がいて、お祝いの酒盛りをやった。偶然住まいが近所だったので、2次会・・・最後に先輩の家まで上がりこんでご馳走になった。先輩のお母さんというのが良く出来た方で、夜中(何時だったか覚えていない・・)にもかかわらず、色んなものを作って出して下されてお酒もたらふくいただいた。その会話の中で、先輩いわく一番感動した本を貸してくれた。それが司馬遼太郎の「燃えよ剣」である。すぐ読んだのかときかれれば・・実はお袋の方が先に読んだ・・いわくものすごく面白かった・・・その後で読んで・・・それから新撰組フリークの予備軍に・・・個人的には大学4年の終わりに借りた本を返しに行った。本人は居られなくって弟さんに言付けた。ご本人の先輩は今や某大監査法人の代表社員であられます。

2009/10/02

近藤勇

久しぶりにNHKの大河ドラマの新撰組を見た。苦労してビデオからHDDに落としてあるので、いつでも見れる。まあマニアですなあ。とはいえ最近はあんまり見ていなかった。昔々子供の頃は、夏は浴衣を着てちゃんばらごっこをよくやった。男の子は木刀を皆持っていた時代である。配役を決めて戦うのであるが、ほとんどの子供が勤皇の志士になりたがって、新撰組のなり手がなかったように記憶している。新撰組が今の時代のように勤皇の志士より人気が高まったのは司馬遼太郎の小説のせいでしょうか?
僕なんか月形半平太というような架空の人物を実在していたと思い込んでいたくらいあの時代の映画は子供をワクワクさせてくれました。
さて、局長の近藤勇は映画やテレビではやたら人を斬る怖い感じムンムンですが、この写真もやはりちょっと怖そう。

2009/09/30

鉄人28号

昔、週刊の少年マガジンとサンデーが出る前(昭和34年の春まで)は月刊のマンガ雑誌が主流であった。特に「少年」と「少年画報」と言う雑誌が人気が高かったように記憶している。僕の家は貧乏でもなかったと思うけれどこれらの月刊誌が買ってもらえず友達の家で見る、散髪屋で読むというのがこの手の漫画に接する手段であった。特に「少年」には「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載されていて、毎月続きを読むのが楽しみであった。その「鉄人28号」が長田区に出現という記事が出たので早速取上げさせていただいた。そのうち見に行きたい。しかしデッカイですなあ。横にブラック・オックスも作ってくれませんかねえ。

merlene ottey

この人は知る人ぞ知る、ジャマイカの名スプリンター「マリーン・オッテイ」さんであります。2000年くらいまで活躍しておりました。でも正確には元ジャマイカのという表現が正しく、今はスロベニアという国の国籍をもっています。オリンピックとか世界陸上を見ていたら、前回と違う国から出場している選手がかなりいることに気がつく。■■人は■■国籍という概念が通念だったけれどもこれからは大きく変わりそうな気がする。アスリートだけではなく企業もサラリーマンも優秀な人は自分を認めてくれる国に移る時代がやって来そうだ。日本の相撲の担い手は100年後誰になっているでしょう??失礼ですがくだらないこと(国技だとか神事だとか)にこだわっていたら誰も継がないような気がするのですけど・・・。柔道を見ていたらどんどん日本の柔道から離れていってますけど、国際化というのはこういうものかなって思ってみております。しまいにピンクの柔道着なんかも出てきそうです。この手に話には「あるべき論」が通用しないように思います。参加する人種が多ければ多いほど予測できない展開になりそうな気がします。

2009/09/29

京都八条鳥将軍

昔々通っていた居酒屋さんのワンショット(お客さんは知らない人です念のため)。今は残念ながら閉店されてしまいました。考えてみれば30年以上も居酒屋を維持するのはなかなか難しくほとんどのお店がなくなってます。景気の波に一番左右されますからね。

2009/09/28

朝青龍(3)

昨日のガッツポーズの件、 案の定このおばちゃんがクレームをつけてきて他のお方は概ね「まあ許される範囲でしょう」という見解であった(これが普通でしょう)。このおばちゃん(すんませんが名前を覚える気がしない)いつも思うにアホちゃうかというような意見ばかり述べて、いつも大丈夫かなと思ってます。なんでこんな人物を委員にするのかが理解に苦しむ。

朝青龍(2)

1月に続き今年2回目(通算24回目)の優勝が決まった瞬間のガッツポーズであります。またこのシーンにクレームがついているらしい。それほど気に入らなければ懲戒解雇にすればいいと思う。前にも書いたように日本人ではないのだからある程度の許容範囲というものが必要だと思う。それに今日の優勝決定戦の一番、やはり朝青龍の天才的な相撲の上手さを見せつけられた。国技といってもモンゴル人のほうが上手いというのが実状。僕が思うにこの人があんまり練習しないのは周りが弱く、今のままでも勝てると思っているからだと思う。本気を出す時が今回の優勝決定戦だけだったというのが本当のところでしょう。
昔からよくあるではないですか?あんまり努力しなくても東大に行った奴。汗水たらして努力しても3流大にしか行けなかった奴。所詮器の差は努力では埋められないです。今までの僕の人生の実感です。

2009/09/22

emily deschanel

遅ればせながら今になって「BONES」をエピソード1から見始めている。キャスティングという仕事がありますが、このブレナン博士に誰を配するかがこのドラマの成功の鍵であったことには間違いないと思う。「クールで賢い女」なかなか難しい役柄です。対極に位置する「アホで可愛い女」っていうのは結構すぐに思いつくけれども・・・。そういう意味でこのemily deschanelという女優さんは正解だと思います。実に賢そうです。

2009/09/18

beatles

自他認めるビートルズファンである。年季がはいっている。1964年4月からのファンである。ただ、自分ではマニアとは思っていない。(他人がどう思っているかは知らないが・・・)。で最近ビートルズのBOXセットが発売されて周りが「どうでした?」と聞いてくる。現時点では買っていないと答えている。この手のBOXセットいうものは、長く生きていると今までにもさんざん発売されてそこそこ買い求めてみたが、音的には何にも昔と変わりがないように思われるものがほとんどであった。特に僕は音が違う(録音が違う・・)というような音に敏感でないのであんまりその手のキャッチフレーズに触手を伸ばすことはなかった。ほいで、「どうせまた同じ音なんやろ」と言い返すと今回のモノラル録音盤は絶対に違うと強固に反論する論者が現れて、ジョージ・マーティンの求めていた音はこれだと主張し、しかもモノラル録音盤は今回限りの限定発売でステレオ・バージョンは今後も発売が継続されるが、モノラル・バージョンは「今回限り」と熱弁をふるう。そんならとアマゾンからなんからチェックしてみても既に完売、すでに1万円くらいのプレミアムがオンされて市場に出ている。関係ないけれど日本のB'zのベスト盤の売り方にも疑問が残るが、そんなに価値のあるもんならずっと販売しろよと思う。買うべきか買わざるべきか???シェークスピアの気分である。

2009/09/13

virginia hey

ティモシー・ダルトンの007「リビング・デイライツ」のワンシーンです。本当にちょっとだけ出てくるご婦人役。あちらのテレビではかなり活躍されている感じがします。 なんかスタートレックみたいなテレビシリーズにも出ているみたいです。多分日本では放映されていないのでしょうね。

2009/09/08

regina gabajova

これはカジノ・ロワイヤル(ダニエル・クレイグ版)のワンショットに出てくるホテルの受付嬢のregina gabajova、チェコの俳優さんらしい。007の映画は、イギリスだけでなく各国の俳優さんを使うのが楽しい。もともと原作が世界中を駆け巡る設定ですから当然ですけれども。このシーンは007にピストルの入った封筒を渡したところだったかな??

2009/09/07

daphne deckers

こちらはブロスナンの007の「トモロウ・ネバー・ダイ」に出ていたdaphne deckersです。オランダの女優というかモデルというか、結構オランダでは有名人みたい。もう一つこの人はオランダ人で初めてウインブルドンのシングル男子でチャンピオンに輝いたクライチェク(1996年)の奥さんです。どっちかというとこの人の方がこの映画のボンドガールよりきれいだと思いますけど。
英語が苦手だったのかな??

2009/09/06

sarah hadland

007の映画はちょい役のキャスティングにもかなり気を使っていて、特に女性のキャスティングには美人が多い。これも慰めの報酬のワンシーン、航空会社のカウンターで007のカードがM16のお怒りのためにストップされてしまって、そのため、このカウンター嬢にちょっとメッセージを託すシーン。

2009/09/05

ann margret

初めてプロマイドというものを通販で買ったのは、この「ann margret」であった。バイ・バイ・バーディという曲がヒットしてまあ今から伸びそうという時期であった。この写真はベトナム戦争時に現地に慰問に行った時の写真でしょう。確か帰り(または行き)に日本に立ち寄った記憶が残っている。アカデミー賞をとるというような女優さんにはならなかったけれど歌って踊れて、最近はサイレンサー殺人部隊を見て楽しませてもらってます。やっぱり可愛いです。

2009/09/03

おわら風の盆

時々仕事で富山まで行く。この数年間で本当に偶然にもこの「風の盆」という盆踊りの時に出張を入れてしまって、別に選んでこの日(本当は数日間らしい)を選ばなくってもと後悔をすることが多い。盆踊りの日には富山には行っているものの富山駅に並んでいる普通は絶対に見ることの出来ない量の人の山を見ながらサンダーバードで帰ってくる。まあ八尾というところまで行かないのであるから満員で立って帰るということはまずない。聞くところによると誰かが小説に書き、誰かが歌い、マスコミに取り上げられ今やビッグイベントになってしまったようである。タクシーの運転手さんの話によると「深編み笠」をかぶって踊るのがミソで、茶髪のねえちゃんが踊っていても様にならないのがこの「深編み笠」をかぶると様になるようである。

2009/08/31

gabriela szabo(2)

この間の中国の馬軍団をパスしたら、多分この人が一番速かったのではないかといわれているルーマニアのサボー選手。(写真の左・・髪の毛が逆立ってます)日本にも何回か来ております。金髪のきれいな美人選手で人気がありましたが、なんというか時々見せる内に秘められている「キツさ」が、「絶対!このお姉さんほんまはこわいねんやわ」という確信を抱かせるほどその瞬発力は見事なものでした。

2009/08/28

王軍霞

1996年のアトランタオリンピックで金メダルを取った時の晴れ姿。今でも3000mと10000mの世界記録を持っている。いわゆる馬軍団のエリートであります。あと1500mに別の馬軍団の女性の名前が残っている。忽然と現れて短期間で去っていきました。馬軍団の秘伝の薬草ジュースがドーピングにひっかかるとか色んな噂がありましたが検証されることなく世界記録として残っております。

2009/08/26

richard douglas fosbury

珍しく男性の写真です。走り高跳びってみんなこの「背面跳び」で跳びますが、昔はこんな跳び方はなかった。ベリーロールとかいう正面から跳ぶ方法ばかりだった。ところが突然この「フォズベリー」という当時大学生だったアメリカ人がこの背中から跳ぶ跳躍方法を考案して、メキシコオリンピック(1968)に出てくる。このフォズベリーだけが背面跳びであとは正面から跳ぶ方法である。結果はフォズベリーが金メダル。1972のミュンヘンではほとんどの選手ががフォズベリーの背面跳びになっていた。
メキシコオリンピックで見たときは驚いた。こういう事実を目撃するのはとても楽しいと思う。もう圧倒的な優位性があったのだろう。今や走り高跳びといえば背面跳び以外見ることができないですから。
僕はこういう功労者には永遠に名前が残って欲しい性質なんで、背面跳びというよりフォズベリー・ジャンプ(アメリカではフォズベリー・フロップ)という名前で呼んで欲しいなといつも思っている。
残念ながらメキシコ・オリンピックの写真は見つけられませんでした。

ulrike meyfarth

走り高跳びとドイツで思い出したのがこの人、マイフェルトです。1972年のミュンヘンオリンピックで16歳で金メダルを取りました。彗星のように現れてびっくりしました。その後例のボイコットや彼女自身の故障もあってなかなかひのき舞台に出てこなかったのですが、1984年のロスオリンピックで見事金メダルを獲得してます。

2009/08/25

ariane friedrich

今回の世界陸上で颯爽とデビューしたといえるのは、この人ではなかったかと思う。走り高跳びのフリードリッヒ。この間まであんまり知られていなかった。パスして寝転んでいる姿がイシンバエワを髣髴とさせるものがあって絵になるスターの登場だと思った。

2009/08/24

allyson felix

先ほど世界陸上ベルリン大会が終わりました。やり投げで日本人がメダルを取るなんて想像もしたことのない快挙が起こった。
昔、溝口なんとかという選手が世界記録に迫る日本記録を持っていて(というか今もこの人が日本記録保持者だと思う)、世界陸上に出る度に応援するのだが、なかなかその大きな試合で結果を出せずに終わってしまった。だから今回みたいなことは信じられないような気がする。大きな大会で実力どおりの結果を出すということは実に難しいことだと思う。今回の大会は日本の投てき陣に大きな力を与えたと思う。
で、写真は男では面白くないから200mのアリソン・フェリックス嬢に出場願いました。人の顔には本当の姿は分からないけれど、「賢そうな顔」と言うのがある。大阪では「まあ、賢そうなお顔をして・・・」という感じである。僕はいつもアリソン・フェリックスを見るとこの人賢そうと思ってしまう。

2009/08/22

santhi soundarajan

この人はsanthi soundarajanさんといって2006年の第15回アジア大会(ドーハ)で女子800m競争で銀メダルを獲得したはずだったお方である。ところが例の性別チェックで女性ではない(では男か?という断定はされていないみたい)ということで銀メダルを剥奪された可哀想な人である。
で、この性別チェックであるが、大会の前に全員にしておくとか、陸連(各国にあるだろう)に登録する時に受けておく(途中で変わることはないだろう)とか、もっと悲劇が起こらない前にとるべき方法があるように思う。ただどうもこの検査なかなかすぐ結論が出ないみたいで、ぶっちゃけた話、性器を見ても断定できないそうである・・・もうこうなったらよう分からん世界である。
しかも、いまはクレームが出たら(あいつはおかしい・・というクレーム)おこなうという極めて不条理なルールであるようで、今行われている世界陸上の例の南アフリカの選手も他の国の選手とかコーチのルール上認められている「タレこみ?」によって行われるということらしい。
話しを戻してこのsanthi soundarajanさんであるがその後の動向の話は日本語ではなかなか見つからない。英語のWEB上では自殺未遂みたいな記事と、そのあと気を取り直して陸上のコーチとして頑張っておられるような記事があるので、ぜひ気を強くもって生き抜いて欲しいと思う。

2009/08/20

caster semenya

今回の世界陸上(ベルリン大会)の800mの優勝者、caster semenyaさんである。1分55秒45堂々の記録で優勝・・・ですが、またここで性別の疑惑の記事が出ている。何回か前に1964の東京オリンピックのポーランドの選手のことをかいたけれど、勝ってから検査するというのも変な気がします。初めから全員しておけばいいと思うのですけど。
こんなはなし、何年か前にもあったような調べてみます。

2009/08/19

sanya richards

今回の世界陸上の400mでようやくサンヤ・リチャーズが勝った。49秒フラット。僕は多分今はこの人が一番速いのだろうと思っている。自己ベストが48秒70である。世界記録はいつも出てくる東ドイツのマリタ・コッホの47秒60で1985年6月10日に樹立されている(実に24年前)。1秒10の差というのはいざ距離にしてみるとえらい差になる。

2009/08/16

yelena isinbaeva

世界陸上が始まってしまった。しばらくは過去の選手の回顧はやめて現役の選手を見よう。ということで予選を見ていてもなかなか飛ばないイシンバエワ選手。東京オリンピックの頃の男の記録を超えようとしております。